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「イスラーム国 ホラサーン州(IS-K)」って実際どうなの?

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:イメージマート)

 2024年3月22日にモスクワ近郊で多数が殺傷される襲撃事件が発生し、その「実行犯」として「イスラーム国 ホラサーン州」の名前が挙がっている。大国の政府・当局からいろんな「専門家」に至るまで口をそろえて事件を「イスラーム国 ホラサーン州」の犯行だと主張している中で奇妙に見えるかもしれないが、実は「イスラーム国」やその仲間たちが事件について発信した情報には、「ホラサーン州」という用語は「ホ」の字も出てこない。近年絶えて久しかったが、モスクワやサンクトペテルブルグのような主要都市をはじめとするロシアでの攻撃について、従来は「イスラーム国 カフカス州」名義で戦果が発信されることが多かった。それが、今般の事件では、(1)事件発生から間もなく、「イスラーム国」の自称通信社「アアマーク」の速報が出た、(2)「アアマーク」から襲撃犯4人の画像(全員モザイクかけ)と事件の詳報が出た、(3)「イスラーム国 ロシア」名義で「犯行声明」が出た、(4)「アアマーク」が襲撃の際の動画を発信した、という流れになっており、「カフカス州」は出てこない。事件について、「アアマーク」と「イスラーム国 ロシア」名義の発信があったということは紛れもない事実なので、そこは争っても仕方がないことだ。

 問題は、戦果発信の名義である「イスラーム国 ○○(今般の場合はロシア)」の○○のところに何が入るかだ。「イスラーム国」とその仲間たちは、個別の作戦実行のレベルではかなり分権的だと信じられている。だからこそ、そこそこ一元的にやっている情報の発信や広報の分野で異なる名義の戦果発表や「犯人だけが知る秘密の暴露」的な動画や画像が出てくるのは格好の悪いことだ。何よりも、当の「イスラーム国」の者たちにとっても個々の集団の名声や行賞にかかわる問題かもしれないので、ここで世の中にたくさんある「イスラーム国 ○○(州)」が報道露出を競って声明類を乱発したり、「仲間」の戦果を剽窃するような駄文や動画を製作したりするのは「イスラーム国」そのものの存立をも危うくする。となると、今般の事件で「イスラーム国 ロシア」名義で戦果発表をした以上、「イスラーム国」の仲間たちの中でそれ以外の主体がこの件についてできることは、せいぜい祝辞を送るか事件についての報道や動画を引用して扇動や脅迫をすることくらいだ。これは、2024年1月のイランでの爆破事件の戦果が「イスラーム国 イラン」名義で発信された時についても同様だ。

 となると、分析レベルでやるべきことは「イスラーム国 ホラサーン州」こわーいと連呼してテロ組織の広報を手伝うことではなく、「イスラーム国 ホラサーン州」って本当は何してるの?本当に強いの?を資料に基づいて検証することだ。また、「ホラサーン州」に限らず、「イスラーム国」がロシアに対してどの位関心があったかについて検証してもよいだろう。なお、「なぜ「イスラーム国」は今ロシアを攻撃したのか?」は、同派の思考行動様式を観察する上で最もレベルの低い愚問の一つだ。なぜなら、「イスラーム国」が戦う理由は「敵が異教徒(または背教者)」だからであり、その戦いは時宜など選ばずいつでも決起すべきものだからだ。もっとも、最末端の下っ端を動かすにはこの程度の粗雑な教宣で足りるかもしれないが、実際に組織を経営する者たちは、組織の現世的成功を達成するために様々な「大人の事情」を考慮して行動を決めなくてはならない。たとえ支持者やファンからの評価が低くてもアフリカの僻地で一般人の集落をコツコツ焼き討ちするのも、フィリピンの僻地で地元の官憲と争うのも、アメリカやイスラエルに対して一切攻撃を仕掛けないのも、そしてロシアやイランのようなアメリカの敵を一生懸命攻撃するのも、組織の現世的成功のため「大人の事情」に鑑みた結果と思ってよい。現在のような状況で欧米諸国やイスラエルを攻撃することは、「イスラーム国」にとって資源の調達先や広報活動の拠点を危険にさらす失策であり、共鳴者や模倣者がそのような行動に出るのは、本当は大迷惑だということも大いにある。

 「イスラーム国」の下っ端たちを煽るための論理や言辞と、組織の経営者たちの「大人の事情」の両方を考慮した上で、同派はロシアにどの位関心があったか考えてみよう。同派は、最盛期にはロシア語の雑誌を刊行していたほどなのでその当時はロシアやそれに縁が深い地域の出身者や、そうした諸国に関心が強い者もいたことだろう。しかし、現在「イスラーム国」が定期的に刊行できている雑誌はアラビア語の週刊誌のみだ。そこで「ロシア」という単語が出てくる頻度は、89件(2015年)→259件(2016年)→238件(2017年)→342件(2018年)→235件(2019年)→107件(2020年)→40件(2021年)→59件(2022年)→33件(2023年)という具合に推移している。2024年の出現頻度はここまで7件だが、本邦の時間で3月29日昼には出回るであろう週刊誌の最新号で不自然なくらい「ロシア」と連呼してくれる可能性が高いので、全般的な傾向を把握するためにはこの号が出る前に集計した方が無難だろう。ちなみに、「ロシア」の出現頻度はシリアでの戦闘が盛んだった2016年~2018年はそれなりに多いが、それでも例えばアメリカ(2016年は794件、2017年は504件、2018年は637件)、エジプト(2016年は537件、2017年は556件、2018年は497件)と比べて随分少ない。全般的にみると、アメリカやロシアへの関心(≒言及の頻度)は2020年ごろを境に急速に低下し、以後は今後、ナイジェリア、モザンビークのような諸国への関心(≒言及の頻度)が上昇するのが広報場裏での「イスラーム国」の動きだ。ちなみに、「イスラーム国 ホラサーン州」も「非公式に」独自の雑誌(英語とアラビア語)を不定期刊行している。試みに英語の方の直近3号を眺めてみたところ、各々の号は80頁を超える長大な刊行物なのにもかかわらず、「ロシア」は合計でたったの3回しか出てこなかった。「イスラーム国」の機関誌を眺めている限り、彼らは常に「ロシア」に関心を持ち、いかなる犠牲を払っても付け狙い続けているとは到底言えない。

 では、「イスラーム国」の広報の中で、「ホラサーン州」はどの位活躍しているだろうか?こちらも同派の週刊の機関誌に出てくる頻度を基に眺めてみよう。機関誌は政治情勢論評や扇動などからなる論説と、各地の「州」の戦果発表を主な内容としているので、ここでの出現頻度が高い「州」があれば、そこでは「イスラーム国」の作戦が多数実施されているとみなすことができる。また、特定の「州」の名前が連呼されるようなら、雑誌の執筆者・編集部は当該の「州」やその周辺地域に強い関心を抱いている可能性が高い。結論から言うと、「ホラサーン州」はたいして活躍していない。「ホラサーン州」が連日戦果をあげて制圧地を拡大しているようにも見えないし、機関誌の編集部や読者の側にも「ホラサーン州」の記事をたくさん書きたい、読みたいという需要があるようにも見えない。「ホラサーン州」の出現頻度は、23件(2015年)→231件(2016年)、207件(2017年)→261件(2018年)→187件(2019年)→133件(2020年)→150件(2021年)→213件(2022年)→109件(2023年)で、ターリバーンの復権(2021年8月)後若干盛り返したが、2023年には再び低迷する。なお、機関誌中での「ターリバーン」の出現頻度も12件(2015年)→95件(2016年)→121件(2017年)→204件(2018年)→412件(2019年)→179件(2020年)→358件(2021年)、→433件(2022年)→159件(2023年)で、いずれも出現頻度の上位5件に入ったためしがない。

 記事や戦果発表の内訳を精読したとしても、「ホラサーン州」は数カ月に1度程度の頻度でアフガン国内で大規模な爆破事件(主にシーア派のモスクや公共交通機関)を起こすが、普段はターリバーン兵との小競り合いやパキスタンの情報機関の要員の暗殺についての戦果が多い。要するに、「イスラーム国 ホラサーン州」はターリバーンと領域の制圧や権力の奪取を争う段階にはなく、潜伏・奇襲といったゲリラ戦術でひっそり生きている段階にある。これは、「イスラーム国」そのものが活動地域でのイスラームの解釈や実践はもちろん、地元の分野や風習、地域への愛着に至るまで極めて画一的に振る舞っており、地元民から浮いた存在になっていることに起因する。

 本稿での観察に基づけば、「イスラーム国 ホラサーン州」はロシアはもちろん、潜伏地のアフガニスタンでも「あんまりいけてない」ようにしか見えない。某国の政府・当局が言うように同派が本当に勢力が強くて危険ならば、その某国政府・当局は今般のような事件が起きた時に「だけ」危険性を喧伝するのではなく、日ごろから観察を怠らず、「イスラーム国 ホラサーン州」の資源の調達や広報を邪魔する手立てを講じ、その成果を地道に発信し続けるべきだ。「イスラーム国 ホラサーン州」がアラビア語や英語で広報活動を行っているということは、彼らの潜在的な構成員・支持者の居場所や、資源や名声の調達の場所はこれらの言語が使用されている場所である。となると、アフガニスタンやロシアで掃討作戦や暗殺作戦をしなくても、広報や資源調達を邪魔して同派の勢力を抑えるためにやるべきことは多い。繰り返すが、何か事件が起きた時「だけ」しかも脅威や危険性を喧伝する方向で「だけ」テロ組織についての情報発信が増えるのは、名前を挙げられたテロ組織にはとてもうれしい援護射撃になる。そのような意味では、今般の事件で重視すべきことは「イスラーム国」なり「ホラサーン州」なりについてあれこれうんちくを垂れることではなく、テロ組織の得点や援護にならないような報道や著述をするために必要な経験や技能の蓄積がごく短い期間のうちに大方吹っ飛んでしまったという事実の方だろう。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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