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ガザ地区の「戦後」:イスラエル軍は愚策を繰り返す

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

 2024年2月下旬からイスラエル軍がガザ地区西端のラファフ制圧に乗り出し、それに伴いパレスチナ人民が多数殺傷される懸念が増大した。これに対し、イスラエルに「民間人」を保護するよう求める国際的な働きかけが相次いだが、2月末にイスラエル政府が「戦後」のガザ地区の統治についての「計画」を議会に提示したのはこのような働きかけがイスラエルに対する反感や圧力に転じるのを阻む試みの一つだろう。「計画」の全容やそれへの論評は控えるが、2024年3月2日付『シャルク・アウサト』紙(サウジ資本の汎アラブ紙)が「計画」のほんの一部である「パレスチナ人の民生担当・治安維持機関」について触れた部分を見るだけで、これに大変な問題があることは明らかだ。

 当該の報道は、イスラエルがハマス(ハマース)を根絶した後のガザ地区の治安管理や、現時点でのガザ地区への援助物資の搬入と配布を統制するため、諸部族を武装させて住宅地の治安を管理させようという構想を論評している。それによると、ガザ地区には2007年にハマースがガザ地区を支配するようになった後、同派が治安の統制のために諸部族の武器を回収したことにより、ハマースと一部部族とが「復讐」の応酬のような関係になったそうだ。その結果、今般のイスラエルの侵攻の際にもハマースの軍事部門のカッサーム部隊を襲撃し、彼らの武器弾薬を奪った部族もいたそうだ。イスラエルは、これらの諸部族に連絡を取り、「戦後」のガザ地区の行政と治安管理に起用しようとしている。イスラエルからの打診は大方断られたが、「ハマースの根絶が成った暁には」という条件で提案に「同意」した部族もいたそうだ。もっとも、報道によるとこうしたやり取りはすでにハマースも感知するところである。

 上記報道によると、イスラエルは現時点での援助物資の搬入と配布の保護・統制に関与するつもりがなく、その役割を果たす主体を必要としている。また、イスラエルはその役目に起用する部族に武器弾薬を提供するつもりもなく、構想にアメリカ、エジプト、ヨルダンなどの同意を得たのち、「ガザ地区に武器弾薬を搬入することを認める」程度のことしかしない予定らしい。つまり、イスラエルの配下としてガザ地区を管理する部族は、武器弾薬の補給にも事欠く(そしておそらく給与の支払いの段取りも決まっていない)任務や組織に起用されるということだ。また、上記報道はハマースをはじめとするパレスチナ抵抗運動諸派の根絶が現実的でない点、イスラエルの「計画」がパレスチナ人民の権利を根絶やしにするためのものである点に注目し、「計画」が失敗するとの論旨だ。部族は、自分たちも脱出することができない封鎖区画に閉じ込められ、そこで住民たちの不支持や敵意に囲まれてイスラエルのために働くという任務に就かされるという姿を想像すればよいだろう。上記記事は、イスラエルの「計画」をアメリカがイラクとアフガニスタンで犯した失敗を繰り返すと表現した。

 では、イラクやアフガニスタンでの失敗とはどういうことだろうか?部族やその代表者を政治・行政機関に起用し、彼らの組織力や動員力に頼って制圧地の経営の下請けにあたらせようとの試みがうまくいかなかったことを指すのだろうか?アラブ世界(注:筆者はアフガニスタンのことは門外漢なので、同地の部族のことについての論評はできない)での部族とは、「父系の共通の出自を持つと信じる地縁・血縁集団」のことである。あくまで「信じる」というところがポイントなので、絶対に忘れないでほしい。アラブの政治や社会を語る際には、よく「アラブは部族社会だから云々」との言辞が弄される。しかし、「部族社会」とは一体何だろうか?確かに、部族に象徴される地縁・血縁集団への帰属意識や忠誠心が国や国家に対するそれよりも強い人々がいること、紛争解決や損害賠償で法規や行政機関よりも部族内外の慣習の方を信頼する人々がいるのも事実だろう。しかし、だからと言って「部族社会」はある部族の構成員が単一の指導者の下、ある政治・社会状況に対し常に同一の立場や行動をとるものでは決してない。それどころか、部族内の組織力・動員力、指導者の統制力や権限の強弱、そしてある部族と周囲の諸部族・政治権力との関係は「一つ一つぜーんぶ違う」というのが「部族社会」の実態に近い姿だ。となると、一つの部族の中に対立する有力者・有力家系が複数あって、ある政治問題への対応がそうした部族内の人間関係に沿って割れるということも当然あるし、地域外の政治権力が特定の部族を優遇した結果、地域の統制に失敗するだけでなく他の諸部族から総スカンを食らうということもざらにある。従って、地域の最有力の部族やその指導者を「まとめ役」として起用し、他の諸部族の統制まで任せようとする考え方がアラブ世界でうまくいく見通しはほぼないということであり、この点に鑑みれば失敗したのはイラクだけでなく、シリア紛争への欧米諸国の関与のありかたもそうだといえる。

 筆者は、部族が象徴する地縁、血縁、慣習を後進的なものとかしがらみとかとしてしか認識できない論調が大嫌いなので、部族を経路に地域社会に浸透することも、部族とその民兵を起用して地域の治安を管理させることも、部族を政治に参加させることも、「うまくやる方法はある」と言いたい。ただし、そのためには一つの部族が国政規模で事態を統制できるというのが幻想であることを認め、個々の部族やその中の有力家系の影響力が及ぶ範囲をよく見極め、誰にどのような資源を供給すべきかを注意深く決定し、時と場に応じて諸部族や有力者たちへの処遇を適切に操作することが不可欠だ。その上で、こちらが提供する資源に部族を依存させ、こちらが提供する資源の量や質をめぐって部族同士が常にいがみ合って個別にこちらに従属するという関係を築けば物事は解決する。ここまで読んで、なんて面倒くさいことをするんだと思った方が「正解」で、部族出身者を官僚や情報機関に登用し、地域に密着した工作や操作を試みる政府にとってすら、諸部族や彼らの居住地に「寄り添う」ことは世代を超えて営むべき大事業だ。それを、地縁も血縁も共通の文化的基盤もない外部の侵略者・占領者が、しかもごく短期間のうちに劇的な成果を上げることを期待してやろうとしたところに、アメリカとシリア紛争に干渉した諸当事者が失敗し、上記報道で論評されたイスラエルの「計画」がかなり高い確率で失敗すると予想できる理由ともいえる。しかし、単にガザ地区の社会に不信と不和を植え付け、地縁・血縁集団を含む社会の構成要素間の関係を修復不能な程度に破壊することが「計画」の真の目的ならば、「計画」を厳格に実行するほど成功の確率は上がるとも言えてしまう。これが実現すれば、悪意の外部の権力によって管理された狭い街区に閉じ込められたガザ地区の人民は、パレスチナ人であることをやめ、本邦を含む外界から与えられる「援助」を感謝して押し頂き、平和と共存を讃えて歌って踊ることくらいしか仕事がない生き物になるのだろう。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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