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イスラーム過激派:さっぱりだった「イスラーム国」の2023年

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

 「中東」、特に筆者が専攻する東地中海地域の話をするのだったら、2023年はどうしようもないくらい憂鬱で、実質的な水揚げが何にもない年だった。例えば、2月にトルコ南西部とシリア北東部を襲った大震災がそうだったし、「中国の仲介による」イランとサウジの関係改善シリアのアラブ連盟復帰、など、中東情勢をあくまで国際関係談義として見物しているだけの当事者には大きなできごとがたくさんあったのだが、現場での人民の生活水準の向上や彼らの権利の増進という面ではほめるべきところがほとんどなかった。それどころか、本来「大事」として世界中のみんなが反応すべき2023年上半期の様々な事件を誰もが「見なかったこと」にしたおかげで、10月7日の「アクサーの大洪水」攻勢以来の大惨事を招いたともいえる散々な1年だった。

 そんな中、中東のあらゆる主体の中で最も成果の少ない1年を過ごした主体の一つは間違いなくイスラーム過激派であり、その最たるもの(注:アル=カーイダとその仲間の観察も一生懸命やっているのだが、彼らについて論じることは警戒情報の発信以外もうない)「イスラーム国」だろう。「イスラーム国」にとって2023年がどうしようもない年だったことを示す何よりの指標は、彼らが毎週律義に刊行し続けている週刊の機関誌が量も質も嘆かわしいくらいショボくなってしまったことだ。この機関誌、長い間自称カリフの「殉教」などの突発事態がない限り12頁以上で刊行されていたのだ。ところが、これが2月の大震災の時に8頁に減少して、機関誌の編集や執筆の機能の多くが「トルコとシリアの大震災の被災地」と密接にかかわる所にあったことが明らかになった。その後、2カ月半にわたり12頁での「通常刊行」を続けたが、やはり自称カリフの「殉教」など組織にとっての打撃が続き、2023年の第二四半期以降はほとんどが8頁刊行となった。ページ数の減少は、すなわち「イスラーム国」が発信する戦果や「思想的」メッセージの減少である。例えば、「イスラーム国」が生来の敵として何よりも熱心に攻撃してきた「背教者」という単語が2023年に機関誌に出現した頻度は、最盛期には7000件を超えていたところ、1190件に過ぎなくなった。では、「イスラーム国」の攻撃や関心の対象が他所に移ったかと言えばそうとは限らない。確かに、「不信仰者」(注:「イスラーム国」の敵のうち、キリスト教徒の民間人を指して用いられているようだ)の出現頻度は過去5年は横ばい傾向だが、それでも最盛期に比べると半減した。また、目先のネタやとお小遣い稼ぎのために「分析」する自称「テロ」専門家の皆さんがかつて注目した「シーア派殺し」についても、2023年にシーア派を指す「ラーフィダ」とそれに類する語彙は713件しか出現せず、最盛期の7分の1に終わった。「イスラーム国」はシリアで依然として健在という説もあるが、シリアでの同派の攻撃対象はクルド民族主義勢力かシリア政府で、各々の2023年の出現頻度は339件と170件で、前者は最盛期の5分の1、後者は10分の1に終わった。過去数年、「イスラーム国」を含む紛争の当事者として筆者が注目してきた「民兵」(注:「イスラーム国」は敵方の政府の仲間だけでなく、ターリバーン、シャバーブ、その他競合する諸派もこのように呼ぶ)という呼称についても、2022年の1420件から2023年は「たったの」883件に終わった。さらに、2022年に主にアフリカでキリスト教徒の民間人を殺す戦果で用いられる語彙として出現頻度が上がった「キリスト教徒」についても、2022年の1269件から2023年はやはり「たったの」889件に終わった。

 地域的には、「イスラーム国」の敵のはずのアメリカ、重要な「州」のはずのパキスタン、シャーム(シリア)、イラク、西アフリカは横ばいか減少、近年活動が目立っていた(はずの)ホラサーン、中央アフリカ、モザンビーク、コンゴも減少した。重要なのは、過去数年「テロ対策」の組織や予算防衛を目的にいろいろな機関や「専門家」が喧伝してきた「イスラーム国 ホラサーン州」や、その重要な攻撃対象のはずのターリバーンという語彙が2023年には前年比で半分以下に減少していることだ。この地域の「イスラーム国」の仲間たちは、「非公式の」雑誌を刊行し続けているが、「非公式」は非公式であり、分析する中で「非公式なんだけど事実上公式」なんて言い方は口が裂けてもすべきでない。「非公式の」広報の方が「公式の」広報よりも有力になるならば、それ場組織の分裂や指揮系統の弱体化として読むべきで、もし「イスラーム国 ホラサーン州」にそれがあるのなら、「ホラサーン州」の脅威が上昇しているというよりは「イスラーム国」の弱体化に着目すべき現象だ。2023年に出現頻度が増した地域は「フィリピン」だ。「フィリピン」は、機関誌中ではあんまり長くない記事中にこの語彙を連呼する傾向が強く、出現頻度の上昇がフィリピンでの「イスラーム国」の勢力拡大を示すかと言えばそうでもないのだが、2021年の63件、2022年の51件が2023年には163件と推移しているので、フィリピンの「イスラーム国」の仲間たちの行動が「イスラーム国」の広報にとって同派が滅びずに活動していることを示す大切な「ネタ」になったようだ。

 「イスラーム国」にとっての2023年を総括すると、それは敵と戦う主役の地位がハマス(ハマース)に奪われた絶望的な年だったということだ。これまでも指摘してきたとおり、「イスラーム国」にとってイスラエルやアメリカとの闘いやパレスチナの解放はたいして重要な問題ではない。同派にとって大切なのは、「イスラーム統治を樹立する」と称して身近で同派のイスラーム解釈と実践に従わない者たち(=「イスラーム国」と同じ宗派のスンナ派の一般人)を糾察・弾圧・摘発・虐待することであり、「パレスチナ(とエルサレム)のために闘う」と主張することは、「イスラーム統治」を彼岸化する悪しき行為でしかない。ところが、10月7日のハマースによる「アクサーの大洪水」攻勢を契機に、イスラーム共同体を蝕む最低最悪の敵との闘いの主役は、ハマースに完全に持っていかれた。「イスラーム国」は、事態に対応して機関誌に世界中で「ユダヤ(注:「イスラーム国」とその仲間には世界はイスラームと異教徒としか見えないので、イスラエルとかシオニストという語彙は彼らには理解できない)」を攻撃せよという趣旨の論説を掲載した。しかし、世界重要報道機関や世論が事態を「パレスチナ」で「イスラエルが」侵略と占領と殺戮を行っていると認識する中、「イスラーム国」の用いる語彙や論理は何とも的外れだった。そもそも、「イスラーム国」が本当に「ユダヤ」を攻撃すべきと思っているのなら、「アクサーの大洪水」を待つまでもなく日常的に世界中で「ユダヤ」を攻撃すればいいだけの話なので、同派がこれまでそれを怠ってきたことはイスラーム過激派としての「イスラーム国」の衰退を説明する理由でしかなくなった。

 イスラーム過激派諸派とそれを利用したり放任したりする当事者は今日も間違いなく存在するので、こちらとしてはそれらの観察を怠ることはできない。しかし、一時的なネタやアクセス数・原稿料稼ぎとして利用するのではない観察をしている立場から見ると、イスラーム過激派の衰退傾向は2023年も間違いなく続いている。パレスチナとその周辺での情勢推移が今後しばらくは重要な関心事となるのがほぼ確実な世相に鑑みると、「イスラーム過激派の世迷言に誰も耳を傾けなくなる(注:残念ながらイスラーム過激派そのものをゼロにするのはちょっと不可能だ)」という状態を実現し、筆者が失業する幸福な世界を作る機会がすぐそこにあり、みんながその機会をしっかりつかんでくれる2024年を期待したくなる。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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