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警戒情報:「イスラーム国」による対ユダヤ攻撃扇動

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

 2023年10月17日のガザ地区での病院攻撃/爆発でパレスチナ人が多数死傷したことにより、世界各地、特にアラブ諸国やムスリムが多数居住する地域での対イスラエル感情が著しく悪化した。もはや、この件についてはどのような政治的立場の者からどのような情報、証拠、資料、分析が出てきたところで、それと異なる政治的立場の者は耳もかさない状態となっており、客観的事実は世間の関心事ではない。それどころが、誰かが真面目に「真実」を見出そうとしても、そのような試みは「敵の犯罪を隠蔽するための虚言」なり「世論を敵の有利に誘導するための工作」として敵視されるだけになるかもしれない。

 そんな荒んだ世相に乗って、みんな大好き(?)「イスラーム国」がパレスチナの情勢について最新の機関誌に「ユダヤと戦うための実践的措置」と題する論説と、「パレスチナのムスリムを支援するための実践的方法」と題するインフォグラフィックスを掲載した。長年「イスラーム国」についての筆者の駄文に付き合ってくださる読者諸賢は既にご存知だろうが、「イスラーム国」には世界が「「イスラーム国」がそれと信じる正しいイスラームの信仰者とそれ以外」という、信仰を尺度とする二色でしか認識できない。従って、今般の事件も同派の目には敵はユダヤか十字軍かその手先としてしか認識できない。それを踏まえて、「イスラーム国」のご高説を要約すると、以下の通りになる。

*「イランの枢軸」(注:外交場裏では「抵抗の枢軸」と呼ばれる、ハマース、レバノンのヒズブッラー、シリア、イランなどからなる、反占領武装抵抗支持のグループ)や愛国主義、民族主義、国際法遵守の枠内での戦いは幻想である。

*戦いをパレスチナ内に限定してはならない。なぜなら、アメリカやヨーロッパでのユダヤの影響力は強大だし、ユダヤに与するアラブの背教諸政府とも戦わなくてはならないからだ。

*ユダヤの根絶の前段階としてユダヤ国家もどき(注:イスラエルのこと)を戦う実践的措置は、あらゆるユダヤの政体や同盟をたたくこと、世界中のユダヤの存在を攻撃対象とすること(具体的な例はアメリカやヨーロッパのユダヤ街区、ユダヤと十字軍の大使館、ユダヤの神殿(注:シナゴーグなどのことか?)ユダヤのナイトクラブとその客、世界中のユダヤの経済権益が挙げられている。)

*ユダヤ国家もどきを警備するアラブの背教政府・軍をたたくこと。前衛国家(注:レバノン、シリア、ヨルダン、エジプト)や、ユダヤ国家もどきを守るアメリカ軍を駐留させているアラビア半島諸国を攻撃すること。

 この扇動、確かに世界中で「イスラーム国」に共鳴する者や同派を模倣しようとする者たちを刺激し、彼らの個人的な通り魔行為が「イスラーム国」に「戦果」を提供するというかつての悪循環を再現しかねないものだ。しかし、これまで何度か紹介してきたとおり、「イスラーム国」にとって、パレスチナでのイスラエルに対する闘争や抵抗は「イスラーム国」だけが正しく振る舞い、他の闘争の主体はみーんないんちきに過ぎない。従って、今般の扇動も例えば2021年5月20日付の機関誌での扇動と同様、パレスチナの惨状に興奮した個人の通り魔行為を「戦果」として取り込むことを期待したなんだか心のこもらないものに見える。例えば、「イスラーム国」は10月16日のブラッセルでの銃撃事件を、「カリフの兵士」の作戦として自派の「戦果」として取り込んだが、その「犯行声明」なるものは「十字軍同盟に対し我々と彼らとの戦争が続いていることを知らしめる」ための作戦であると主張し、パレスチナの件をちゃんと位置付けていない。このようなことになる理由は、「イスラーム国」にとってはパレスチナでの闘争や戦闘の価値が、イラクやシリアのラーフィダやヌサイリー(注:シーア派とアラウィー派の蔑称)やアフリカの僻地のキリスト教徒を殺したり、身近な背教者(注:スンナ派だけど「イスラーム国」に従わない者たち)を殺したり虐待したりすることに劣るからだ。「イスラーム国」にとっては、パレスチナやエルサレムにこだわる闘争は有害で、アフリカやアフガンの僻地での自分たちの活動の方が、「ユダヤとの宗教戦争」にはよっぽど役に立つのだ。

 今般の扇動に類似のものとしては、2023年2月2日付の機関誌に「ユダヤ人を殺せ」という由緒正しいハディース(使徒ムハンマドの言行録)の一節に基づく刺激的なタイトルで、扇動論説を掲載した例がある。似たような扇動を繰り返している割に「戦果」があがっていないところを見ると、現在の「イスラーム国」とそのファンや模倣者たちには、本当に世界中にあるはずのユダヤ権益を攻撃する力がないということだろう。

 しかも、今般の扇動は、「パレスチナのムスリムを助ける」という名目でこれまでの「イスラーム国」の世界観や情勢認識、活動方針から逸脱して、世界中から注目されているパレスチナでの戦闘に便乗したことが明らかだ。本来の「イスラーム国」の「思想」(注:本当にそんなものがあるのなら)に鑑みると、この場面で同派が言うべきことは「パレスチナのムスリムを助けるために世界中のユダヤを殺せ」ではなくて、「パレスチナの局地戦に構っている暇があるのなら今いる場所でイスラーム統治を実践し、隣にいる異教徒や背教者を殺す方が、よっぽどエルサレムの解放やパレスチナ支援の役に立つ」だ。さらに格好が悪いことに、これまでいんちきとしてこき下ろし続けてきたハマースを「ムジャーヒドゥーン」(注:ジハードを戦う戦士たち)と呼んであからさまにすり寄ったアル=カーイダの声明と異なり、「イスラーム国」は機関誌最新号でハマースともガザとも言うことができなかった。記事の中では、僅かに「狭くて小さい“地区”」に言及し、そこでの戦闘に信仰心と爆弾ベルト(注:自爆攻撃の道具)で備えろと述べるにとどまっている。

 過日アル=カーイダ諸派が最近の情勢に便乗した扇動をしたのと同様、「イスラーム国」の扇動もイスラーム過激派による害悪とその被害を根絶するために高度な警戒と対策を要することだ。繰り返すが、イスラーム過激派がユダヤの権益と呼ぶものは、本邦を含む世界中にいくらでもある。彼らに本当にそうする意志と能力があるのなら、それはいつでも攻撃されることだろう。その際、本邦の権益や関係者が被害に遭わないためにこのような駄文を書くことが無力な筆者ができる唯一のことだ。それとともに、ここまでのアル=カーイダ諸派や「イスラーム国」の動きを見ていると、筆者がイスラーム過激派と呼ぶ存在は、紛争や政治の世界にたくさん現れる様々な主体(ハマースもここに含まれる)と同様、政治的機会に合わせて言うこととやることを変え、その正当化事由を「思想信条(注:イスラーム過激派の場合はイスラーム)」から融通無碍に引き出す者たちだということもぜひ広く知ってほしい。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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