レバノン軍が、軍用ヘリを用いた遊覧飛行ツアーを開始した。ツアーには、同軍が持つ訓練用のヘリのロビンソンR44を使用し、15分の飛行の料金は150ドルとの由である。ただ、このツアーがレバノン軍の有能さや親しみやすさを内外の人民に示すためのものでないことは言うまでもない。レバノン軍は、かねてからのレバノンの経済危機により職務の遂行どころか軍の要員や装備の維持に必要な資源にすら事欠くようになっており、遊覧飛行ツアーもレバノン軍が持つヘリの維持費を捻出するための事業なのである。

 2019年秋ごろから顕在化したレバノンの経済危機だが、長年1ドル=1500レバノン・ポンド(LP)だったレバノン通貨の価値は、現在では1ドル=1万9000LPにまで下落した。この水準は、過日紹介した「LPの硬貨の金属としての価値の方が、額面としての価値よりも高くなる」との都市伝説じみた噂が現実のものとなる状況に一層近づいたことを示すものである。こうした状況の中、レバノン軍の運営は経済危機の初期段階から危ぶまれており、ベイルート港での爆発事件(2020年8月)以前の2020年7月の時点で、要員向けの食事で肉を提供できないほどになっていた。

 レバノン軍は、連日レバノン領域への侵犯を繰り返すイスラエルに対し、阻止も抑止もできない弱体な存在ではあるが、イスラーム過激派の討伐、抗議行動の制止などの国内の治安管理に止まらず、レバノン内戦(1975年~1990年)を経たレバノンの統合を象徴するという重要な任務がある。つまり、経済危機の結果レバノン軍が維持できなくなるということは、地域のボスや政治勢力が私兵を擁し、レバノンが国家の体をなさない状態に戻ることが危惧される事態なのだ。レバノン国内には、現在も国家に頼らず、国家よりも強力な存在としてヒズブッラーが存在するが、それと類似の振る舞いをする主体が複数現れ、それが各々国外の後援者の利益を代弁してレバノンを舞台に対立・抗争を繰り返すような事態は、レバノンだけでなく東地中海地域、ひいては国際的にも悪夢と言っていいだろう。

 レバノン軍の機能不全や解体を防ぐため、フランスをはじめとする「国際社会」は援助の受け皿となるレバノン新政府の発足を待たず、レバノン国家の頭越しにレバノン軍向けの支援に乗り出そうとしている。念のため繰り返すが、この支援とは一般に連想される装備や訓練の提供という軍事支援とは異なり、本当にレバノン軍の要員やその家族の生活支援という意味での支援である。そのかいあって、最近ではカタルが今後1年にわたりレバノン軍に対し毎月70トンの食糧を提供すると表明した。ただし、このような支援は一時しのぎのものだし、この支援自体がレバノンという国家やそこにあるべき政府、そしてレバノン人民の主権というものを無視し、レバノン軍を外部の当事者の都合に従属させようとする行為に他ならない。ちなみに、諸般の危機を打開する第一歩とみなされているレバノンの新政府の樹立は、依然として全く目途が立っていない。今般のレバノン軍による遊覧飛行の実施は、「自力更生」のためのささやかな措置ともいえるが、これがレバノン軍の機能不全、ひいてはレバノン国家の解体という「悪夢」への離陸とならないことを願うしかない。