三国志ゆかりの地がすごいことになっていた

関羽像=高橋浩祐撮影

東京・上野の東京国立博物館で開かれていた特別展「三国志」が9月16日、大盛況のうちに閉幕した。

筆者は、吉川英治の小説『三国志』や横山光輝の漫画『三国志』、さらにはPCゲームの『三國志』を通じて、何十年来の三国志の大ファンだ。このため、取材の合間を縫って、最終日の16日に何とか間に合って訪れた。入口前には老若男女の多くのファンが長い行列を作って待つなど、日本での三国志の人気ぶりを改めて実感した。

東京国立博物館で開かれていた特別展「三国志」の最終日の9月16日、行列を作って待つ来場者たち=高橋浩祐撮影
東京国立博物館で開かれていた特別展「三国志」の最終日の9月16日、行列を作って待つ来場者たち=高橋浩祐撮影

特別展「三国志」広報事務局によると、7月9日に開幕し、会期62日間で33万7639人が訪れた。単純に一日平均で連日約5500人が来場した計算になる。同展は10月1日から2020年1月5日までは九州国立博物館で開催される。

三国志を代表する英雄、曹操の墓(曹操高陵と呼ばれる)からの貴重な出土品や、迫力満点のほぼ等身大の関羽の像をはじめ、会場には三国志の魅力を味わえる展示が並んでいた。

●三国志の舞台の長沙を初訪問

筆者は8月下旬、その三国志ゆかりの地で中国内陸部にある湖南省の省都、長沙市を初めて訪問した。「2019年日本新聞文化代表団」の一員として、湖南省にある中国の理想郷とも言われる桃花源や、ユネスコの世界自然遺産に登録されている張家界武陵源なども訪れた。

長沙は、1972年に発見された前漢初期の馬王堆(まおうたい)古墳でも知られる。中国古代の四大書院の1つで、中国最古の大学・岳麓書院も湖南大学内にある。この書院では哲学者の朱子や王陽明が講義をした。

中国四大書院の1つ、岳麓書院=高橋浩祐撮影
中国四大書院の1つ、岳麓書院=高橋浩祐撮影

湖南省出身で中国建国の父、毛沢東は青年時代、この岳麓書院に泊まり込んで講義を受けた。また、毛沢東は長沙市にある湖南省第一師範学校で学び、そこで教鞭も取っていた。

湖南大学にある毛沢東の像=高橋浩祐撮影
湖南大学にある毛沢東の像=高橋浩祐撮影

長沙は古くから水上交通の要衝として発展し、三国時代には孫権が率いる呉(229―280年)の国の属国となった。

長沙は、明時代に書かれた小説『三国志演義』の名場面の舞台として登場する。『三国志演義事典』(渡邉義浩、仙石知子著、大修館書店)によると、劉備軍の張飛と趙雲がそれぞれ武陵郡と桂陽郡を攻略すると、関羽は長沙郡の攻撃に向かった。そこで関羽は長沙の老将、黄忠と一騎打ちをした。黄忠の馬がつまずいて落馬すると、関羽は馬を代えての再戦を求めた。弓の名人の黄忠は、関羽の義を感じ、関羽の兜の緒の付け根を射るだけで命を取らなかった。それをとがめた長沙太守の韓玄は、黄忠を斬ろうとするが、魏延が韓玄を殺し、関羽は長沙を平定した。

1996年には、長沙市の中心部で呉の公文書と見られる木簡と竹簡が大量に出土した。簡は、呉の初代皇帝だった孫権が長沙を統治していた当時の行政文書などを主とすることが分かった。

●今や人口815万人の長沙市

三国志を通じた私の中の長沙のイメージは、悠久なる大河に囲まれた自然豊かな地だったが、実際に足を運ぶと、その大都会ぶりに驚かされた。長沙黄花国際空港から長沙市街地に向かう約45分間の車中、窓越しには30、40階に及ぶ超高層マンション群を何度も目の当たりにした。竹のように伸びる建設ラッシュ中の高層ビルも数多く目にした。筆者の地元、川崎市の武蔵小杉のタワーマンション群が何十倍も延々と続く印象だった。「中国は地震が少ないからこそ、これだけ多くの高層マンションを建てられるんだ」と心の中で叫ばずにはいられなかった。

そして、夜にはネオン看板がそこら中、これ見よがしにカラフルに点灯していた。電気の消費量は半端ではないであろう。

もちろん市街地の路地裏にも古い建物が残り、そこで果物を売る素朴な風景もあったが、全体に都会のネオンが街を彩っていた。

長沙市の人口は815万人に及び、日本の横浜、大阪、川崎の3大都市の合計人口よりも多い。筆者が以前購入した『地球の歩き方 2004~2005年版』には、長沙の人口は約570万人と記されており、人口の急激な伸びがうかがえる。

長沙の面積は1万1820平方キロメートルで、ほぼ秋田県と同じ広さを誇っている。改めて中国のスケールの大きさを感じた。

●若者人口が急増中の長沙

長沙市委員会宣伝部の高山部長は8月26日、私たち日本プレスとの会見の中で、同市の今年上半期の経済成長率は8%を超え、中国の全都市で1位を占めたと述べた。さらに、2016年から2018年の3年間で、人口が20万人も増え、人口の伸び率は中国の全都市の2位に及んでいることを明かした。

長沙市委員会宣伝部の高山部長(右)=高橋浩祐撮影
長沙市委員会宣伝部の高山部長(右)=高橋浩祐撮影

高山部長は、これら人口増の70%が大卒の学歴を有していると強調。また、人口増の70%は35歳未満だとも述べた。

さらに、長沙市が、中国メディアなどが主催する「中国で最も幸福感のある都市」に11年連続で選ばれたことをアピールした。

経済成長率が高く、人口が増えている理由は何か。

高山部長は「長沙の経済発展のスピードが速いなか、ここは生活費が安い市となっている。大学を卒業したばかりの若者が北京や上海、深センでマンションを買おうとするならば、一生仕事を続けなければならない。しかし、長沙でマンションを買おうとするならば、彼らは7年間働けばよいだろう」と述べ、長沙の生活費の安さや物価安がもたらす経済面でのメリットを指摘した。

また、長沙市にある56の大学と65万人の大学生が市の活力の源になっていると述べた。長沙の主要産業は機械や軽工業、電子情報産業、文化産業で、無人自動車の開発にも力を入れている。日本の総合スーパーマーケットの平和堂も1998年に、本社がある滋賀県と湖南省が友好提携を結んでいる縁もあり、長沙市に百貨店1号店を開店し、現在では市内で4店舗を展開している。

「長沙はまだ発展中です。長沙にいる若者が自分の夢を追いかけているように、市も自分の夢を追いかけています」。高山部長はこう抱負を述べた。若者が夢を追いかける街は、活力を得て成長する。三国志に登場する歴史ある都市で「前向き精神」を改めて学んだ。