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「デュエル王」って何? サッカーに50対50の競り合いはない。競技性の本質に迫るデータとは

杉山茂樹スポーツライター
東京五輪サッカー男子3位決定戦 メキシコGKと交錯した遠藤航(写真:ロイター/アフロ)

 サッカーはデータが少ない競技だ。打率、打点、本塁打、防御率等々、各種データで溢れかえる野球はもちろん、バスケットボール、ハンドボール、バレーボール、アメリカンフットボール、ラグビー等々と比べても、データの少なさが際立つ。個人データでは得点ランキング、チームデータでも頻繁に目にするのは、ボール支配率ぐらいだ。アシストもアイスホッケーほどクローズアップされることはない。

 とは言っても、世の中はデータの時代だ。何事も数値化し、見える化を図ろうとするのがトレンドだ。サッカーも少なからず影響を受けるようになった。かつてに比べ、様々なデータがこの世界を賑わしている。しかし、これだと言う、サッカーの本質に迫る芯を食ったデータに遭遇する機会は少ない。

 最近耳にする「デュエル王」しかり。昨季のブンデスリーガで遠藤航が輝いたというデュエル王。その数は476回だったという。同リーグの公式サイトに掲載された情報なので、信憑性について怪しんでいるのではない。1対1で強さを発揮する彼の選手像について、懐疑的になっているわけでも全くない。

 デュエル。その勝ち負けを数値化することに、どれほど正統性があるか。そこに一番の疑問を覚える。そもそも、デュエルにおける勝ち負けとは何か。1対1で対峙する2人のプレーヤーがボールを挟み、60対40、70対30の関係になる瞬間はあるだろう。52対48、51対49もあるかもしれない。だが、まったくのイーブン、50対50の関係になる瞬間はまれだ。ほぼゼロ。滅多にない。

 どちらが有利な立場にあるかは、対峙した瞬間に粗方判明している。そこで476回勝ったと言われても、はいそうですかと素直に納得することはできない。行事に導かれ、お互いが呼吸を合わせながらぶつかりあう、相撲の立ち会いではあるまいし。

 データ社会の波がサッカー界に押し寄せ始めた頃、欧州の監督や評論家はその弊害について、こちらにこう嘆いたものだ。サッカー競技のコンセプトに則るデータは数少ない。他の競技を見る目でサッカーを見る傾向が強まっている——と警鐘を促していたが、「デュエル王」はその典型だろう。1対1の強さは問われるべきだが、前提はすべて異なる。同じシーンは2つとないので、その優劣をデータ化することには無理がある。

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スポーツライター

スポーツライター、スタジアム評論家。静岡県出身。大学卒業後、取材活動をスタート。得意分野はサッカーで、FIFAW杯取材は、プレスパス所有者として2022年カタール大会で11回連続となる。五輪も夏冬併せ9度取材。モットーは「サッカーらしさ」の追求。著書に「ドーハ以後」(文藝春秋)、「4−2−3−1」「バルサ対マンU」(光文社)、「3−4−3」(集英社)、日本サッカー偏差値52(じっぴコンパクト新書)、「『負け』に向き合う勇気」(星海社新書)、「監督図鑑」(廣済堂出版)など。最新刊は、SOCCER GAME EVIDENCE 「36.4%のゴールはサイドから生まれる」(実業之日本社)

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