Yahoo!ニュース

島宇宙に沈溺する「サブカル糞野郎」の痛さを描いた映画『モテキ』

松谷創一郎ジャーナリスト
YouTubeより。

初出:朝日新聞社『論座』2011年11月01日

サブカルを介したコミュニケーション

「さっきから俺のサブカルトーク、全部打ち返してくれてんじゃん! スペック高過ぎ!」

 これは、現在大ヒットしている大根仁監督の映画『モテキ』のワンシーンだ。

 主人公はアラサーの青年・藤本幸世(森山未來)。モテない人生を歩んできた彼が、突如としてモテるようになる“モテ期(=モテキ)”が描かれる作品だ。この発言は、幸世が知り合ったみゆき(長澤まさみ)と飲んでいるときのモノローグだ。

 この作品の特徴は、マンガや音楽などサブカルアイコンが、作中に多数登場するところにもある。

 たとえば冒頭、幸世は音楽やマンガなどを扱うカルチャーサイト「ナタリー」へ就職面接で赴くが、そのとき着ているのは、故・忌野清志郎が率いたザ・タイマーズのTシャツだ。ヒロインのみゆきとはじめて会うのも、下北沢の本屋&雑貨屋チェーン・ヴィレッジヴァンガードの前だ。

 そして、カルチャー全般を扱う雑誌『EYESCREAM』の編集者であるみゆきと、幸世はマンガ『進撃の巨人』などの固有名詞で盛り上がる。美人で巨乳なだけでなく、サブカル話についてくるみゆきは、彼にとって最高の存在と見なされる。

『東京ガールズブラボー』の犬山のび太

 そんな幸世の姿に、あるマンガの登場人物がオーバーラップする。岡崎京子のマンガ『東京ガールズブラボー』の犬山のび太だ。

 1990年に連載が開始された『東京ガールズブラボー』は、80年代初頭の東京の女子高生・金田サカエを描いた物語だ。北海道から転校してきた彼女は、ラフォーレ原宿に憧れる典型的なトンガリキッズだ。そんな彼女に、同じクラスの犬山のび太は恋をする。テクノカットで黒縁メガネをかけた彼は、彼女とふたりきりになったときにこう思う。

「そうだ!! 彼女に聞かなきゃ!!/YMOでは誰が一番好き、とかさ/(中略)金田さん、君のことがもっと知りたい!!/そしてボクのことももっと知ってほしいんだよ!!/そして2人で日本一のニューウェイブ・カップルになろう!!」

(岡崎京子『東京ガールズブラボー』上巻・宝島社)

 犬山のび太と藤本幸世のモノローグは、その言葉だけを見ればとても似ている。地味な男の子が、同じ趣味を持つ異性にときめく。30年の時間は経てど、サブカル男子の姿は同じ──なのか?

岡崎京子『東京ガールズブラボー』上巻(JICC出版局)。
岡崎京子『東京ガールズブラボー』上巻(JICC出版局)。

現代の正しい「サブカル糞野郎」

 犬山のび太が生きる80年代初頭は、サブカルチャーが多様化し始めた時代だった。それは、社会が成熟した結果、若者たちのコミュニケーションが複雑化したことの反映でもある。

 そこでは、「あなたと私は同類」という共通感覚を簡単に抱くことはできない。逆に、他者と自分の違いを強く意識させられる。こうしたなかでサブカルチャーは、若者たちが「同類」を見つけるために、あるいは「異類」を排除するためのスクリーニング(ふるい分け)ツールとして機能した。

 それから30年──。

 サブカルチャーはさらに細分化していった。宮台真司の言う「島宇宙化」のさらなる進行だ。島宇宙化とは、大きな共通前提のなき社会において、共通感覚が通用する狭いコミュニティに個々が安住する状況を指す。90年代後半以降には、ネットや携帯電話の浸透によって、「同類」はさらに見つけやすくなった。『モテキ』でも、幸世がみゆきと知り合うのもTwitterだったように。

 こうしたスクリーニングの簡便さによって生じたのは、島宇宙外部との接触が減ることによる「異類」に対する想像力の低下だ。作中で描かれる幸世のひとり相撲や、関係を持った留未子(麻生久美子)に対する想像力の欠落は、それを端的に示している。彼にとってのサブカルチャーとは、島宇宙に安住するためのツール以上のものではない。その点で、彼は現代の正しい「サブカル糞野郎」だ。

社会化したオタク

 一方でゼロ年代とは、オタク文化が市民権を勝ち得た10年でもあった。オタク文化はバッシングや児童ポルノ法改正などと闘い続けながら、コミックマーケットを維持し続けてきた。

 なかでもコミケの存在は重要だ。来場者が50万人を超えるこのイベントは、「オタク」という大きな共同性を維持するための機能を持つ。細分化されたオタク島宇宙も、年に2回の祭典のためにひとつになる。結果、非社会的な存在と見なされていたオタクは、常に外部性を意識させられることで社会化してきた。

 それを踏まえると、他者への想像力も乏しい幸世の姿は、なんとも貧しい。それは、80~90年代にしばしば問題視された非社会的なオタクの姿そのものであるが、現代ではそれがサブカル島宇宙に沈溺する青年に姿を変えている。

 結局『モテキ』が(おそらく作者も意図せず)描いてしまったのは、現代のサブカル青年の痛さにほかならなかったのだ。

ジャーナリスト

まつたにそういちろう/1974年生まれ、広島市出身。専門は文化社会学、社会情報学。映画、音楽、テレビ、ファッション、スポーツ、社会現象、ネットなど、文化やメディアについて執筆。著書に『ギャルと不思議ちゃん論:女の子たちの三十年戦争』(2012年)、『SMAPはなぜ解散したのか』(2017年)、共著に『ポスト〈カワイイ〉の文化社会学』(2017年)、『文化社会学の視座』(2008年)、『どこか〈問題化〉される若者たち』(2008年)など。現在、NHKラジオ第1『Nらじ』にレギュラー出演中。中央大学大学院文学研究科社会情報学専攻博士後期課程単位取得退学。 trickflesh@gmail.com

松谷創一郎の最近の記事