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寝屋川事件・山田浩二死刑囚が控訴取り下げの無効申し立てを行うに至った経緯

篠田博之月刊『創』編集長
死刑確定後、5月28日に届いた山田死刑囚からの最後の手紙

 寝屋川中学生殺害事件で山田浩二死刑囚が5月18日に控訴取り下げを行ったことは既に報じられているが、5月30日、その控訴取り下げを無効とする申し立てを行い、31日から一斉に報道されている。毎日新聞が31日朝刊で抜いたのだが、NHKや他紙もその後一斉に報じている。手続きを行った弁護人が会見は行わないということにしたため、31日は朝から、私のところに新聞社やNHKなどから取材が次々と入った。

 控訴を自ら取り下げて死刑を確定させてしまったことにも驚いた人は多かったろうが、それに対してまた無効申し立てによって撤回をという、この流れは多くの人にはわかりにくく意味不明と映っていると思う。今回の件には私がかなり関わっており、NHKや朝日新聞などの報道にも私のコメントが載っているのだが、短いコメントだからなぜ私がそこに登場するのかも含めてわかりにくいと思う。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190531-00000035-asahi-soci

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190531/k10011936051000.html

 ここで一連の経緯を整理しておきたい。

(注:この記事は31日夜に書いたものだが、日付を誤記した箇所があったので6月1日15時過ぎに修正している)

 この取り下げ無効の申し立てを行うことは、5月27日の弁護人と山田死刑囚の接見時の打ち合わせで決まったものだが、私も23・24日の接見で山田死刑囚の気持ちは聞いていたし、その後、28日には細かい経緯を書いた山田死刑囚からの速達も届いた。手紙の全文は次号の『創』7月号(6月7日発売)に掲載される。

今回の件は裁判の意義をめぐる大事な問題を提起している 

 この件、単に山田死刑囚が延命を図って手続きしたと思われかねないのだが、もっと大きくて大事な問題を含んでいる。裁判は被告人の処罰を決めるのも大事な目的だが、社会が同様の犯罪を予防するためにもっと大切なのは、事件の真相を解明することだ。それがなされて初めて、社会がどう対応すべきかという議論もできる。

 寝屋川事件は、1審の審理で動機の解明がきちんとできていない。山田死刑囚の犯行と発達障害の関係についても審理の中で言及はされたが、十分な究明はできていない。2審の弁護人は発達障害に造詣が深いと言われる弁護士だし、私も2審でもっと踏み込んだ真相が解明されることを期待していた。また山田死刑囚自身、2審の裁判を受けることを望んでもいた。

 それがどうして突然、控訴取り下げに至ってしまったかというと、5月18日の夜、手紙を書くために山田死刑囚が借りていたボールペンを返納時間の18時になっても戻せず、刑務官と口論になったことから、パニックになった山田死刑囚が冷静な判断を欠いたまま取り下げをしてしまったということだ。ボールペン1本をめぐるトラブルで大事な裁判が中止になってしまったというのは、山田死刑囚の死刑がどうなるといった問題以上に、裁判本来の趣旨から考えてありえないことだと思う。

 

 私は5月23日に山田死刑囚本人から話を聞いて、これは到底納得できないと、ヤフーニュースに記事を書いた。

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20190523-00127078/

 死刑判決の控訴を取り下げた山田浩二死刑囚に接見。到底納得できないと思った

 納得できないというのは、山田死刑囚のためにということではない。国民にとっての裁判の大事な意味がないがしろにされてしまうと感じたからだ。24日にも接見して、その思いはますます強くなった。

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20190524-00127258/

 寝屋川事件・山田浩二死刑囚が控訴取り下げ後二度目の接見で語ったこと

 だから何とかして2審の裁判をきちんとやってもらえないか、できるだけのことをしようと考えた。この間の経緯については、次号の『創』7月号の山田死刑囚の手記への解説として書いた記事があるので、この主要部分を以下に掲載する。

控訴取り下げをめぐる一連の経緯

 《山田被告が控訴を取り下げたという報道は5月21日、朝日新聞のスクープだった。朝日新聞デジタルに「寝屋川中1男女殺害、死刑が確定 被告が控訴取り下げ」の記事が13時30分に配信された。

 それを見て他社が一斉に動いた。大阪拘置所に駆けつけて接見ができた毎日新聞は翌日の朝刊に記事を書き、同日23時32分にネットで配信した。

 実は21日朝に朝日新聞の記者も接見を申し出ていたのだが、山田死刑囚が拒否したらしい。その日は教誨師が訪れる予定だったので断わったのではないかと言われている。

 22日早朝、各社が拘置所を訪れ、一番早く申し込み手続きを行った読売新聞記者が山田死刑囚に接見。その日の夕刊に記事が載った。23日と24日も報道陣は早朝からつめかけたのだが、私が接見に行くことを知っていた山田死刑囚は、全ての申し込みを断った。

 ちなみに22日には1審の弁護人、23日には2審の弁護人も訪れていたが、山田死刑囚はいずれも拒否している。私は24日に接見した時に山田死刑囚に対して、「こんな時に弁護士の接見を断ってはだめだ」と説得した。

 私は23日に接見して控訴取り下げをめぐる経緯を聞き、これは到底納得がいかないと思った。死刑がかかっている裁判が、たった1本のボールペンをめぐるトラブルで中止になるなどありえないことだ。そしてすぐに2審の弁護人やいろいろな関係者に連絡をとり、打つ手はないか相談した。

 この事件はまだわからないことだらけで、犯行動機も解明されていなかった。だからこそ2審は大事なのに、それがこんなことで中止になるのは、山田死刑囚の死刑云々以上に、裁判の意義を否定するものだし、被害者たちも浮かばれないと思う。

 死亡した平田奈津美さんの遺族は共同通信の取材に「刑が確定してほっとしています。しかし、殺された理由や詳しい事実は結局分からないままとなりました。この点には到底納得がいきません」とのコメントを出している。1審で裁判員を務めた男性も毎日新聞の取材に応じて「真相を究明する道は閉ざされたと感じる」というコメントを発していた。

 山田死刑囚は当初、読売新聞の取材に「(死刑になることが)自分にできる唯一の贖罪。結果として遺族に望ましい方向になったので、あまり後悔はない」と語っていた。この時点では、もう決めてしまったのだから仕方ないと思っていたのだろう。

 しかし、私が23・24日の両日、控訴取り下げ無効の申し立てを裁判所にすべきだと話すと、彼も「本当は後悔している。死刑になることはともかく、こんな形で取り下げたのは、これまで応援してくれた人に申し訳ない」と話すようになった。控訴取り下げのニュースを見て、知人からも次々手紙が届いていたようだ。

 24日の接見は、その日が最後だろうと言われる中で行われた。ただ、実際には27日も接見は可能だったようで、28日に取材に行った記者に初めて接見禁止が告げられた。

 今回の騒動でいろいろな人に相談して話を聞いた。なかには控訴取り下げがこんなふうに簡単になされてしまうのは日本の司法制度の不備ではないかという意見もあった。

 今回の山田死刑囚の場合は、本人がパニックに陥って判断力がなかった時に取り下げがなされたものだ。ぜひ控訴審は予定通り行われてほしい。山田死刑囚も、取り下げ前までは、1審の裁判員裁判と異なる判断がなされるのかどうかも含めて、控訴審には期待していると言っていた。それがこんなことでなされないことになるのは、誰にとっても利益をもたらさないと思う。》

控訴取り下げ無効を申し立てた過去の事例

 控訴取り下げによって一度死刑が確定したものを、再び無効申し立てによって覆すのは当然、簡単にはいかない。

 この間、取り下げ無効の申し立てがなされた過去の事例として取りざたされているのは、私も関わった奈良女児殺害事件の小林薫死刑囚(既に執行)と、もうひとつ1991年に控訴取り下げがなされた横浜での藤間静波死刑囚(既に執行)のケースで、前者は申し立てが棄却されたが、後者は判断力を欠いていたと認められて控訴審が再開している。

 2つのケースともそれぞれ特殊な事情があるから、今回のケースは単純に前例にあてはめるのは困難だ。しかし、これを機会にこういうケースについてきちんと議論し、裁判所の判断を仰ぐべきだと思う。というのも、被告が控訴を取り下げるケースというのは、池田小事件や土浦無差別殺傷事件など、幾つかの凶悪事件で目につくからだ。最近の川崎での無差別殺傷事件もそうだが、自分が死んでしまおうと考えて、無関係の人を無差別殺傷する事件の場合、もともと死のうと考えて事件を起こしているから最高裁まで争う意味はない。

 寝屋川事件の場合、そこは違うのだが、社会の中で自分が追い詰められていっているという意識が背景にあるという意味では、山田死刑囚の場合も通底する部分もある。

 問題なのは、池田小事件も奈良女児殺害事件も、死ぬつもりで事件を起こした人に死刑判決というのが「究極の刑罰」になっていないことだ。だから今回の寝屋川事件も、死刑判決で事件は終わったということでなく、あくまで事件の真相を明らかにすることが大事なことだという認識を、ぜひ多くの人に持ってほしいと思う。

 山田死刑囚は今回のような控訴取り下げについては後悔していると明言しているが、では死刑判決について彼がどう考えているのかについて、最近の手紙でも揺れ動く心情を吐露している。死ぬことへの恐怖は、彼の場合、明らかにあるからだ。それについては、これまで『創』に掲載された2つの手記と、6月7日の号に掲載される手記を読んで考えてほしい。過去2つの手記は下記から読むことができる。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190521-00010000-tsukuru-soci

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190521-00010001-tsukuru-soci

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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