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「アーケードゲーム博物館計画」が存続の危機に 貴重なコレクションは次世代に残せるのか

鴫原盛之ライター/日本デジタルゲーム学会ゲームメディアSIG代表
アーケードゲーム博物館計画主催「倉庫開放」のイベント会場(※筆者撮影。以下同)

有志団体アーケードゲーム博物館計画は、懐かしのアーケードゲームが無料で遊べるイベントを、9月23~24日にかけて埼玉県熊谷市で開催した。

アーケードゲーム博物館計画は、代表の伊藤けい氏を中心とする、個人でアーケードゲームを所有する13人のメンバーが集まり、2012年からタイトー熊谷ビル内の倉庫で「倉庫開放」と題した上記イベントを不定期に開催している。各メンバーは古いビデオゲームの基板だけでなく、個人で管理するのは極めて難しい、かつ非常に貴重な大型の体感筐体(きょうたい)も豊富にコレクションしている。

「倉庫開放」の会場には1日あたり約200人が来場し、終日大盛況となった。今回は、CESA(一般社団法人コンピュータエンターテインメント協会)が主催するゲーム展示イベント、TGS(東京ゲームショウ)の開催期間と重なったこともあり、TGSとの掛け持ちでやって来た外国人客もかなり目立ったそうだ。

「倉庫開放」の会場
「倉庫開放」の会場

中でも特に人気を集めたのが、1993年にナムコが発売した、大型体感3Dシューティングゲーム「ギャラクシアン3 プロジェクトドラグーン シアター6」で、筆者が取材した24日は、開場直後から30~40分待ちの行列ができるほどの盛況ぶりだった。

「ギャラクシアン3」は、大型プロジェクター2台をつなぎ合わせた巨大スクリーンとコックピットを模したシートを使用し、最大6人まで同時に遊べる特徴を持つ。その大きさは乗用車よりもはるかに大きく、90年代後半の時点で稼働していたゲームセンターは、全国でも数えるほどだったと記憶している。

これだけ大掛かりなアーケードゲームを有志のメンバーが保有し、しかもちゃんと稼働する状態でメンテナンスしているのはすごいことだ。

今では極めて貴重な「ギャラクシアン3」の筐体。現存する筐体は「アーケードゲーム博物館計画」が保有するもの以外は、ほぼゼロに近いだろう
今では極めて貴重な「ギャラクシアン3」の筐体。現存する筐体は「アーケードゲーム博物館計画」が保有するもの以外は、ほぼゼロに近いだろう

近々の移転を余儀なくされ、団体存続の危機に

「開催している」と述べたが、実は同団体による「倉庫開放」は、今回でひとまず最後となる。その理由は、タイトーが熊谷倉庫の設備の問題により移転を決定したため、11月30日を期限として新たに倉庫を探すことになったからだ。

代表補佐の池上巌氏によると、タイトーには月々の家賃を納めることで倉庫の提供だけでなく、メンテナンス時にアドバイスや技術的なサポート、古い機器の部品を融通してもらうなどの協力を得ており「たいへんお世話になった」とのこと。熊谷倉庫の閉鎖決定は、同団体にとって痛恨の出来事だったことだろう。

会場で人気を集めた、大型体感筐体を使用したアーケードゲーム
会場で人気を集めた、大型体感筐体を使用したアーケードゲーム

団体の全メンバーは会社員など本業を別に持っており、タイトーへの家賃や日々のメンテナンスにかかる費用は、各メンバーの持ち出しと「倉庫開放」時に来場者から受け取ったカンパによって賄われている。従って、ほぼゼロの状態から新たな倉庫を探し出し、コレクションを輸送するための費用を確保する必要がある。

移転先は現時点ではまだ決まっていないが、同団体のホームページで希望する物件の諸条件を公表したところ、いくつかの打診があったという。また、熊谷での「倉庫開放」が最後になることを知った来場者からのカンパも普段より多く集まったそうだ。

池上氏によると、移転先を決めるにあたりポイントとなるのが、今後も「倉庫開放」などのイベントが開催できるかどうかだという。

「倉庫はあっても電源がなかったり、周辺に駐車場がなかったりすると、イベントの開催には向かないんです。倉庫と、イベントができる展示スペースが1か所に納まる物件が望ましいですが、場合によっては倉庫と展示スペースを別々に借りることも考えています。それから、我々が持っている筐体などを貸し出して、倉庫を省スペース化することも検討しています」(池上氏)

懐かしのテーブル筐体が並んだコーナー
懐かしのテーブル筐体が並んだコーナー

アーケードゲーム博物館計画のホームページには「物件が見つからない場合、筐体を売却して保有機器の縮小、活動の休止、解散も視野に入れております」と書かれている。

もし11月30日までに移転が不可能に、実際にはスケジュールの関係上、移転先と筐体の輸送計画を10月中に決定できなかった場合は、同団体が保有するゲームはどこへ行ってしまうのだろうか?

池上氏によると「中古の流通業者さんに、引き取りのご相談をすることになると思います」という。だが前述の「ギャラクシアン3」は、たとえどんなに売りたくても簡単には売れない事情がある。

本作は、設置やメンテナンスの手間が非常にかかるだけでなく、営業中は遊園地のアトラクションと同様にオペレーターの手配が必須であり、高コストゆえ相応の利益を見込むのは難しい。よって、本作の売却を持ちかけても「おそらく、どこも引き取ってくれないでしょう」と池上氏は言う。

ほかにも、各メンバーが多忙なため修理に手が回らず、故障したままの筐体も少なからずあるという。

「普段の仕事が忙しくて、修理に手が回らず故障したままの筐体も、移転先が見付からなければ産廃にならざるを得ないですし、産廃にも費用がかかってしまう問題があります」(池上氏)

「倉庫開放」会場に設置された「カンパ箱」
「倉庫開放」会場に設置された「カンパ箱」

遊べる場も含めて保存を目指す「アーケードゲーム博物館計画流」アーカイブ

以前に拙稿「マンガ・アニメ・ゲームの国際拠点は本当に作れるの? 『MANGA議連』に聞いてみた(前編)」および同「後編」でも書いたが、超党派の国会議員が結成したMANGA議連は現在、マンガ・アニメ・ゲームの国際拠点やアーカイブを可能とする施設「メディア芸術ナショナルセンター(仮称)」の、およそ5年後のオープンを目指して活動を続けている。

個人や有志の集まりでは特に保存が難しい、大型体感筐体を使用したアーケードゲームは、いずれは行政などが管轄する専門施設が実施するべきなのか? その大変さを身をもって知る池上氏に聞いてみたところ、以下のようなコメントをいただいたので紹介する。

「大型のアーケードゲームをアーカイブする所は、現時点ではありませんし、個人で出せる資金は限られますので、将来的には国やアカデミーなどの組織でアーカイブするのがいいとは思います。

ですが、もし我々のコレクションを『提供してほしい』と言われても、現段階ではどう協力すべきなのか、正直あまり考えていません。なぜなら、我々は自分たちで遊びの場を提供することも考えているからです。組織にゲームを納めた瞬間から、我々が自由に動かせる持ち物ではなくなる、単なる『収蔵品』になってほしくないという思いがあります。

我々は、ゲームは遊べることが重要だと考えておりますので、例えば『ギャラクシアン3』がずっと倉庫にしまわれたままになると、持っている意味がなくなってしまうのではないかと思います。ゲームを後世に残すことはもちろん大事なことですが、我々は世の中に遊ぶ人がいる状態も含めて伝えていきたい思いがあるんですね。

これからも、皆さんにゲームを遊んでいただける環境をなるべく維持したいと思っています。我々の活動にご理解、ご協力をいただき、また『倉庫開放』などのイベントの開催が決まった際は、ぜひご参加下さい」(池上氏)

2005年に発売された元祖「アイドルマスター」も、ちゃんとセーブデータを保存するためのカードが使える状態で稼働していた
2005年に発売された元祖「アイドルマスター」も、ちゃんとセーブデータを保存するためのカードが使える状態で稼働していた

アーケードゲーム博物館計画の活動状況やスタッフの意見は、いずれ行政やアカデミー界隈などがアーカイブを進めるうえで、とても重要な示唆をしているように思えてならない。

倉庫移転までのタイムリミットは、刻一刻と近付いている。同団体が望むとおりの移転先が一日でも早く決まり、今後も貴重なアーケードゲームの保存と「倉庫開放」イベントが継続されることを祈りたい。

(参考リンク)

・有志団体アーケードゲーム博物館計画のホームページ

ライター/日本デジタルゲーム学会ゲームメディアSIG代表

1993年に「月刊ゲーメスト」の攻略ライターとしてデビュー。その後、ゲームセンター店長やメーカー営業などの職を経て、2004年からゲームメディアを中心に活動するフリーライターとなり、文化庁のメディア芸術連携促進事業 連携共同事業などにも参加し、ゲーム産業史のオーラル・ヒストリーの収集・記録も手掛ける。主な著書は「ファミダス ファミコン裏技編」「ゲーム職人第1集」(共にマイクロマガジン社)、「ナムコはいかにして世界を変えたのか──ゲーム音楽の誕生」(Pヴァイン)、共著では「デジタルゲームの教科書」(SBクリエイティブ)「ビジネスを変える『ゲームニクス』」(日経BP)などがある。

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