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「勝ちたい」と語る金杯を制したベテラン騎手の、向上心を感じさせた“ある出来事”

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
中山金杯(GⅢ)を制したリカンカブールと津村明秀騎手

昨秋の出来事

 昨秋、彼から1本の電話が入った。私が藤田菜七子騎手の取材のためスペインにいた時だから、9月下旬の話だ。
 電話の主は津村明秀。
 9月16日の競馬で騎乗停止処分を受け、同月30日と10月1日の競馬に乗れなくなっていたので、ピンときた。
 「凱旋門賞を見に行きたいので手配出来ませんか?」
 そう言われると思った。しかし、その予想は微妙に違っていた。やはり「外国の競馬を見に行きたい」という相談だったが、凱旋門賞ではなかった。騎乗停止期間は僅か2日という事で、フランスまでは飛べないが、近隣国の競馬を見て学びたいという話だったのだ。
 そこで当方から現地の知人に連絡をして、協力を仰ぐと快諾していただいた。その旨を津村に伝えると、彼はすぐに機上の人となり、実際に異国の競馬を自らの目で確かめに行った。当時37歳。すでに中堅からベテランになろうかという域に達していたが、向上心を忘れず、転んでもただでは起きぬ姿勢には感心したものだ。

津村明秀騎手
津村明秀騎手

競馬の神様の遊び心

 さて、そんな成果がすぐに出たというわけではないだろうが、JRAの開幕を告げる今年の中山金杯(GⅢ)で、リカンカブール(牡5歳、栗東・田中克典厩舎)に騎乗した彼は、インをロスなく立ち回ると、4コーナーでは勢いを削ぐ事なく外へ出し、最後は見事に先頭でゴールを駆け抜けてみせた。

道中は上手にインでロスなく回った中山金杯でのリカンカブール
道中は上手にインでロスなく回った中山金杯でのリカンカブール

 デビュー時より「勝ちたいレースは金杯」と言っていた彼が、中山金杯を優勝するのはこれが初めて。しかし、2009年にはタマモサポートを駆って京都金杯(GⅢ)なら勝った経験があった。津村が「金杯を勝ちたい」と言うのには勿論、理由があった。
 船橋競馬場の近くで彼が生まれのが、1986年の1月5日。昔は必ず金杯が行われていた固定日が、この1月5日だったのだ。
 しかし、ずっと5日に固定されていた東西の金杯が、07年にはいきなり6日に変更された。翌08年はまた5日に戻ったものの、更に翌年の09年は逆に1日早まって4日に行われた。ところが、この年、1日早い4日に開催されたのは、関東圏の中山金杯のみ。関西圏の京都金杯は何故か例年通りの5日に行われると、先述した通り、津村はこれを優勝した。ちなみに、毎年、東西金杯は同一日に行われるのが習わしで、これ以前は勿論、これ以降もただの1度の例外もなく同じ日に行われているのに、この年だけ何故か1日ズレて開催されると、それがまるで津村のためだったように、彼が優勝したのだ。津村は美浦所属の関東のジョッキーであるが、4日の中山金杯ではなく、5日に行われた京都金杯に騎乗して、見事にバースデーVを飾る事に成功したのも不思議な何かを感じたものである。

タマモサポート(写真は2009年安田記念出走時)
タマモサポート(写真は2009年安田記念出走時)

 それから干支がひと回り以上。14年の歳月を経て、今年はついに関東圏の中山金杯を優勝した。しかし、今回はまた6日の開催となっていた。近年は昔のように5日の開催に固定されていたのだが、今年は6年ぶりに開幕がズレていたのだ。
 5日ではなくなったと思われた09年は5日に勝利し、再び5日に固定されたと思われた今回は、6日の優勝劇となった。競馬の神様のちょっとした遊び心に、白い歯をこぼした津村だが、38歳になってもまだ向上心を持ち続ける彼が、今年はGⅠの大舞台でも先頭でゴールインするシーンを見てみたい。そう思わせた昨秋の出来事と、今回の勝利であった。

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)






ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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