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引退前日のペリエの行動と、秘蔵写真で紹介する武豊やデットーリとのエピソード

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
引退を発表したO・ペリエ(右)と大親友の武豊

ペリエが引退を発表

 フランスの名手オリビエ・ペリエ騎手の引退が発表された。
 「フランス人とイタリア人のハーフだからね」と言う彼は、フランス人のイメージとは少々異なるかなり明るい性格の持ち主。毎年、短期免許を取得して来日していた頃は、その陽気さから日本でのファンも多かったし、日本やフランス等お国を問わず、誰とでもうまく接するので、彼を慕う仲間も沢山いた。現在は日本での通年免許を取得しているクリストフ・ルメールが、最初に短期免許で来日する際は、日本での経験豊富なペリエに、色々とアドバイスをもらったそうだ。

通年免許を取る前のルメール騎手(左)と来日にあたって沢山アドバイスをしたというペリエ騎手(06年、フランスにて撮影)
通年免許を取る前のルメール騎手(左)と来日にあたって沢山アドバイスをしたというペリエ騎手(06年、フランスにて撮影)


 また、来日するのはヨーロッパがシーズンオフとなる冬場がほとんどだった事から、親友である武豊からは「冬の風物詩」と呼ばれた。今でこそレジェンドとして世界中に知られる武豊だが、若手として、最初にフランスへ渡った頃は現地での知名度はそれほどではなかった。そんな中、ペリエは最初から優しく、仲良くしてくれたと言う。ペリエを、親しみを込めて「オリビエ」と呼ぶ武豊が述懐する。
 「最初にフランスへ渡った頃、競馬場のロッカーがオリビエの近くでした。初めての競馬場で、動線等も分からない時、いつも助けてくれたのが、若き日のオリビエでした」

若き日の武豊騎手(左)とペリエ騎手(フランスにて撮影)
若き日の武豊騎手(左)とペリエ騎手(フランスにて撮影)

 2001、02年にフランスをベースに滞在した際には、競馬場だけでなく、プライベートの面でもよく助けてくれたそうだ。当時、私も取材と応援を兼ねて幾度もフランスへ飛んだが、現地では武豊共々、ペリエ邸に呼ばれ、食事をしたり、ゲームをしたりと遊んだものだ。
 ペリエの趣味としてかの地でよく知られているのは、ペイントボール。全身に防具を着けて、ペンキの入った弾をモデルガンで撃ち合い、陣取り合戦をするというサバイバルゲームさながらの過激なゲームで、ペリエ邸の広大な庭にその競技場があった。
 ある日、武豊と私とで、ペイントボールに誘われた事があった。丁重にお断りしたのだが、翌朝、ペリエに会って驚いた。彼の顔には大きな傷跡が付いており、聞くと前日のペイントボールのプレー中に負った外傷だという。武豊と顔を見合わせて「行かないで良かった」とホッとしたのを覚えている。

素晴らしい性格の持ち主

 また、01年にはこんな事もあった。ドーヴィルで騎乗していた武豊が落馬し、骨折してしまった際の話だ。次に騎乗を予定していた馬に誰が乗るか?となった時、日本から武豊を慕って現地を訪れていた池添謙一に白羽の矢が立てられた。しかし、池添は乗るつもりで競馬場にいたわけではないので、道具を何も持っていなかった。そこで名乗りを出てくれたのがペリエだった。池添は武豊とペリエの2人からヘルメットや鞭、ブーツなどを借り、武豊に「1人ワールドオールスタージョッキーズ」と言われて、フランス初騎乗を果たしたのだ。

池添謙一騎手(右)のフランス初騎乗をお手伝いするペリエ騎手(01年撮影)
池添謙一騎手(右)のフランス初騎乗をお手伝いするペリエ騎手(01年撮影)


 ペリエの人柄の良さが分かるエピソードは事欠かない。
 19年にある雑誌の企画で「武豊×フランキー・デットーリ 、スペシャル対談」をやった事があり、その進行役兼ライターとして、呼ばれた事があった。
 その席で、世界を代表するこの2人のジョッキーが口を揃えて熱く語ったのが、ペリエの人間性の素晴らしさだった。故に2人の共通の親友として、ペリエの名が上がったのだ。この時、デットーリは次のように言った。
 「あんなに寛大な性格の良い人はなかなかいない。フランスへ行った際は、僕もユタカも彼に随分と助けられていると思うよ。同時に、技術面も世界トップクラス。人気薄の馬で思い切った騎乗をして穴をあけても、オリビエなら驚かない。性格の良さと技術の高さ、両方を兼ね備えているのはオリビエとユタカくらいだね」

デットーリ騎手と武豊騎手は口を揃えて「オリビエは素晴らしい性格の持ち主」と語る
デットーリ騎手と武豊騎手は口を揃えて「オリビエは素晴らしい性格の持ち主」と語る


 かくいう私も度々取材面で助けてもらい、その性格の良さはよく分かっていた。「◯◯について教えてほしい」と言えば、すぐに折り返しがあり、時にWhatsAppや電話で、時には競馬場や自宅に招いてくれて時間を割いてもらえた。

ペリエ邸での一葉。「こんなふうにトレーニングしているよ」と言いながら見せてくれたサービスシーン
ペリエ邸での一葉。「こんなふうにトレーニングしているよ」と言いながら見せてくれたサービスシーン

騎手にとって最も大事な事とは

 そして、デットーリが言う技術面に関しては、私などの計り知れないそれを持っている事は、実績が証明している。地元最大のレースである凱旋門賞(GⅠ)は3連覇を含む4勝、日本の有馬記念(GⅠ)も3連覇なら名牝ゴルディコヴァを駆ってアメリカのブリーダーズCマイル(GⅠ)での3連覇も衝撃的だった。

ゴルディコヴァで08年のブリーダーズCマイル(GⅠ)を制覇。この年から3年連続で同レースを勝利する事になる
ゴルディコヴァで08年のブリーダーズCマイル(GⅠ)を制覇。この年から3年連続で同レースを勝利する事になる


 これらの実績を残せた要因が何か、本人に聞いた際、ペリエは次のように答えた。
 「僕はトロット競馬のライダーもやった事があるし、サンモリッツの氷上競馬で乗った事もある。そういった経験が色々なところで活きているのはあるんじゃないかな。勿論、日本の競馬で学んだ事も沢山あったよ。今でもそうだけど、フランスは皆、逃げるのを嫌がるけど、日本では逃げも戦法の1つだと教わった。これも、その後の騎手人生に於いては大きかったね」
 そんな素晴らしいジョッキーに、以前「騎手にとって最も大事な事は何ですか?」と聞いた事がある。その時の彼の答えがこうだ。
 「ペース判断や折り合いをつける事、うまくコントロールしてあげる事、ジョッキー同士の駆け引きに勝つ事。全て大事だけど、それらは手段に過ぎない。騎手にとって大事な事。それは勝つ事に於いて他にないよ」
 いかにも彼らしい格好良い答えだと感じたモノだ。

ペリエ邸には日本競馬での思い出の品も沢山置かれていた
ペリエ邸には日本競馬での思い出の品も沢山置かれていた


 話は変わるが私は4軒のペリエ邸にお邪魔した事がある。彼は引っ越しが趣味と思えるほど、何年かに1度、住居を変えていた。いずれも馬の街で知られるシャンティイかその周辺での転居だったが、数年前にはシャンティイを離れ、南フランスに住んだ時期があった。さすがにその家へは行かなかったが、当時「娘(メーガン・ペリエ騎手)もデビューしたし、僕は必要なレースだけ乗って、あとはゆっくり過ごすよ」と語り、リタイアを匂わせた。しかし、その後、再びシャンティイに戻って来たため、安堵していただけに、今回の引退発表は残念だ。

娘のメーガン・ペリエ騎手と
娘のメーガン・ペリエ騎手と


 現地25日に最後の騎乗を迎えるという彼に、前日の24日、連絡をした。ラストライドを目前に控え「何をしているの?」と聞くと、彼は答えた。
 「今はただ、明日の競馬のためのトレーニングをしているだけさ」
 最後の1日、最後の1鞍までプロのジョッキーとして手を抜かない。そんな彼の騎乗がもう見られなくなるのは残念でならない。

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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