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1941年の新年を祝して仮装したラトビアのユダヤ人16人の写真:ホロコーストを生き残れたのは3人のみ

佐藤仁学術研究員・著述家
(ヤドバシェム提供)

第2次世界大戦時にナチスドイツによって約600万人のユダヤ人が殺害された、いわゆるホロコースト。イスラエルにはホロコースト犠牲者を追悼したヤド・ヴァシェムという博物館がある。

2021年12月31日にヤド・ヴァシェムのツイッターで1枚の写真を紹介していた。1940年12月31日の夜に1941年の新年を祝うために集まったラトビアのリガの16人のユダヤ人の男女だ。仮装パーティで楽しそうに写真に写っている。リガは1940年12月にはソビエトが侵攻支配していた。そして1941年6月にはナチスドイツが侵攻してきて、ラトビアのユダヤ人はアクティオン(行動)と呼ばれる大虐殺や、強制収容所に移送されて処刑されてしまった。もしくは「ナチスドイツに殺されるくらいなら」とソビエトが多くのユダヤ人をシベリアに移送してシベリアで労働に従事させられて死亡した。

戦前のリガには人口の3分の1にあたる約4万人のユダヤ人がいたが、ほとんどが死亡した。リガの重要な経済やビジネスはほとんどがユダヤ人で、弁護士の25%がユダヤ人だった。この写真に写っている16人のうち生き残ったのは3人だけだ。2人は名前もわからない。

ヤド・ヴァシェムでは約480万人のホロコースト犠牲者のデータベースがあり、それらは世界中からネット経由で閲覧することもできる。約600万人のユダヤ人が殺害されたが、残りの120万人は名前が判明していない。第2次世界大戦が終結して70年以上が経過し、ホロコースト生存者の高齢化が進んできた。生存者が心身ともに健康なうちにホロコースト時代の経験や記憶を証言として動画で録画してネットで世界中から視聴してもらう「記憶のデジタル化」が進められている。

またヤド・ヴァシェムでは、このような当時の写真のデジタル化とオンラインでの展示も進めている。現在のようにスマホで誰もが簡単に撮影できる時代ではなかった。80年前はカメラも物凄く貴重なものだった。今のように若い人でもスマホで日常の写真を大量に撮影できる時代でなかった。カメラも裕福な家庭なら1家に1台あったが、多くの人は友人や親せきから借りてきて使っていたり写真屋さんに撮影してもらっていた。だから結婚式やユダヤの成人式、このような新年を祝ったパーティ、休暇で旅行に行った時など特別な記念日しか写真撮影はできなかった。そして1枚1枚の写真が全てのユダヤ人の思い出が詰まっている。

さらにヤド・ヴァシェムではホロコースト犠牲者の身元確認とデータベース構築も進められているが、ナチスドイツによって完全に消失したユダヤ人集落などもあり、全ての犠牲者の名前や写真を収集してデータベースに格納することは難航している。また写真だけは辛うじて残っているが、それが誰の写真なのか全くわからないものも多い。

この写真でも16人のうち2人は誰だかもいまだにわからない。特に旧東側諸国の国では冷戦期に情報開示をいっさいしなかったことから、その期間に失われてしまった情報、写真や文書、亡くなってしまったホロコースト生存者がとても多い。ナチスドイツも殲滅する予定だったユダヤ人の写真は一番不要なものだったし、冷戦期の旧ソ連もホロコースト時代のユダヤ人殺害の話題はタブーだったので、このように写真が残っているだけでも奇跡的なことだ。

学術研究員・著述家

グローバルガバナンスにおけるデジタルやメディアの果たす役割に関して研究。科学技術の発展とメディアの多様化によって世界は大きく進化してきました。それらが国際秩序をどう変化させたのか、また人間の行動と文化現象はどのように変容してきたのかを解明していきたいです。国際政治学(科学技術と戦争/平和・国家と人間の安全保障)歴史情報学(ホロコーストの記憶と表象のデジタル化)。修士(国際政治学)修士(社会デザイン学)。近著「情報通信アウトルック:ICTの浸透が変える未来」(NTT出版・共著)「情報通信アウトルック:ビッグデータが社会を変える」(同)「徹底研究!GAFA」(洋泉社・共著)など多数。

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