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どういう意味?謎だらけの「関税同盟は抜けるが規制領域に入る北アイルランド」:ブレグジットでイギリス案

今井佐緒里欧州/EU・国際関係の研究者、ジャーナリスト、編集者、作家
ドミニク・カミングス。首相の戦略の特別アドバイザー、Vote Leaveの監督(写真:ロイター/アフロ)

昨日の記事では、政治的な面にフォーカスを合わせたので、今日はもっと内容を具体的に詳細に考えてみる。

<参考記事>全訳:イギリスのジョンソン首相から、EUのユンケル委員長へブレグジット新提案を書いた4枚の手紙

謎の「規制領域」

ジョンソン首相は、10月2日にユンケル委員長に4枚に渡る公式の手紙を出した。それによると提案した北アイルランドの位置づけは、以下のようなことだ。

◎イギリスは欧州連合(EU)から離脱するのだから、英領である北アイルランドもEU関税同盟から離脱する

◎しかし北アイルランドは、他の英国の地域と異なり、EU単一市場のようなものには残る。

◎移行期間終了時、その後は4年毎に、北アイルランド議会はこの状態を続けるかどうか、採決することができる。事実上の「拒否権」である。

この文書の中に、「EU単一市場」という言葉は、この文書にはたった一度しか出てこない。それも「いかなる発生するリスクも、EUの単一市場と、英国市場の両方で管理が可能です。」という所だけだ。

書かれているのは、正確には「アイルランド島において、島全体で一つの規制領域を潜在的に創設すること」(the potential creation of an all-island regulatory zone on the island of Ireland)である。

そしてこの「島全体の規制領域」は、「農産品を含む、すべての物品をカバーする。この領域が存在する限り、アイルランドと北アイルランドの間で、貿易の物品チェックはすべて排除する。そして北アイルランドの物品の規制は、他のEU加盟国と同じとする」とある。

つまり、北アイルランドは、関税同盟からは抜けるが、「島全体の一つの規制領域」という単一市場のようなものには残ったままなのである。

謎の「領域」の欠点

ここで問題は二つあるに違いない。

第一に何よりも、「潜在的に創る、アイルランド島における島全体で一つの規制領域って何?」である。これの法的位置づけが曖昧すぎる。ここを法的にクリアにしない訳にはいかないだろう。ここが最大のポイントになるに違いない。

第二に、人=移民こそが、ブレグジットの大きな原動力になったのだ。それなのに「人」に関する記述がない。EU市民については取り決めがあるが、それ以外はどうなのだろうか。昔のように北アイルランドとブリテン島の船の中などで、チェックを行うのだろうか。それは「英国とアイルランドの内政問題」だからEUには関係ないのだろうか。

「単一市場に似たもの」のマズさ

報道では、あまりにもややこしいので「単一市場に残るようなもの」「単一市場に似たようなもの」「物だけ単一市場」と説明されていることが多い。英語でも書かれている。筆者もそう書いている。

でも、これは大いに誤解を招く表現かもしれない。

「EUの加盟国でもないし、EUの関税同盟にも入っていないが、EUの単一市場に入っている」なら、代表的な国はノルウェーである。

ノルウェーはEUの関税同盟に入っていないのだから、一国で自由に他国への関税を決めることができる。日本やアメリカと同じだ。

それと、単一市場には入っているので、ノルウェー産のもの(+EU産)だけは、EUの単一市場に、自由に関税なしに流通させて販売することができる。ただし、他の国、例えば日本から輸入したものを単一市場で同じように売ることはできない。あくまでノルウェー産のものだけだ(ちなみに、ノルウェーのEU域内への輸出品は、主に天然ガスや石油である)。

ここが他のEU加盟国と違うところだ。EU加盟国は、例えばドイツが日本からある物を輸入したら、EU域内全部で関税なしで、自由に流通させてこれを売ることができる。

さて、北アイルランドはどうなのか。

ノルウェーは、国として単一市場に加盟している。北アイルランドが属する英国は、単一市場に加盟する予定がない。もし北アイルランドだけが「物だけ単一市場に残る」というのなら・・・どういうことに? 

北アイルランドが他国に独自に自由に関税をかけることはないだろう。そんな主権はないし、ジョンソン首相は同地はEUの関税同盟から抜けて、英国の主権の範囲に入ると言っているのだ。

それでは、同地産の物品は、どういう流通の仕方をするのだろうか。ノルウェー産のような「関税なし、域内の流通・販売自由」の特権は持てるのだろうか。それとも、国境コントロールが見えにくいというだけで、他の英国産物品とまったく同じ流通の仕方をするのだろうか。後者の場合は、関税がかかる可能性があるし、流通・販売が制限なく自由というわけにはいかない。英国は離脱して、単一市場からも関税同盟からも抜けるのだから(将来的には、英国とEUの間に結ばれる貿易協定による)。

文書内に「北アイルランド産のものは云々」という記述はない。北アイルランド産の物品というと主に農産物のようで、「農産品を含む」とちらっと書いてあるだけだ。この点がよくわからない。

つまり、あのジョンソン首相案は、単一市場とは全然関係がなく、単純に「北アイルランドからアイルランドに入るものは、EUの標準・規制に従わせます」と書いてあるだけの話のように見えないこともない。

となると、北アイルランドからアイルランド経由で、EUの規制に合っている物品なら何でもかんでもEU単一市場に流して売ったらどうなるのだろうか。英国産、北アイルランド産、あるいは世界の他の国々から英国に入ってきたものも、何でもすべて。離脱していないのと実質同じになるのではないか。そのうえ、必要な関税も、EU加盟国分担金も払わないことになりかねない。

フランスのドモンシャラン欧州問題担当大臣が、ジョンソン首相の提案を受けて、10月3日に「フランスは欧州に隣接するタックスヘイブン(租税回避地)の設置に反対する」と述べたのは、そういう意味なのではないか・・・と思ったものだ。

※この大変ややこしい制度の詳細は以下をご参照ください(不十分かもしれませんが)。

(前編)単一市場、関税同盟ーー英国政府とEUは何をなぜ合意して、何が拒絶されたのか

(後編)単一市場、関税同盟:英国政府とEUは何を合意?なぜ拒絶?:ソフトブレグジットの挫折と国境問題

EU側の反応と、疑いの目

今の段階で報じられている問題は以下のとおりである。

まず、テクノロジーを使って国境検査をなくすというのは不可能である、という意見である。

この議論は、今までも出てきて、EU側は「不可能だ」と反論してきた。そして今も同じことを話し続けている。いつまでやっているのだろうか。

ミシェル・バルニエ交渉官も同意見で、北アイルランドからアイルランドへ、EU単一市場に入ってくる物品がEUの規則を守っているものかどうか、十分な保証がないという意見である。

さすがにバルニエ氏は、フランス人であっても「27カ国を代表する交渉官」という大役を務める洗練されたEU人であるだけに、反論もまろやかである。フランス政府の大臣と違って「北アイルランドを使ってイギリス全体を税金天国(租税回避地)にするなんて、ごめんこうむる」などという、その方面では実に経験豊富なイギリスを疑いに満ちあふれた目で見たあげく、本音全開の棘のある発言でジャブをかます、などということはしない。

そして、言うまでもなく、北アイルランドに事実上の拒否権を与えるという内容の事項は問題だ。しかも4年ごとだ。もし北アイルランド政府・議会がある時「EUのルールから抜ける」と決めたら、合意なき離脱と同じになってしまう。

この道はいつか来た道?

今後はどうなるのだろうか。

このジョンソン首相案は、イギリスのEU離脱派から見たら、決して悪い内容ではないのではないか。

この案を英下院にかけなくてはならないが、いつ行うのだろうか。EUとの交渉の前だろうか、後だろうか。

ジョンソン首相は8日から数日間、議会を閉会することをエリザベス女王に要請するということだ。

前回、女王が認可した5週間の議会休会が、裁判で違法判決になったことで、「ジョンソン首相は女王の面目を潰した」と批判されている。女王は首相の退任を望んでいるとの報道もある。

おそらく、まず先にEUとの合意、次に英下院での採決だろう。

しかし、そのやり方はメイ首相の時に散々批判されたではないか。「メイ首相とEUが勝手に話し合って決めた内容を、下院でイエスかノーしかない選択を押し付けられている」という感情的な理由で。また同じことをやるのだろうか。

もし先に下院で採決するのなら、可決された場合、EU側は断りにくくなるだろう。否決されれば、EUとしては決める責任が生じなくなって一安心というところだ。

下院で否決されるにしろ、EUに断られるにしろ、この案が葬られれば、ジョンソン首相は法の抜け穴を訴えてでも「合意なき離脱」をする予定らしい。そうなると、英国内では裁判になるとしても、EU側も困るだろう。離脱を強行するというジョンソン首相政府(=行政権)の要請と、議決どおり離脱を延期しろという議会(=立法権)からの要請の間で、板挟みになるかもしれない。

原文を見ると、4年毎に北アイルランドは拒否権をもつという内容のくだりは、「提案する」になっているので、ここは交渉が可能なのではないか。すべて削除というのは無理にしても、何かよい妥協点はないのだろうか。8年毎とか10−12年毎にしたらどうだろうか。

EUもここで合意しないと、おそらく永遠に決着しないのではないか。もちろん、ずっと延長を繰り返して、EUに残留し続けて、根比べをするというのもあるのかもしれないが。

10月末に任期が終了する今のユンケル委員会の間に決着をつけようとする意志が強いなら、おそらく妥結するだろう。先送りでいいと思えば、しないかもしれない。ユンケル委員長から見たら、自分の任期終了日=イギリスの離脱日というのは、どういう気分なのだろうか。

その昔、彼は「イギリスはEUから離脱しないかもしれない」などと発言していた。ただ・・・筆者は何とか妥協点をみつけて合意するのではないかという気がしている。

謎の「ニューディール」

4枚の手紙の原文を読んで気にとまったことを書いてみたい。

ジョンソン首相がユンケル委員長にあてた4枚の手紙からは、コモン・トラベル・エリア(共通旅行区域)に関する記述があり、「EU建設よりも古い」ことが強調されているように感じた。

やはり英政府は、イギリスとアイルランドの歴史的な関係が壊れてゆき、アイルランドがEUをバックに強い力をもち、北アイルランドを失う可能性は考えているように思えた。

また、英政府はEUと自由貿易協定(FTA)を結びたい意向をもっている。そちらのほうがむしろ本丸かもしれない。

そして一番気になったこと。英政府が行うという「北アイルランドのニューディール」とは何のことだろう。「境界を越えたインフラ整備」とは一体何だろう。手紙に具体的記述はなかった。アメリカのフランクリン・ルーズベルトのニューディールは、テネシー川のダム建設が有名だが、まさか本当に、トンネルじゃなくて橋を造るつもりだろうか?! (まさかね・・・)。

欧州/EU・国際関係の研究者、ジャーナリスト、編集者、作家

フランス・パリ在住。追求するテーマは異文明の出会い、平等と自由。EU、国際社会や地政学、文化、各国社会等をテーマに執筆。ソルボンヌ(Paris 3)大学院国際関係・欧州研究学院修士号取得。日本EU学会、日仏政治学会会員。駐日EU代表部公式ウェブマガジン「EU MAG」執筆。前大使のインタビュー記事も担当(〜18年)。編著「ニッポンの評判 世界17カ国レポート」新潮社、欧州の章編著「世界で広がる脱原発」宝島社、他。Association de Presse France-Japon会員。仏の某省関連で働く。出版社の編集者出身。 早大卒。ご連絡 saorit2010あっとhotmail.fr

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