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それでもナワリヌイ氏の葬儀が可能になった理由。ロシア正教界、母の署名、渾身の報道

今井佐緒里欧州/EU・国際関係の研究者、ジャーナリスト、編集者、作家
2月19日サレハルド市にある調査委員会地域局の事務所から出てくる氏の母と弁護士(写真:ロイター/アフロ)

今日はアレクセイ・ナワリヌイ氏の葬儀が行われる日である。

彼の報道官、キラ・ヤルミシュ氏は昨日2月29日、何者かが霊柩車を提供する業者や運転手を電話で脅しており、その結果、遺体の搬送に同意する業者がいない状態になっているとX(旧ツイッター)に投稿した。

それでも、葬儀は行われることになった。モスクワの教会で執り行われることになったという。

なぜ可能になったのだろうか。

まず、なぜ遺体は母親に引き渡されたのだろう。

当局は、母親のリュドミラさんに、流刑地に埋葬するか、秘密裏に埋葬するかのどちらかの選択を迫っていたというのに、なぜ。

『ノーバヤ・ガゼーダ・ヨーロッパ』は、報道官のヤルミシュ氏からの情報だとして、母親は当局の医療書類にサインをしたと報道した。この話は、他のものとは異なり、報道官が直接ネット上に発していないものだ。

事実として、その後遺体は母親に引き渡された。そして、秘密裏でもなく流刑地でもなく、モスクワの教会での埋葬が可能になった。

当初、母親は「死因が特定されてから2日以内に、遺体を遺族に渡す」という法律を守ってほしいと当局に要求。しかし当局は、2週間は引き渡せないと言った。そして息子の埋葬地を、二者選択にして最後通告を出したと伝えられる。母親は、それを決める権限は当局にはないと主張していた。

当局は、強気だったように見えた。そして態度を変えた。

母親は医療書類にサインする。それは息子の死因が、当局が書いた書類どおりだと認めることになるだろう。推測だが、サインと引き換えに、息子を自分達の望む場所に、死者に尊敬をもって普通に埋葬することに同意させたのではないか。

それでも当局の妥協である。何か理由があるはずだ。

理由の一つは、ロシア正教会の訴えだったと思う。

こちらもノーバヤ・ガゼーダ・ヨーロッパの報道だが、ロシア正教の司祭や聖職者を中心に、800人以上が、遺体を家族に渡して埋葬するよう当局に訴えた。

ナワリヌイ氏は「信仰の人であり、正統派キリスト教徒」であり、遺体引き渡しを拒否すれば「冷酷かつ非人道的な行為」とみなされ、そのような決定は「社会内の一層の緊張」につながる可能性があると書いてある。

「(ローマ帝国)皇帝への反逆を恐れキリストの処刑を決意したポンテオ・ピラトでさえ・・救世主(イエス)の遺体を釈放し埋葬を妨げなかった。 ピラト以上に残酷な事をしてはなりません」。最後は「正しい選択をしてください」と結ばれている。

オンラインの署名サイト。https://www.mir-vsem.info/post/navalny
オンラインの署名サイト。https://www.mir-vsem.info/post/navalny

この発表がされた当時、筆者がこのオンラインでも展開された署名簿を見たときは、筆頭に来ていたロシア正教の司祭は、スペインのマドリードに住む方だったと記憶した。運動は西欧に住むロシア正教会の司祭から起こったようだ、と思ったものだ。

ロシア正教の教会は、信者のために世界にある。東京にもある。パリにもセーヌ川沿いに大きいものがある。もう長い間立ち入り禁止のテープが貼られ、警官たちが常駐している。

今、改めてこのアンドレイ・コルドフキン大司祭(Протоиерей Андрей Кордочкин)という方が、どんな方が調べてみた。

以下、紹介のページを、複数の翻訳機によるものであるが、紹介したい。どんなプロフィールをもつ方が、ナワリヌイ氏の母親を助けようとする教会の運動の先頭に立ったのだろうか。

「アンドレイ・コルドフキン大司祭はレニングラード生まれ。1994年から1995年までアンプルフォース・カレッジ(英国)、1995年から1998年までオックスフォード大学神学部で学ぶ。(ニコライ2世の皇后にちなんで名付けられた)アレクサンドラ・フョードロヴナ学校(サンクトペテルブルク)で教鞭をとり、聖母マリアの保護の家教会で礼拝に奉仕し、説教を行った。

1999年から2000年にかけてロンドン大学に留学。2003年、ダラム大学で博士号を取得。2001年12月、スモレンスク・カリーニングラードのキリル府主教※(現モスクワ・全ロシア総主教)により輔祭に叙階され、2002年クリスマスには司祭に叙階された。在学中、ダラムの正教会教区とグラスゴーの正教会共同体に奉仕した。
マドリードの聖マグダラのマリア教会修道院長」

(※訳注:府主教ではなく大主教かもしれない。総主教制の無い教会とある教会で異なるようだ。どちらにせよ、カトリックでは管区あるいは首都大司教に相当する、高い階位のようである。また輔祭とは、カトリックでは助祭、プロテスタントでは執事にあたるという)

コルドフキン大司祭の写真とプロフィール。サイト管理者は「自主非営利団体情報教育センター、プラヴミル」とのこと。https://www.pravmir.ru/author/user_127029623
コルドフキン大司祭の写真とプロフィール。サイト管理者は「自主非営利団体情報教育センター、プラヴミル」とのこと。https://www.pravmir.ru/author/user_127029623

やはり、西側をよく知る経験がある方だった。彼は、ロシア最高位に就く前の時代のキリル総主教とつながりがあることも、興味深い。

スペインという所もなるほどと思う。欧州でキリスト教が今でも強く、人口もある程度多いのは、やはりスペイン(やポーランド)だろう。

当初800人程度で始まった署名は4715名となり、署名活動は終わった。

「2024年2月24日。14時50分。モスクワ時間。アレクセイの遺体は母親のリュドミラ・イワノフナに引き渡されました。 署名の収集は終了し、すべての署名者が公開されます。アレクセイのご家族のために署名してくださった皆様、本当にありがとうございます!」と閉じられている。

人々はナワリヌイ氏の母に、息子キリストを処刑されたマリア様の悲しみを重ねたのかもしれない。市民の署名活動も行われた。今後彼は殉教者のように語られるのだろうか。

彼の報道官は、遺体が家族に返されたのは、ナワリヌイ氏の釈放を求めてきた著名なロシア人らの共同キャンペーンのおかげだと、お礼を述べている。多くの人は亡命しているので、外国からの圧力があった事も窺える。

それからは母親の発信は見られず、かわりに妻のユリアさんからの発信が急増した。役割分担をしたのだろうか。母親は、とにかくも息子の遺体を返してもらうことに全力を注いだように見える。

そしてもう一つの重要な原因は、メディア報道である。

これらの報道を行ったロシアの独立系メディアである『ノーバヤ・ガゼーダ・ヨーロッパ』は、現在亡命しているメディアだ。

報道がなければ、報道の自由のない国で何が起きているか、私達は知ることは大変難しい。ナワリヌイ氏の運命を知ることができるのは、リスクを冒して報道をするジャーナリストたちのおかげである。何も知らなければ、支援どころか、彼の母親が可哀想だと思うことすらできない。

西側のプラットフォームでロシアで機能しているものはYouTubeだけと言えるが、こちらも西側の支援がなければ、発信者が危険だし、逃げなければいけない時に手を差し伸べることもできない。

多くのメディアやジャーナリスト達が西側に亡命しているが、どうやって私達に情報が届くのだろう。

彼らは今でも現地ローカルメディアとつながりつつ、ロシア人でなければ出来ない、ロシアに関する優れた報道を沢山発信する。こっそり協力する現地の人々もいるのだろう。

外国とのつながりが深い大都会の人はともかく、一般的な街・町・村のロシアの現地の人が、いきなり亡命するメディアとつながったり、こそっと打ち上げ話をしたりするとは、あまり思えない。

彼らは現地新聞の人には話すだろう。地元の発音のロシア語を話し、自分達と同じ雰囲気をもった、地元の記者たち。その中には、志をもって亡命メディアとつながる人がいるのだと思う。

「ノーバヤ・ガゼーダ」は、2022年9月に紙の新聞とサイトのライセンスが剥奪され、ジャーナリストは亡命か刑務所かの選択を迫られた。元編集長でノーベル平和賞受賞者のドミトリー・ムラトフは「外国代理人」に指定された。

そして亡命してもなお、ジャーナリストたちは命を狙われている。

◉参考動画(ANNサタデーステーション):【ウクライナ侵攻2年】アメリカ亡命のロシア人記者が語る「苦悩」と「決意」。ドイツで毒殺されかけた女性記者。編集部には羊の生首が。(2024年2月25日)

同紙は、ラトビアに編集局を開設、次にドイツに支部をもった。今年、2月「ノーバヤ・ガゼータ・ヨーロッパ」がパリに開設された。国境なき記者団(本部パリ)の支援によるものだ。この世界的な団体と手をつなぎ、応援をする西側の人々から支援を得ているのだ。

国境を越えた支援の輪とNGOの存在がいかに重要かがわかる。

それらがなければ、今頃ナワリヌイ氏の遺体は、流刑地に葬られていたのではないだろうか。亡くなったことすら誰も知らなかったかもしれない。

そもそも彼が流刑地から、時折は頼りを知らせることができたのも、国境を越えた支援のおかげだろう(彼は、ロシアも加盟していた欧州人権裁判所の常連だった)。

ジャーナリストは戦い続けている。国を越えた人々の思いと活動が、言論の自由のために報道を支えている。

葬儀はどのようになるのだろうか。どうかナワリヌイ氏が、人としての尊厳をもって埋葬されますように。埋葬を許可し葬儀を執り行う教会の方たちの勇気、そしてそれを支えた人達に敬意を評したい。

追記:亡くなった原因について

いくら考えてもわかる訳がないのだが、ナワリヌイ氏に何が起こったのだろうか。母親がサインした医療書類には「血栓」とか「突然死症候群」と書いてあったのだろうか。

どんなことでも現実や現場は単純ではなく、思いもしなかったような複雑な事情であるというのは、メディアの端っこにいる者として知っているつもりだ。

なぜ母親はサインをしたのか、何となく伺い知れるような貴重な報道があるので、紹介したい。

日本ではまだ報道されていないと思うが、こちらも『ノーバヤ・ガゼーダ・ヨーロッパ』の記事だ。痛々しく生々しい様子が伝わってくる。2月18日付けである。

ナワリヌイ氏が運ばれた当初のことを報道するノーバヤ・ガゼーダ・ヨーロッパのサイト。
ナワリヌイ氏が運ばれた当初のことを報道するノーバヤ・ガゼーダ・ヨーロッパのサイト。

(以下、翻訳)

ナワリヌイ氏の遺体はサレハルド病院にあるが、解剖(検死)はまだ行われていない

ノーバヤ・ガゼタ・ヨーロッパは、アレクセイ・ナワリヌイ氏の遺体がサレハルド地区臨床病院の遺体安置所にあることを知った。 関係者によると、土曜日の時点ではまだ解剖(検死)は行われていない。

金曜日のナワリヌイ氏の突然死を受けて、彼の遺体はまず、亡くなった流刑地から36キロ離れた、ロシア極北のヤマロ・ネネツ自治区にあるハルプ(ハープ)の、ラビトナンギの町に運ばれた。しかし、情報筋によると、遺体は金曜遅くに州都サレハルドの地方臨床病院に移送されたという。

「通常、獄中死した人の遺体は、そのままグラスコヴァ通りにある法医学局に直接運ばれるのですが、今回は何らかの理由で臨床病院に運ばれました」とサレハルド救急車の救急隊員は語った。

「彼らは彼を遺体安置所まで車で連れて行き、その後ドアの前に2人の警官を配置した。 彼らは『ここで何か不可解なことが起こっている!』という看板を掲げたほうがよかったかもしれません。もちろん、誰もが何が起こったのか、秘密のすべては何なのか、何か重大なことを隠蔽しようとしているのかどうかを知りたがりました」

運ばれた遺体はアレクセイ・ナワリヌイ氏のものであり、彼の死は「犯罪的な性質のものではなかった」(銃器が関与していないことを示すために使用される用語)ことがすぐに明らかになった。 その後、病院の病理医が解剖(検死)を行うことを禁止されたという噂が広まった、と情報筋は付け加えた。

「この時点で意見は分かれました」と救急隊員は語った。

「モスクワから専門家の到着を待つよう命令が出されたと言う人もいれば、病院の医師たちが自ら解剖を拒否したと言う人もいました。この事件は政治的なものであり、結果がどうなるかはわからない。そして、もし解剖を行って結果を変更するよう直接命令を受けた場合、そこから逃れることはできません。そして加害者(有罪)にされる可能性もあります。・・・しかし、もし解剖(検死)がなかったら、尋ねる人は誰もいません」

この救急隊員はまた、ナワリヌイ氏の体には打撲の兆候(形跡)があると言われたと述べ、その打撲傷は殴打によるものではなかったようだが、打撲傷が現れるには、ナワリヌイ氏はまだ生きていなければならなかった、と付け加えた。

「経験豊富な救急隊員として言いますが、目撃者の証言によるこの打撲傷はけいれんによるものと思われます。けいれんしている人を他の人が押さえつけようとするが、けいれんが非常に強い場合、あざができる。また、彼の胸には間接的な、心臓マッサージによるものから生じたような、あざがあったとも言われた」

「彼らは彼を蘇生させようとしたが、おそらく心停止で亡くなったのでしょう」と救急隊員は語った。「でも、なぜ彼が心停止になったのかについては、誰も何も口にしません」

ナワリヌイ氏の礼拝が行われる「神の母のイコン教会」の全景。イコンが入り口上に見える。聖人の名を冠した教会があまたある中で、マリア様の教会が葬儀を受け入れたことは、意味深いと感じる。2024年2月29日
ナワリヌイ氏の礼拝が行われる「神の母のイコン教会」の全景。イコンが入り口上に見える。聖人の名を冠した教会があまたある中で、マリア様の教会が葬儀を受け入れたことは、意味深いと感じる。2024年2月29日写真:ロイター/アフロ

※本来は、記事の全文翻訳は著作権上考えるべき所がありますが、ノーバヤ・ガゼーダの活動を一人でも多くの人に知ってもらうために、掲載することにしました。

またナワリヌイ氏は「リベラル」と言われますが、「リベラル」の定義が、西側とロシア国内では異なることは承知しているのは、書いておきます。

欧州/EU・国際関係の研究者、ジャーナリスト、編集者、作家

フランス・パリ在住。追求するテーマは異文明の出会い、平等と自由。EU、国際社会や地政学、文化、各国社会等をテーマに執筆。ソルボンヌ(Paris 3)大学院国際関係・欧州研究学院修士号取得。日本EU学会、日仏政治学会会員。駐日EU代表部公式ウェブマガジン「EU MAG」執筆。前大使のインタビュー記事も担当(〜18年)。編著「ニッポンの評判 世界17カ国レポート」新潮社、欧州の章編著「世界で広がる脱原発」宝島社、他。Association de Presse France-Japon会員。仏の某省関連で働く。出版社の編集者出身。 早大卒。ご連絡 saorit2010あっとhotmail.fr

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