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(後編)単一市場、関税同盟:英国政府とEUは何を合意?なぜ拒絶?:ソフトブレグジットの挫折と国境問題

今井佐緒里欧州/EU・国際関係の研究者、ジャーナリスト、編集者、作家
英仏海峡の英側に現れた巨大メイ首相像。左手で欧州側に侮辱サイン。2017年6月(提供:Simon Hare/ロイター/アフロ)

この記事は、前編の続きです。

「ノルウェー型離脱」(ソフトブレグジット)とは何か

ノルウェー型離脱は、当初よく語られた。「ソフト・ブレグジット」とは、ノルウェー型と言ってもいいだろう。ノルウェー型を知ることは、関税同盟や単一市場を知る手がかりになるだけではなく、なぜ「ソフト・ブレグジット」が挫折したかの理由を知ることにもなる。

前編で述べたように、ノルウェーは、EUの「単一市場」には入っているが、「関税同盟」には入っていないのである。アイスランドやリヒテンシュタインも同様である。

EU加盟国 + ノルウェー・アイスランド・リヒテンシュタインで構成している組織を「欧州経済領域」(EEA)という(ちなみにスイスは、単一市場の一部に入っている)。

これは一体、どういうことになるのか。

まず、関税同盟に入っていないということは、ノルウェーはEU加盟国ではない第三国(例:アメリカやカナダ、日本、南米、アフリカなど)からノルウェーへの輸入品に対して、自由に関税をかけられる。

一方、単一市場に入っているので、ノルウェー産(+EU産)のものならば、関税なしでEUに輸出できる。ノルウェー産以外のものはできない。ここが、関税同盟にも単一市場にも入っているEU加盟国と違うところだ。EU加盟国は第三国から、例えば日本から何かを輸入して、それを自由にEU域内の市場で売ることができる。ノルウェーが単一市場の恩恵を受けられるのは、あくまでノルウェー産のものだけだ(もちろん逆方向で、EUから関税なしで輸入ができる)。

そうしないと何が問題になるのか。例をつくって説明してみたい。あくまで創作の例である。

日本で生産されて、日本で100円で売っている物がある。これを日本企業はEUに輸出したい。ところがEUは、EU内の産業を保護するために、300%の関税をかけている。つまり、EUに300円の関税を払う必要がある。ということは、この物はEUで400円になる。輸送費や輸出入業者の利益をのせれば、実際にEU内で売られる価格は、例えば+100円で500円とか、更に高くなる。

ここでノルウェーである。関税同盟に入っていないので、関税は自由にかけられる。日本に対してこの製品の関税は0%にする。とすると、関税を払う必要がないので、この物はノルウェーで100円である。実際は輸送費や輸出入業者の利益をのせて、例えば+100円で200円とか、更に高くなる。

でもこれを、単一市場に入っているEUで売るとどうなるか。単一市場では物の移動は自由で、かつ関税がかからないのだ。しかもノルウェーはシェンゲン協定に入っていて国境検問がない。まったくのスルーである。例えば250円で売れば、ノルウェーの業者は50円もうかり、EUの市民は500円ではなくて250円で手に入る。こうして、EUは300%も関税をかけてEU域内の産業を保護しようとしたのに、崩れてしまう。

それなら「これはノルウェー産です」と偽わってEU内で売る業者は出てきてもおかしくない。でも、そういうことはノルウェーの政府が取り締まるだろうという信頼関係があるし、ノルウェーの産業構造的にも、そういうことをしたら目立ちそうである。もしかしたらEU側にチェックのシステムはあるのかもしれないが、大事なのは信頼関係である。

それでは「ノルウェー産」とは何だろうか。

現代の特に先進国では、100%何から何まで一国で出来ている製品は、圧倒的に少数派だ。

例えば、ある服について。A国でとれた綿花を使い、B国で布を作り、C国で縫製をする。そこに、D国でとれた原材料を使って、E国でつくった飾り(部品)が付く。ただの飾りではなく、この国独自の有名なもので、この服の目玉である。さらにデザイナーはF国の人間で、アパレル会社はG国にあるとしよう。

この製品は、どこの国産なのか。「どこの国産」というのが決まらないと、どの国の法律や規則が適用されるのか、決められない。各業界でや貿易協定によって細かい規定があり、それを定めるのが「原産地規則」だ。

つまり、原産地規則とは、ある物の産地がどこかを規定する規則のことだ。

今日本は、例えば繊維製品の場合、原産地規則の規定が日本ーEUの協定と、TPPの協定では、異なる定義を用いている。これはEUとアメリカが対立しているためで、日本はEU側とタッグを組んでいる。

また、原産地規則にのっとって精査して証明する作業は、企業や政府にとってかなりの手間や費用がかかる。今は世界中でこの手間と費用を避けようとするのが、貿易協定を結ぶ理由の一つである。

このようにして、原産地規則に従って、ノルウェー産(あるいはEU産)であると証明された物だけ、EU域内に関税ゼロという単一市場の恩恵を受けて輸出できる。

さて、この方式は、英国にとってどういう長所と短所があるだろうか。

「第三国に対して自由に関税をかけられる」という主権を取り戻すことは、英国にとっては魅力的である。

さらに、興味深い意外な事実がある。

Wikipedia英語版の引用ではあるが「ノルウェーの外務省によると(NOU 2012:2 p。790、795)、1994年から2010年までに施行された立法措置のうち、2008年にEUで発効されていたEU指令の70%とEU規則の17%が、2010年にノルウェーで発効されていた」ということだ。

EU規則のたったの17%。つまり規則で縛られるのは17%。意外に少ないと驚く人が多いのではないだろうか。

「EU指令」とは、EUが目標と期限だけEUが定めて、方法は各国に任せること。「EU規則」とは、EU加盟国一律の規則である。つまり、EU加盟国ではないが単一市場に入っていることで従わなければならないEUルールは、この程度の割合だということだ。

数字は他にも色々出ているが、どれも思ったよりも少ないと感じた。この少なさが、英国人の一部をひきつけるのではないだろうか。

ただし、ノルウェーはEU加盟国ではないので、政策決定には基本的に参加できない。ブリュッセルで27加盟国の首脳や大臣が決めたことを、知らされて、従うだけである。おまけに、単一市場に関わる項目の分担金は払わなくてはならない。そして欧州司法裁判所の判決に従わなくてはならない。

さらに、最も英国にとっては受け入れがたいことは、単一市場が求める「人の移動の自由」を受け入れなくてはならないのだ。それが嫌だから離脱したのに。

それでも当初、ソフト・ブレグジットの例として、ノルウェー型離脱を唱える英国人は結構いた。その後、どんどん聞かれなくなっていったのは、EU側が「離脱を決めた英国が単一市場に残ることはない。そんないいとこ取りは許さない」と、断固たる姿勢を取ったからであった。

(ちなみに、EU、EUと第三者の機関のように言うが、加盟国の首脳や大臣が集まってものごとを決めているし、欧州議会には各国選出の議員もいる)。

それから、ノルウェーと英国では、国の産業構造が異なる。

ノルウェーは、第一次産業に頼っている国だ。豊富な石油と天然ガスがもたらす収入は、GDPの22%を占めている。かつ、主要な産業は漁業、魚の養殖、そして海運業だ(さすがバイキングの末裔)。

ノルウェーは、EUから主に工業製品を輸入している。そしてEUには、天然ガスを輸出している。EUで消費されている約20%の天然ガスはノルウェー産だ。両者は、相互補完的である(ただし、漁業と農業は、EUとの協定の除外となっている)。EUから見たら、必要な燃料や資源を手に入れられて、EU産の工業製品を買ってくれる。WIN-WINの関係で、お互いハッピーだ。英国はというと・・・疑問である(下記参照)。

アイルランドの厳しい国境管理とは

さて、問題になったアイルランド国境である。アイルランドも、英領北アイルランドも、EU側も英国側も、誰も「厳しい国境管理」を望んでいないという。

「厳しい国境」とは正確には何なのだろうか。

アイリッシュ・タイムズの記事によると、それは税関職員と国境検査官、そして国境周辺に警備上の問題があるなら警察や軍の要員によって監視され、保護された国境のことである。

税関職員や国境検査官が戻ってくることは、自由な国境を越えて自由に旅行する人々にとっては受け入れがたいほどの怒り、そして潜在的には暴力につながる恐れがあるという。

そうなると、保護のために国境沿いに警察や軍を置かなくてはならなくなるかもしれない。国境沿いの税関と治安部隊は、ベルファスト合意で平和が訪れるまでの30年のトラブルの間、標的になっていたのだという。そのような、血塗られた争いを、誰ももう二度と繰り返したくないのだ。

しかし、英国がEUを離脱すれば、アイルランドと英国の間には、異なる規則や規制、関税などが立ちはだかることになる。検問しないわけにはいかなくなる。検問しなければ、そこから脱法者や物が侵入してきて、秩序が乱れてしまう。

だからEU側は、アイルランドの島全体を、単一市場(の大半)と関税同盟に残すことにつながる提案をしたのだ。それ以外に、厳しい国境検査を避ける方法がみつからなかったのだ。

海だからいいだろう、と

しかしそうすると、アイルランド島とブリテン島の間に、大きな断絶ができてしまう。

これは筆者の想像だが、おそらくEU側は、別にブリテン島とアイルランド島を断絶させたいとか思っていたわけではないと思う。「海があるから、コントロールがあっても目立たないでしょ」と考えたのではないかと思う(EUの人々は、ほとんどみなさん大陸の人なので)。港で物品の検査をやっても、関係者しかいない。目立たない。日本でも港で物の検査が行われているが、見たことがある人は一体どのくらいいるのだろうか。その点、地続きの陸の境界は違う。

人のコントロールも、今までだって英国はシェンゲン協定に入っていないので、検問を行ってきた。今までとほとんど同じ施設で、内容を変えて厳しくすればいいだけだろう・・・と。

筆者は、飛行機、車、船でフランスと英国を行き来したことがある経験から、そんなふうに感じる。陸で国境を接している大陸の人とは、根本的に感覚が違うのだ。実際、大きな変化は表面上は現れにくいと思う。

しかし、問題はそこではなかった。英領北アイルランドがEUの単一市場(の部分)と関税同盟に入るということは、EUの必要な規則に従うことを意味する。離脱するブリテン島の英国と主権が分かれてしまうことになる。

英国にとっては「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」の解体につながってしまうと危機感を覚えたのは、無理からぬことである。

しかも、北アイルランドのお向かいにあるスコットランドはどう出るだろう。住民投票で英国離脱は否決されたものの、現在のような情勢の変化はどういう影響を与えるのだろうか。

そこで英国政府から登場した案が「英国全体が、EUの関税同盟(単一関税区域)に入る」であったのだ。

これはどういう意味なのだろうか。

関税同盟に入っているが、単一市場に入っていない

現在、EUの関税同盟には入っているが、単一市場には入っていない国がある。トルコである。ただし食料や農業、サービスと政府調達は除外されている(他にも、サンマリノとアンドラがある)。つまり、EUとトルコは、共通の関税政策をもっているのだ。トルコだけで勝手に他の国と関税率を決めることはできない。

今、日本とトルコの間で、経済連携協定(EPA)を結ぶ動きが加速している。日本とEUの間でEPAが発効したことを受けて、トルコ側に急ぐ姿勢があるという。日EUのEPAは、関税だけではない広範な領域にまたがる合意である。トルコ側としては、大きな動きに取り残されたくない、不利益を被りたくないという思いと、関税同盟を結んでいるEU側との整合性をもちたいという意図ではないかと思う。

ただ、関税というのは、実はあまり今の世界、特に先進国ではあまり大きなウエイトを占めていない。大事なのは非関税障壁、つまり世界のルールづくりのほうなのだ。誰がイニシアチブをとるか、世界規模で競争しているのだ。

(目下、トランプ大統領が関税を武器にしてしっちゃかめっちゃかに暴れている。それだけ関税というのは、わかりやすくて即効性のある、国の武器になるのだ。「グローバル化して世界は一つ」という商売人の志向からは離れている)。

参考記事:日本とEU(欧州連合)の経済連携協定の意味を、米・欧・アジアの3極から見て考える

英国は、サービスが経済の78%という非常に大きな部分を占めている。自分の国で物をつくって売るという産業構造と違ってきている。つまり、非関税障壁に直面する傾向が強く、関税同盟では完全にカバーされないのだ。

だから本来ならば「単一市場には残るが、関税同盟から抜ける」のノルウェー型のほうが、「関税同盟には残るが、単一市場からは抜ける」のトルコ型よりは、英国には合っているはずなのだ。

そのためか、トルコ型離脱というのは、英国で「こういう方法がありますよ」という一例としては語られたが、トルコ型を支持するイギリス人一派がいたかというと・・・記憶にない(私が知らないだけ?)。

ただ、英国にとってノルウェー型離脱は旨味はあっても、EU側にとってはあまりない。EUとノルウェーの関係が、(政治的なことは置いといて)純粋に経済の利益だけを見ると両方ハッピーだったのとは異なる。

それでも英国政府は、単一市場は去るが、関税同盟に留まることで合意文書をかわした(英下院で通過していない)。なぜだろうか。

良い妥協地点のはずだったが・・・

これはEUと英国の両者にとっての「妥協」だったのだろう。

EU27加盟国は、離脱を決めた国が単一市場に残るなどとは、決して許さなかった。英国の残留派が望んでも、無駄だったのだ。でもEU側は、関税同盟なら、と妥協した。

メイ首相と政府にとっては、関税同盟は次善の策だったのだろう。EU側の妥協を引き出したし、最大の問題であった人の移動の自由は除外できて強硬派に顔が立ち、関税同盟に残ることで残留派を少し安心させ、かつ国の分断を避けられる措置となった。

筆者は以前から「ブレグジットのソフトもハードも英国側の事情だ。EU側の主張ではない」と訴え続けてきた。EUの設立理念に触れることで妥協する訳がない。前述したように、極右が政権与党に携わっている国ですらこの点では団結していて、27カ国で意見が一致しているのだ。

そんな中、EU側が「関税同盟なら」と、英国案に対して妥協を見せたのには、ちょっと驚いた。「なるほど・・・」と関心もした。

それに、一般にはEU加盟国の6−7割の法律は、EU由来だと言われている。離脱するからといって、すべての法律や規則を英国独自のものにするために、全部変えるわけではないだろう。今までどおり同じであるほうが、EUとの貿易がしやすい。それなら関税同盟に入っていたって同じ・・・というわけには、もちろんいかなかった。

関税同盟に留まることで、他の第三国の国々(例:アメリカやカナダや日本、南米やオセアニアなど)との関税に係る交渉、つまり通商協定を結ぶことができなくなってしまうことは、やはり大問題だった。しかも、もう加盟国ではないので、政策決定には参加できないのだ。

防御策のはずだったのに

上記のすべての議論は、あくまで「バックストップ」(防御策・安全策)の話であった。

2020年末までに、アイルランドと北アイルランドの国境に管理体制を敷かない長期的な通商協定がまとまらなかった場合、の話だった。つまり、通商協定がまとまれば、バックストップなんて必要ないのだ。何の問題もないもののはずだった。

でも、2020年末までに両者の通商政策が決まると思っている人は、あまりいなかったのではないだろうか。過半数の議員や英国民を納得させるような通商政策が順調に決まる見込みが高そうならば、これほど紛糾しなかっただろう。バックストップが発動して、そのまま固まって定まってしまうのではという危機感を、大勢の人がもったのではないだろうか。だからこそ「防御策」という名目だったにもかかわらず、大勢の人が反対したのだろう。

だから、「一時的な」防御策に期限が明記されていないことが問題となった。メイ首相もEU側も「あくまで一時的な措置だ」と強調して説得しようとしたが、やっぱりダメだったということだろう。

しかも、この措置を止めるには、EUと英国の両者の話し合いが必要になる。英国が止めたい時に止めることができないのだ。

筆者は、合意なき離脱は限りなく100%に近いと思っている。なぜなら、欧州選挙は5月下旬、合意なき離脱が3月末。英国の大パニックがヨーロッパ中に報道されることが、EU内で極右を伸びを抑えることができる、最大のカウンターパンチになりうるからである。

参考記事:(後編)英国、合意なき離脱だと何が起こる?EU要人の反応は?ウルトラCとは何か

ただ、事態はまだまだ不透明である。一番の懸案は、アイルランドと英領北アイルランドの血なまぐさい紛争の再来だろう。陸だけではなく海(漁業)のほうも問題だ。

結果として、ブレグジットのおかげで、日本も含めた世界中が、EUのことをよく知るきっかけになったのは、皮肉ではなく大真面目に「流石」というべきなのかもしれない。

今後の見通しについては、参考記事「英国のブレグジット延期は無し:EU要人の吹き出した本音と、延期実現の3つのケース」をご覧ください。

欧州/EU・国際関係の研究者、ジャーナリスト、編集者、作家

フランス・パリ在住。追求するテーマは異文明の出会い、平等と自由。EU、国際社会や地政学、文化、各国社会等をテーマに執筆。ソルボンヌ(Paris 3)大学院国際関係・欧州研究学院修士号取得。日本EU学会、日仏政治学会会員。駐日EU代表部公式ウェブマガジン「EU MAG」執筆。前大使のインタビュー記事も担当(〜18年)。編著「ニッポンの評判 世界17カ国レポート」新潮社、欧州の章編著「世界で広がる脱原発」宝島社、他。Association de Presse France-Japon会員。仏の某省関連で働く。出版社の編集者出身。 早大卒。ご連絡 saorit2010あっとhotmail.fr

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