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浜辺美波、上白石姉妹らを輩出した第7回「東宝シンデレラ」ほか豊作だったオーディションは?

斉藤貴志芸能ライター/編集者
10年前の「東宝シンデレラ」出身の浜辺美波(撮影/松下茜)

先日掲載した浜辺美波のインタビューで「同期たちが頑張っている姿に励まされます」と語っていた。「同期」とは2011年の「東宝シンデレラ」オーディションに共に出場した上白石萌音、上白石萌歌、山崎紘菜らのことだ。芸能界に“登竜門”と呼ばれる新人発掘オーディションはいくつかあるが、1回で4人も後に活躍する人材を輩出したことは珍しい。こうした豊作オーディションは他にもあっただろうか?

ローティーンの受賞者たちが10年を経て活躍

 「東宝シンデレラ」オーディションは1984年に初めて開催され、沢口靖子がグランプリに選ばれた。斉藤由貴もこのときのファイナリスト(最終選考出場者)。その後、不定期に開催され、1987年の第2回では水野真紀が審査員特別賞、2000年の第5回では長澤まさみがグランプリとなっている。

 浜辺美波が出場したのは2011年の第7回。当時10歳だった。この年の応募資格は10~22歳ながら、44120人の応募者から選ばれたファイナリスト15人中、6人が小学生。浜辺は「一番頑張ったのは、大きな声でハッキリ話すことです。“ハマベミナミ”って、言いにくいので(笑)」などと話し、ステージ上で履き慣れない靴が片方脱げるハプニングも。最終選考では予定になかった「ニュージェネレーション賞」を贈られた。

 グランプリに選ばれた上白石萌歌も、学年では浜辺よりひとつ上の10歳。地元・鹿児島でミュージカルを習っていた。姉の萌音が「東宝シンデレラ」に応募することになり、10歳から受付ていたため「私も」となったという。12歳だった萌音のほうは審査員特別賞。自分の名前が呼ばれたときは笑顔を見せていたが、グランプリが妹の萌歌と発表されると、ステージ上で涙が止まらなかった。

 ファイナリストで最年長の16歳だったのが、今年ゲームから実写化された『モンスターハンター』でハリウッドデビューを飾った山崎紘菜。幼く小柄な出場者が多かった中で、169cmの長身とシャープな顔立ちが目を引いた。

 この年は計7人が入賞。ローティーンが多く、スタッフは「じっくり時間をかけて丁寧に育てていければ」と話していた。実際に10年を経て、この4人が一線で活躍しているのは大成功と言える。

工藤静香、渡辺美里らが受賞。伝説の「ミスセブンティーン’84」

 他に登竜門としては、深田恭子、綾瀬はるか、石原さとみらを輩出した「ホリプロタレントスカウトキャラバン」、米倉涼子、上戸彩、武井咲らの「全日本国民的美少女コンテスト」が知られる。だが、芸能界は厳しい。これらのオーディションでグランプリを受賞して一時的に脚光を浴びても、ブレイクに至らなかったり、ひっそり引退するケースのほうが実際はずっと多い。まして、1回の大会から3人以上が名を残すことはかなり稀だ。

 そんな中、遡れば伝説になっているのが、1984年の「ミスセブンティーン」だ。現在も毎年開催されている同名コンテストはファッション誌「Seventeen」(集英社)の専属モデル募集で、すでに事務所に所属しているタレントが選ばれることが多い。しかし、当時はCBSソニーとの共催で、一般公募によるアイドル寄りのオーディションだった。1970年から始まり、1978年には松田聖子が九州地区大会で優勝。親の反対で全国大会は辞退したものの、デビューのきっかけになったのは語り草だ。

 1984年の大会では、18万人を越える応募者からグランプリを松本典子、網浜直子がW受賞。それぞれアイドルからバラエティ、女優とまずまずの成功を収めた。準グランプリの藤原理恵もC.C.ガールズのメンバーとして活躍。そして、特別賞に工藤静香、歌唱賞に渡辺美里、ファイナリストには国生さゆりが名を連ねていた。

 工藤はファイナリストだった木村亜希、柴田くに子とのユニット「セブンティーンクラブ」でデビュー。木村亜希とは、後にプロ野球選手だった清原和博と結婚するモデルの清原亜希(離婚後は芸名を“亜希”に)。このユニット自体はシングルを2枚出して解散したが、工藤はその後、おニャン子クラブからソロ歌手となり、一世を風靡したのは周知の通り。国生もおニャン子クラブのリーダー的存在から女優となり、現在までドラマや映画に出演を続けている。

 渡辺美里は「My Revolution」からヒットを連発して若者の共感を呼び、カリスマ的アーティストになった。西武球場で女性ソロシンガー初のスタジアムライブを行うなど、音楽界で数々の業績を残している。

3人が一線に残るだけでも異例

 しかし、こうした豊作オーディションは歴史的にも異例中の異例だ。前述の「全日本国民的美少女コンテスト」でも、米倉涼子が審査員特別賞を受賞した1992年の第6回で、グランプリが佐藤藍子、演技部門賞が鈴木紗理奈だったのが目につく程度。2012年の第13回では、グランプリが主催のオスカープロモーションを先ごろ退所した吉本実憂。審査員特別賞の井頭愛海と尾碕真花も出演作が増えていて、今後に期待が残されている。

 「ホリプロタレントスカウトキャラバン」でも、2017年の第37回でグランプリの優希美青がホリプロ60周年記念映画『NO CALL NO LIFE』に主演など、女優として着実にステップアップしているほか、審査員特別賞の唯月ふうかが舞台で精力的に活躍。ファイナリストだった佐野ひなこもグラビアから女優と展開中だ。それぞれもう1ランク知名度を上げれば、この第37回は語り継がれるかもしれない。それにしても、残ったのはやはり3人止まりだ。

第37回「ホリプロタレントスカウトキャラバン」グランプリの優希美青(撮影/松下茜)
第37回「ホリプロタレントスカウトキャラバン」グランプリの優希美青(撮影/松下茜)

意外な当たり年の第36回「ホリプロタレントスカウトキャラバン」

 注目したいのは、意外な形で豊作となった2011年の第36回「タレントスカウトキャラバン」だ。女優発掘のイメージが強いこのオーディションだが、実際には毎年、モデル、アーティスト、16歳以下などテーマを変えている。この第36回は「次世代声優アーティストオーディション」と銘打ち、ホリプロがアニメ界に本格進出する先陣を切る人材を求めた。審査ではかつてなく“声”を重視。大手芸能プロダクションとはいえ、声優アーティストには新規参入だったため、合格者はじっくり育てる方針だったという。

 ところが、グランプリの田所あずさや、ファイナリストの大橋彩香、木戸衣吹、山崎エリイがデビューから数年で、次々とアニメでヒロイン級の役を射止め、アーティストデビューもして人気を博していく。

 田所は『アイカツ!』の霧矢あおいや『勇者になれなかった俺はしぶしぶ就職を決意しました』のフィノ・ブラッドストーン、大橋は『エウレカセブンAO』のフレア・ブランや『てさぐれ!部活もの』の田中心春、木戸は『お兄ちゃんだけど愛さえあれば関係ないよねっ』の姫小路秋子や『東京ESP』の漆葉リンカ、山崎は『サムライフラメンコ』の森田萌や『レーカン!』の小川麻琴などが初期の代表作。その後も出演作が途切れていない。また、歌手デビューが先だったMachicoも声優業が増え、『ウマ娘 プリティーダービー』のトウカイテイオーや『ライフル・イズ・ビューティフル』の主人公・小倉ひかりなどを演じている。

 田所と大橋はオーディションから協力体制を敷いていたアニソン系レーベル・ランティスから歌手デビューして、コンスタントにCDリリース。大橋は2019年にデビュー5周年ライブをパシフィコ横浜国立大ホールで開催。先日も幕張メッセでの初のワンマンアリーナライブを成功させた。

 当のホリプロでも予想外のハイピッチな躍進。田所は「明るく元気に後ろ向き」というネガティブキャラ、山崎はリアルなお嬢様で乃木坂46にいても違和感ない美少女ぶりなど、それぞれタレント寄りな資質も持ち合わせていた。声優界と芸能界がボーダーレスになっていく時流とマッチしたのだろう。ジャンルは特化しているが、この第36回「タレントスカウトキャラバン」は先見の明からの豊作オーディションだったと言える。

 近年はオーディションなどを経ず、YouTubeによる自己発信から直接スターが生まれたりもしている。登竜門と呼ばれるオーディションにも、新しい形が求められるのかもしれない。

浜辺美波「賭ケグルイ」新作公開インタビュー

芸能ライター/編集者

埼玉県朝霞市出身。オリコンで雑誌『weekly oricon』、『月刊De-view』編集部などを経てフリーライター&編集者に。女優、アイドル、声優のインタビューや評論をエンタメサイトや雑誌で執筆中。監修本に『アイドル冬の時代 今こそ振り返るその光と影』『女性声優アーティストディスクガイド』(シンコーミュージック刊)など。取材・執筆の『井上喜久子17才です「おいおい!」』、『勝平大百科 50キャラで見る僕の声優史』、『90歳現役声優 元気をつくる「声」の話』(イマジカインフォス刊)が発売中。

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