『アンメット』で記憶障害の医師役の杉咲花。難役が続く中で「その人だけの孤独を想像したい」
昨年公開された映画『市子』で日本アカデミー賞の優秀主演女優賞を受賞し、公開中の『52ヘルツのくじらたち』も話題を呼んでいる杉咲花。共に過酷な過去を持つ役で、今月スタートした主演ドラマ『アンメット ある脳外科医の日記』でも、1日の記憶が寝て起きたら消えてしまう障害を持つ脳外科医を演じている。観る者の胸を揺さぶり続ける杉咲の演技の背景にある想いは?
心を注いでみたい気持ちがあるのは…
――このところ、映画では『市子』に『52ヘルツのクジラたち』と重苦しい過去を持つ役が続き、今回の『アンメット』では記憶障害の脳外科医。杉咲さんは昔から、何かを抱えた役を多く演じられていますが、自分で志向しているんですか?
杉咲 特別そういったものだけを意識して選んでいるわけではないのですが、その人だけが感じる孤独や寂しさを想像したい気持ちがあって。そういった要素に吸い寄せられてしまう部分はあるのかもしれません。
――10代の頃から、学園ラブコメみたいな作品は少なかったようで。
杉咲 確かにそうですね。単純に縁がなかったんだと思います。
――ハードルが高い役も杉咲さんになら任せられる信頼感が、制作側にあってのことかとも思いますが、自分ではハードルとは捉えていない感じですか?
杉咲 難しくない役はひとつもありません。ただ、確かに自分自身、陰か陽でいうと、やはり陰のほうに心を注いでみたい気持ちがあるんです。
自分が抱いたことのない揺らぎに触れて
――役者としては、そこに面白みややり甲斐があるということですか?
杉咲 というよりは、どんなことに悲しみや痛みを感じるかは人それぞれで、それは大きさで表したり、何かと比べるものではありませんよね。その人が苦しいと感じることは、誰が何と言おうと苦しいわけで、そういうものについて想像できる人間でありたいという気持ちがあるんです。だからこそ、自分が抱いたことのないような心の揺らぎについて想像したいし、自分ではない誰かを演じて、その役だけの生活に触れたとき、自分自身も人として更新できたらいいな、と思っています。
――そうした役を演じる過程では、産みの苦しみ的なものもありますか?
杉咲 それはどんな役でもあります。シーンを成立させられるのかというプレッシャーに苛まれて、スケジュールが出ると撮影当日までカウントダウンをしてしまったり。
――これだけいろいろな役を見事に演じてきても?
杉咲 自分にとって演じることは、楽しさよりも恐怖のほうがずっと強いんです。
髪の毛より細い糸を繋ぎ合わせる練習をしています
――演じる役の背景の問題について、かなり詳しく調べることもあるそうですが、今回の記憶障害や脳外科の医療についても?
杉咲 今回は監修に入ってくださる先生が、たくさんいらっしゃって。縫合の練習を教えていただいて、実際の手術の現場も見させていただきました。医療従事者の方々が観ても違和感のないレベルを目指して、日々慎重に撮影を進めています。それと、それぞれの人物造形が細かく書かれた資料をプロデューサーさんがくださって。原作と共に読み込んで、ミヤビの人物像を掘り下げています。
――何ヵ月も練習してきた吻合(血管を繋ぐ手術)と違う方法が、撮影前日に必要となって、スタジオにこもって練習したとか。
杉咲 そうですね。撮影の直前まで、よりリアリティを感じられる方向性を皆さんと擦り合わせながら臨んでいて。今は手羽先の血管吻合の練習をしています。
――鳥の手羽先ですか?
杉咲 はい。血管と血管を繋ぎ合わせるバイパス手術の練習をするシーンがあって、手羽先の中から動脈を見つけて繋ぎ合わせるんです。そこで使用する10-0と呼ばれる糸が髪の毛よりも細くて、目に見えるか見えないかギリギリ。それを顕微鏡を通して繋げられるように練習中です。
数秒のシーンに心血を注いで、ひと味違うドラマに
――杉咲さんは手先が器用なほうなんですか?
杉咲 そんなに器用でないと思います。縫合も習得するのに時間がかかりました。
――その中で、医者らしい手つきを見せないといけないわけですよね。
杉咲 そうですね。手元の寄りカットだけであれば、プロフェッショナルな方に代わっていただいて、撮影することも可能だとは思います。でも、せっかくなら「ここまで本人がやるのか」と思ってもらえるような完成度を目指したくて。「このドラマはひと味違うんです」という気概を持って臨みたいんです。手元の所作だけでなく、ひとつひとつのシーンに向かっていく中で、みんながだれることなく、意識を高め合っている現場なんです。
――映るのは僅かなシーンのために、何時間も練習するのも当然のことだと?
杉咲 たった数秒のシーンに心血を注ぐから、観たことのないものが作れるんじゃないかなって。果敢にトライを続けたいです。
とてつもない恐怖と向き合っているのではないかと
――寝て起きたら前日の記憶がなくなっている、という障害を描いた映画やドラマは結構あります。
杉咲 今回は原作もありますし、私はミヤビ個人として考えていきたくて。朝起きたとき、2年間の記憶がないという実感を、どれだけ得られるか。そこはいまだに難しく感じています。想像もし得ないような恐怖や絶望と向き合っているのではないかと。
――毎朝、目を覚ますたび、時計に貼られた「まずは机の上の日記を読むこと」という自筆のメモに驚いていて。
杉咲 2年分の記憶を2時間かけて読んで、自分の中に落とし込む。とてつもなく果てしない量だと思うんです。自分自身のことだけではなくて、患者さんそれぞれの治療の状況や、どのような状態で搬送されてきたとか、そういった情報もすべて頭に入れてから、家を出る。ミヤビが記憶障害だと知らない患者さんが多い中で、軽やかに向き合っていく。その人間力は凄まじいと感じています。
心が覚えていることが音を立てる瞬間があって
――現場で共演の方と仲良くなっても、撮影では日が変わるたびに初めて会ったように接する人もいる。その辺の難しさもありますか?
杉咲 確かに難しさはありますが、言語化するのも難しいことです。全員の記憶がないわけではないのと、劇中で「記憶がなくても心が覚えている」と、三瓶先生(若葉竜也)に言われていて。理屈でなく安心感を覚えたり、心の奥でリンと音を立てるような瞬間があるんだろうなと想像しています。特に三瓶先生と対峙していると、そういう時間は多いのではないかなと思います。
――演じている中で実感するわけですか。
杉咲 自分の中でミヤビの状態を整理して、本番に挑むことを続けているのですが、それだけでは辿り着けないような場所に、ふと着地したと感じる瞬間があるんです。三瓶先生の眼差しが、ミヤビの状態を物語っているんですよね。ミヤビ自身は何のことかわかっていなくても、演じ手としての客観的な自分が「ミヤビはこういう状態にある」と正されるような。共演者の方に救われる瞬間ばかりです。
役を内面から掘り下げると仕草に変化が生まれます
――個人的な感覚かもしれませんが、杉咲さんは若いながら長いキャリアがあっても、毎回の作品で新鮮に見えます。そこに繋がるかは別にしても、役者としてのポリシーみたいなものはありますか?
杉咲 演じる人物のクセやしゃべり方のような、外側からのアプローチは避けているのかもしれません。それによって、人間というよりキャラクター化されてしまう気がするんです。どういうことに切なさを感じて、何に感動するのか。世界にたったひとりの人間の琴線みたいなものを探していくことで、態度や仕草に変化が生まれていくのではないかと思っています。
――なるほど。表に出るものも内面から生まれると。あと、若手女優さんに取材させてもらうと「目標は杉咲花さん」「『湯を沸かすほどの熱い愛』を観て女優を目指しました」といった声をよく聞きます。杉咲さん自身は自分の女優としての強みはどの辺だと考えていますか?
杉咲 何でしょう? うーん……。私はかなりの緊張しぃで、今回の現場でも心臓の鼓動を録音部さんが拾ってしまって、マイクを下げられることがあるくらいなんです。なぜこんなに緊張してしまうんだと思って、クールに現場に立つことができない自分にコンプレックスを感じていた時期は長かったんです。ですが、『アンメット』の現場では「何が起きているんだ?」というくらい、ほとんどの方々が緊張されているように感じます。あんなにもナイーブになりながら、ひとつひとつのシーンに向かっていかれる姿を目の当たりにしたとき、だからこそ辿り着ける領域があるんだと、救われたような気持ちになったんです。むしろ緊張しなくなったら、自分のことを疑ったほうがいいのだろうなと、今は考えるようになりました。
――緊張は何かを生み出すには必要だと?
杉咲 私にとっては、不安な環境に身を置くことはとても大事なんです。安心できないから、真摯に向き合おうとできるんじゃないかなと思います。
共演が多くて対峙すると温度が変わる感覚に
――今までの出演作で、自分との距離が近かった役はありました?
杉咲 あまりそういうふうに考えたことはないのですが、若葉さんとは4度目の共演で、ご一緒すると、これ以上ないくらいの安心感があるんです。私は若葉さんの平凡さを大切にする嗅覚みたいなものを信頼していますし、物語を見つめる視点や人が疑わないところを疑っていく姿勢をとても尊敬しています。
――今回の三瓶先生役もピッタリですね。
杉咲 私がミヤビを演じていても、三瓶先生と対峙したときだけ、何だかしっかりと地に足が付いた感じがするんです。温度が変わるというか。
――基本的には、自分の何かを役に投影することはないですか?
杉咲 ないですね。そうすることで、自分の私生活なのか役なのか、わからなくなる時間が生まれてしまうような気がしていて。そこは切り離していかないと、心が健康でいられないと思うんです。
緊張しながら良いシーンが撮れて胸いっぱいに
――序盤の撮影で、特に印象的だったことはありますか?
杉咲 2話のラストの、三瓶先生がミヤビを呼び出して話をするシーンです。若葉さんが台詞を言えなくなってしまうくらい、気持ちが溢れていて。とんでもない瞬間に立ち会ってしまったと思いました。なんて素敵な俳優さんなんだろうと思いながら、良いシーンが撮れたことに胸がいっぱいになって。なぜか自分のほうがルンルンになって帰りました(笑)。
――1話での、病院の屋上でミヤビが三瓶先生に、手術することを「怖いんです」と断るところは、ミヤビの感情が溢れていました。
杉咲 あそこは緊張しました。寒さなのか、撮影に挑む恐怖からくるものなのか、本番前に体がブルブル震えてきて。現場も張り詰めていましたが、撮り終えたときに皆さんと確かな何かを共有できた気がして、心に残る撮影になりました。
イチゴを毎日1パック食べています
――役と自分は切り離すとのことですが、ミヤビの「医者でいたいのにできない」という心情は、自分が女優をできなくなると考えたら、理解できるのでは?
杉咲 ミヤビは本当は猛烈に医者をやりたくて、目の前にいる人を救いたいはず。それができないことに、どれほどの絶望を味わうのか。そして、それが明日も、あさっても、ずっと続いていく。もしかしたら、1日を終えて眠りにつく頃が、何よりもしんどい時間ではないかと思ったりもします。でも、三瓶先生の出現によって、内に秘めていた想いが表に出てきて、ミヤビはもう一度夢を見る。演じていて、そんな衝動を喚起されました。
――ミヤビは「社会復帰まできちんと診るのが私たちの仕事」と話していて、だからこそ記憶を1日で失くす状態での医療行為に、二の足を踏んでいたようですね。
杉咲 ミヤビが出会った人々に対して、同じ地平で向き合うのは、記憶障害を抱えているからでなく、持って生まれたものだと思うんです。本当にフェアで魅力的な人だなと。
――ミヤビは家に帰ると、缶ビールをキモかわ人形と乾杯して飲んでいますが、そういうことも杉咲さんはやりませんか?
杉咲 私はないですね。ただ、最近はイチゴがおいしくて、毎日1パック食べています(笑)。
――結構な量ですね。練乳をかけたりもしながら?
杉咲 いえ、シンプルにそのままで食べています。
――劇中で病院の同僚と行く「たかみ」みたいな、行きつけの居酒屋があったりは?
杉咲 それもないです。お休みの日も、もっぱら家にいます。
ただ立っているだけでどれだけ難しいか
――杉咲さんが自分で観て面白かった映画やドラマというと、どんな作品がありますか?
杉咲 『こちらあみ子』です。初めて予告編を観たとき、(主演の)大沢一菜さんがとても魅力的に見えて。その姿が脳にこびりついて、消えなかったんです。劇伴を担当された青葉市子さんのファンでもあったので、観ない理由はありませんでした。
――あみ子を演じた大沢さんは公開当時11歳で、演技経験がなかったとか。
杉咲 初めてお芝居をする人の無敵さって、叶わないなと思うんです。もうあの頃には戻れませんから。お芝居を続けるほど緊張が増していきますし、ただそこにいることがどれだけ難しいか、痛感するんです。『アンメット』の現場でも、立っているだけのシーンで自分の体が揺れている気がしてきて。このままバタッと倒れてしまうんじゃないかと思いました。
オレンジ色の夕焼けが見られると幸せです
――最後に、杉咲さんは仕事はずっと充実していると思いますが、仕事以外ではどんなことに幸せを感じますか?
杉咲 夕方に撮影が終わって、夕陽を見られたときは嬉しくなります。陽が落ちていくとき、夕焼けが強烈なオレンジ色になる時間がありますよね。
――いわゆるマジックアワーですか。
杉咲 ですかね。夕焼けが大好きなので、あの時間に立ち会えたら、最高だなと思います。
――ささやかなことではありますが。
杉咲 でも、すごく幸福を感じます。
Profile
杉咲花(すぎさき・はな)
1997年10月2日生まれ、東京都出身。2015年公開の映画『トイレのピエタ』でヨコハマ映画祭の最優秀新人賞、2016年公開の映画『湯を沸かすほどの熱い愛』で日本アカデミー賞の最優秀助演女優賞などを受賞。主な出演作はドラマ『おちょやん』、『花のち晴れ~花男 Next Season~』、『恋です!~ヤンキー君と白杖ガール~』、『プリズム』、映画『青くて痛くて脆い』、『市子』、『52ヘルツのクジラたち』など。ドラマ『アンメット ある脳外科医の日記』(カンテレ・フジテレビ系)に出演中。6月21日公開の映画『朽ちないサクラ』に出演。
『アンメット ある脳外科医の日記』
カンテレ・フジテレビ系 月曜22:00~