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「リトル・マーメイド」「怪物」…論議を呼ぶ作品がヒットするのは、映画界では喜ばしい状況?

斉藤博昭映画ジャーナリスト
『リトル・マーメイド』でアリエルを演じたハリー・ベイリー(写真:Splash/アフロ)

6/9に公開された『リトル・マーメイド』が日本では堅調なヒットを続けている。公開前、「観たい」「観たくない」で論議もあったので、その不安は多少でも払拭されたと言っていい。

先週末(6/23〜25)の動員ランキングで3週連続の1位を記録した『リトル・マーメイド』。今週末(6/30〜)は『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』や『東京リベンジャーズ2 血のハロウィン編 -決戦-』が公開されるので、おそらく4週連続は難しいが、大きな失敗は避けられた。

というのも、日本より先に公開されたアジアの主要国での成績が予想以上に悪かったから。5/26公開の中国では現在、374万ドル(約5億円)、5/24公開の韓国では512万ドル(約7億円)。どちらもハリウッド話題作の数字が日本よりも上回るケースが多々ある国で(たとえば中国では『ライオン・キング』が1億2000万ドル/約168億円、韓国では『アラジン』が9100万ドル/約127億円など)、『リトル・マーメイド』が人気を得られなかったのは明らか。公開前からアリエル役のキャスティングについて、世界中で賛否の論議を呼んでいたことが影響されたと考えられる。ただしアジアでもフィリピンのように『リトル・マーメイド』が『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』を超えるヒットとなった国もある。

日本では3週目で興収20億円を突破。大ヒットの数字だ。とはいえ、同種の過去の作品(ディズニー人気ミュージカルアニメの実写化)と比べると、やや見劣りする。2017年の『美女と野獣』は3週目で興収66億9600万円、『アラジン』は3週目で興収55億1350万円だったからだ。最終的に『美女と野獣』は124億円、『アラジン』は121.6億円だったので、『リトル・マーメイド』は50億円あたりが目標になりそう。それでも公開前の論議を振り返れば「健闘」と言っていいかもしれない。

アリエル役を黒人のハリー・ベイリーに託したことで、1989年のアニメ版『リトル・マーメイド』とのイメージの違いから、アメリカでも「#NotMyAriel」(私のアリエルじゃない)というハッシュタグがSNSで広まったりした。日本でも公開前には「人種差別とかではなく、単に大好きなオリジナルの世界を再現してほしかった」というコメントが目立っていた。

一方で予告編が流れ、アメリカでの公開が始まると、ハリー・ベイリーの歌声に大絶賛が集まるなど、肯定的な論調も多くなった。何と言っても、公開前の「賛否の論議」がやたらとマスメディアを賑わせ、結果的に『リトル・マーメイド』への注目度がアップした。「とりあえず、イメージと違うアリエルがどんなものか」と、当初は否定的だった層の欲求も掻き立てたと考えられる。そのうえで作品自体がどうだったかを受け止め、考え、改めて感動する……というのは、映画にとっても喜ばしいあり方ではないだろうか。

同じように是枝裕和監督の『怪物』も好調を続けている。こちらは公開4週目で興収15億円を超えた。是枝作品は前作『ベイビー・ブローカー』が8億4000万円、その前の『真実』が2億5000万円だったことを考えると、今回、日本人キャストで撮ったとはいえ『怪物』は成功と言えそう。『万引き家族』の45億円は異例だったが、その前の『三度目の殺人』の14.5億円も、すでに『怪物』は突破している。

この『怪物』も、『リトル・マーメイド』ほどではないが、公開前にちょっとした波紋を起こしていた。いわゆるネタバレとなる部分に、LGBTQの要素が絡んでくることから、慎重なプロモーションも行われ、逆に「LGBTQをネタにしている」など一部で紛糾。ラストシーンの解釈にも否定的なものが伝わってきたりした。カンヌ国際映画祭での受賞とともに、そうした論調が「とりあえず自分の目で確かめなくては」という意識を高める要因のひとつになったようだ。

『怪物』は、母親、教師、子供たちという3つの視点から物語が紡がれ、見えないものが見えてくるという作り。この「見えないものが見えてくる」というのは、まさに映画の歓びであり、今回起こった論議をふまえて観ることで、大げさにいえば人生が変わる人もいるかも。

『リトル・マーメイド』はシンプルにエンタメとして楽しんでいる人も多いだろうが、ハリー・ベイリーのアリエルをすんなり“受け入れる”ことで、凝り固まった価値観が無意識に解きほぐされる可能性も。こうした作品がヒットしている現状は、素直に喜ばしい。

映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、ヤングマガジン、クーリエ・ジャポン、スクリーン、キネマ旬報、映画秘宝、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。

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