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公開まで2ヶ月。香川照之、14年ぶりの単独主演作『宮松と山下』はどんな映画なのか

斉藤博昭映画ジャーナリスト

俳優本人と、演じる役は、まったくの別物である。しかし作品を観る側は、その俳優の素顔やイメージを、どうしたって役に重ねてしまう。時として、それが役の魅力を倍増させることもあるのだからーー。

「半沢直樹」の大和田常務や、『クリービー 偽りの隣人』で狂気をひた隠す隣人。その香川照之の名演技は、一連の報道により、役柄と本人がダブって冷静に受け止められなくなった。そのような声が多く聞かれる。

11/18に公開される映画『宮松と山下』は、香川照之にとって14年ぶりの単独主演映画となる。2008年、黒沢清監督の『トウキョウソナタ』などで主演を務めて以来だが、その後も主人公に対抗する濃厚なキャラクターを多数演じてきているので、“主役級”の活躍ではあった。

しかし『宮松と山下』は全編、ほぼ出ずっぱり。香川照之の映画と言っていい。

香川が演じる宮松は、映画やドラマにおけるエキストラ専門の役者。メインの人物の背後にチラリと映っていたり、一瞬の登場で斬られたり、撃たれたりして、すぐにいなくなる。時には、ひとつの作品で複数の役として何度も登場したりする。でも観てる人には、まったく気づかれない……。

つまり“印象を消して”存在するのが仕事。大和田常務に代表される、多くの人がイメージする香川照之とは、まったく違う方向のアプローチがなされている。ほとんどの場面で、香川の演技は内省的。しかし、タイトル『宮松と山下』の「山下」の存在など、複雑な事情が徐々に明らかになるにつれ、主人公が抱える深い闇もせり出してくる。つまりこの宮松、俳優としては高い技量が試され、誰もがチャレンジしてみたいような役。そんなチャンスをもらった香川は、宮松の心情を微妙な目の演技、わずかな表情の動きを駆使して表現し、これまで培った実力を究極でみせている印象。大げさでわかりやすい外連(けれん)味とは真逆。あくまでも冷静に判断するとしたら、この演技は本年度の主演男優賞候補に値するものだろう。

撮影現場より。3人の監督と香川照之(右)。
撮影現場より。3人の監督と香川照之(右)。

作品としては、撮影現場の舞台裏を覗く面白さに加え、エキストラの役と宮松本人のシンクロが生まれる瞬間、現実と非現実の境界が消えていく感覚に襲われたりと、なかなかシュールな味わいも魅力。『宮松と山下』は、3人の監督集団「5月」の作品で、メンバーは、東京芸術大学教授でNHKピタゴラスイッチなどを手がけた佐藤雅彦、数々のドラマ演出で知られる関友太郎、メディアデザインを専門にする平瀬謙太朗の3人。その独自のセンスが評価され、『宮松と山下』は9/16から始まる、スペイン最大の映画祭、サンセバスチャン映画祭のNew Directors部門に正式招待。これをきっかけに国際的な評価も高まりそうだ。つまり作品としても冷静に判断すれば、2022年の日本映画ベストテンなどに入ってくるレベルであると感じる。

11/18の公開に向けて、この作品が日本でどのようにプロモーションされるのか。もともと特大ヒットを狙うスケールではなく、劇場もミニシアター系の作品ではある。しかし作品の売りとしては明らかに主演俳優で、彼が語る言葉が重要なセールスポイントになる。長年、多くの人を夢中にさせてきたこの俳優の新境地として、キャリアのターニングポイントになる可能性もあったからだ。しかし、ここから公開までの2ヶ月ちょっとの期間では、おそらく純粋なインタビューなどの露出は現実的に難しいだろう。

『宮松と山下』を観たとき、一連の報道が頭をよぎる瞬間はゼロではない。時間をおけば、冷静に観ることができるのか。そして公開までに状況は落ち着くのか。また、公開されたら、作品がどのように受け止められるのか。『宮松と山下』は、作品本来の評価を離れ、いろいろと考えさせられる映画になりそうだ。

『宮松と山下』

11/18(金)新宿武蔵野館、渋谷シネクイント、シネスイッチ銀座ほか全国ロードショー 配給:ビターズ・エンド

(C)2022「宮松と山下」製作委員会

映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、ヤングマガジン、クーリエ・ジャポン、スクリーン、キネマ旬報、映画秘宝、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。

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