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1人で「15役」を演じ分ける。しかもすべてAIのキャラ。前代未聞チャレンジを成功させた俳優とは?

斉藤博昭映画ジャーナリスト
「刀剣乱舞」など舞台でキャリアを積んだspiが映画で大役(撮影/筆者)

俳優とは──どんな役を任されても演じ切る職務である。キャリアを積み重ねれば、演じた役が何百、時には何千という単位になっていく人もいるだろう。

基本は、ひとつの役に一定の時間、なりきることが求められる。複数の作品を同時に掛け持ちしたり、時に同一作品で1人2役なんてケースもある。

しかし、ここにとんでもないチャレンジを試みた俳優がいる。一本の作品で、なんと1人15役! ミュージカル「刀剣乱舞」の蜻蛉切役など舞台を中心に活躍する俳優のspiが、堤幸彦監督の映画『SINGULA』(5/10公開)で託されたのは、15体のAI。他には一切、登場する人物はいない。

髪型や衣装は同じ。頭部の番号で識別できる15体のAI。セリフ回しや仕草、表情はバラエティに富み、じわじわと別キャラに変わっていく。
髪型や衣装は同じ。頭部の番号で識別できる15体のAI。セリフ回しや仕草、表情はバラエティに富み、じわじわと別キャラに変わっていく。

姿かたちは人間とほぼ同じ。AIのアンドロイド15体が、人類との関係、人類の未来についてディベートする。それが『SINGULA』。15体はキャラクターも様々で、人間のような性格や思想、ジェンダーの違いも感じさせる。本作の基になった舞台劇では、15人の別々の俳優がAIを演じた。それを今回は、1人で、同じ外見のまま演じ分けるというのが前代未聞! しかもセリフはオール英語である。挑むうえでは大きな覚悟も必要だったと予想されるが、当のspiはむしろ役者冥利に尽きるチャンスで快諾したと、胸の内を明かす。

「基になった舞台版を作り、今回の映画でも脚本で関わっている一ノ瀬京介さんから連絡をいただきました。その時点で、15役なら自分で表現できる自信があったのです。僕は父の影響でスタニスラフスキー(*注)の本なども読み、演技論や俳優術に関してかなり詳しくなりました。1人の俳優が多重人格を演じることが可能なのか。それはどういう仕組みで、どんな難しさなのかも父とは話していたんです。内面から役を作り上げるスタニスラフスキーとは逆で、外観、見た目から役を作り上げる理論もあり、今回の挑戦に関しては、体重のかけ方膝の向き体重の左右差腕の癖あごの位置……といった要素を組み合わせれば、15体の“器(うつわ)”を作り上げられるとロジカルに考えました」

各キャラクターにモチーフとなる人物がいる

たとえば1番のキャラクターには「モーガン・フリーマンのよう。彫刻家自分の作品への執着あり」という設定があらかじめ書かれていたという。

そのうえで1番を演じるには「踵(かかと)を重心にして、膝はまっすぐ。体重は真ん中。あごはニュートラル。後ろで手を組む。目は伏せている」と決め、「そこで器が出来上がれば、あとは声の高さとスピード、モーガン・フリーマンが使いそうな言い回しでキャラクターを完成させる」プロセスだったという。

アン・ハサウェイ、ケヴィン・スペイシー、マシュー・マコノヒー、エマ・トンプソン、キャメロン・ディアス、マット・デイモンといった有名俳優から、シェイクスピアの道化役、「ハリー・ポッター」のハーマイオニー……と、脚本の時点で見本は記されており、演技のネタが切れると、その見本の話し方を模倣したそうだ。最も苦労したのは「8番のマシュー・マコノヒー」で、カウボーイなので英語自体が少し古く、ちょっと間違えると他のキャラクターに似てしまうリスクを抱えていた。

AIと人間のボーダーが曖昧になる演技に、spiの真骨頂が発揮される。
AIと人間のボーダーが曖昧になる演技に、spiの真骨頂が発揮される。

では、撮影はどのように行われたのか。15人分を演じるということで、単純に考えれば本番には膨大な時間が必要になる。

「いま1番が話しています。それに対する2番から15番の反応を撮影します……という感じですね。先にセリフだけはすべて録音していました。ですから別のキャラクターの直前のセリフが流れ、その後に実際にいま演じているキャラクターの反応を表現し、撮影する。その繰り返しです。背中のショットなどで顔が見えなければ、相手役として代役の方に立ってもらっています」

映画として、かつてないチャレンジ。しかも1本の作品における、1人の俳優にかかる膨大な演技量とプレッシャー。それを経験と勢いで乗り越えた。「英語の脚本が完成してから、約1ヶ月後に撮影でした。そして撮影自体は6日半。短期集中でムダがなく突っ走れたのではないでしょうか」とspiは微笑む。

お前の芝居は舞台向きじゃない

そうは言っても、演じたのは人間ではない。「AIらしい演技」という概念はあるのか。人間の役のように感情を込めてしまうことはなかったのか。

「15体のAIにもいろいろなパターンがあります。中には感情が人間のように発達したAIもいるでしょう。AIだから感情を抑えるということはせず、キャラクターとしての“縛り”に限定することで、逆にこういうAIもいると伝えることにしました。AIそれぞれの成熟度も測らないで演じたのです」

もちろん映像の合成なども駆使され、1人の俳優、spiによる15役の作品『SINGULA』は完成。こうして演じ分けの秘密を聞いてから本作を観ると、15の別のキャラクターが“存在している”ことに感動をおぼえる。演じた本人は、完成作での自身の演技を観て、何を感じたのだろう。

「ますます映像の仕事をやりたくなりました。以前から岸谷五朗さんから『お前の芝居は舞台向きじゃない。映像の芝居だ』と言われ続けていたんです(笑)。舞台の芝居は、ある程度、大げさな動作が要求されます。セリフも日常とは違って大きな声を張り上げます。つまりリアリティは二の次なんです。映像ではカメラが寄るので、俳優の表情で機微を伝えられます。自分ではコントロールできない感情に陥ったり、相手への反応を素直に表現すること。それこそが生きていることであり、芝居の醍醐味ではないかと今回改めて痛感しました。僕が好きな芝居の質感、リアルさは、映像での演技に近いのだと思います」

spiがメンバーとして参加するパフォーマンスユニット“ZIPANG OPERA”

AIの進化によって俳優は淘汰されるかも?

2023年はハリウッドのストライキで、AIの問題もひとつの焦点になった。AIが物語を作ることで脚本家は仕事が減り、AIによる人物の複製で、エキストラの俳優の仕事も極端に少なくなる可能性があるからだ。AIの役を体現したspiは、俳優としてAIの関わり方に思うところはあるのか。その問いへの答えは意外にポジティブなものだった

「もしAIの俳優が現れたら共演したいですし、AIのアンドロイドしか出てこない映画があったら観てみたいです。そんな未来では、俳優は篩(ふるい)にかけられて淘汰されるかもしれませんね。でも一方で、人間にしか出せない“周波数”があると思うんです。舞台の場合、同じ空間にいることで俳優の声が観客の“骨”に響く。その感覚です。映像での演技でも、本人にしか出せない周波数でまわりに何か影響を与えているはずです。もしその周波数のセンスまでAIが追いついたら、生身の人間に勝ち目はないかもしれません。ただ結局、プログラミングするのは人間だし、電源を落とせばAIは動かなくなるわけだし……。そんな風に考えたいですね」

AIとの共生はともかく、俳優・spiにとって目的としたい先人を聞くと、ロビン・ウィリアムズジム・キャリーの名前が挙がった。

「特にロビン・ウィリアムズは僕が大人へと成長する時代に活躍していたので、影響も受けています。『ミセス・ダウト』や『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』はもちろん大好きですし、『ジュマンジ』は何回観たかわかりません。そういえば『アンドリューNDR114』の彼はロボット、つまりAI役でしたよね。コメディでも、シリアスな作品でも自在に観る人の心を掴む彼の演技は僕の理想です」

15体のAIを表現できた彼のことなので、日本のロビン・ウィリアムズになる未来も、そう遠くないかもしれない。そのポテンシャルを感じるだけでも『SINGULA』は観ておくべき作品である。

*注)コンスタンチン・スタニスラフスキー(1863-1938)。ロシア・ソ連の俳優で演出家。彼が作り上げた俳優の教育法はスタニスラフスキー・システムと呼ばれ、世界中に影響を与えた。外面的な誇張の演技ではなく、内面的な真実を形象化することに主眼を置く。

(撮影/筆者)
(撮影/筆者)

spi プロフィール

神奈川県出身。アメリカと日本の演劇界のバックグラウンドをもち、数々のオペラ、 ミュージカルに幼少より出演し、演技、歌唱の基礎を築く。 また横須賀少年少女合唱団でボーイソプラノ・ソリストとしても幅広い音楽にふれる。現在は舞台に数多く出演するほか、アーティストとしても活躍するトリプル・スレット・エンターテイナー。

主な出演作に、ミュージカル「ラディアント・ベイビー〜キース・ヘリングの生涯〜」、「RENT」、「ジャージー・ボーイズ」、「刀剣乱舞」シリーズ、「オリバー」、「シュレック・ザ・ミュージカル」、「ドリームガールズ」、舞台「Take Me Out」、「SAMAEL」、「信長の野暮」、「黑子のバスケ」シリーズ、「KING OF PRISM」シリーズ、舞台「銀牙 -流れ星 銀-」、「VIOLET」 など。パフォーマンスユニット “ZIPANG OPERA” でもライブなどで活動中。

『SINGULA』

(C)「SINGULA」film partners 2023

配給:ティ・ジョイ

5/10(金)より新宿バルト9ほか全国公開

映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、スクリーン、キネマ旬報、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。連絡先 irishgreenday@gmail.com

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