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韓国では歴史の暗部も描く骨太映画が、なぜ特大ヒットになるのか。金大中がモデル『偽りの隣人』監督に聞く

斉藤博昭映画ジャーナリスト
『偽りの隣人 ある諜報員の告白』より

新型コロナウイルスの影響で、観客動員数は大幅に少なかったにせよ、2020年の韓国でナンバーワンのヒットになったのは『KCIA 南山の部長たち』。パク・チョンヒ大統領の暗殺を描いた実録サスペンスだ。少しさかのぼり、2017年には『タクシー運転手 約束は海を越えて』が年間1位となっている。1980年、民主化を求める学生や民衆のデモを軍が弾圧。多数の死傷者を出した光州事件を描いている。

この2作とも、もちろんエンタメ的な要素はあるものの、自国の歴史と正面から向き合った骨太なテーマが備わっている。こうした作品が、ハリウッド大作など抑えて年間トップになったわけだ。

年間トップの作品といえば、たとえば日本なら…

2020年 劇場版「鬼滅の刃」無限列車編

2019年 天気の子

2018年 ボヘミアン・ラプソディ

2017年 美女と野獣

2016年 君の名は。

2015年 スター・ウォーズ/フォースの覚醒

アメリカの場合は…

2020年 バッドボーイズ フォー・ライフ

2019年 アベンジャーズ/エンドゲーム

2018年 ブラックパンサー

2017年 スター・ウォーズ/最後のジェダイ

2016年 ファインディング・ドリー

2015年 ジュラシック・ワールド

というように、その年を代表するヒット作に、社会的テーマを発見できるものの、歴史の暗部を扱ったり、骨太なムードを漂わせるものは出てこない。入り込む余地はない印象。『KCIA』や『タクシー運転手』の年間トップは、韓国ならではの特徴である。

9/17に公開される『偽りの隣人 ある諜報員の告白』も、軍事政権下にある1985年の韓国を舞台に、民主化を求めた政治家が自宅に軟禁される物語。一応、フィクションではあるが、その政治家は有名な大統領がモデルになっており、全体としては「実録」的にも感じられる仕上がりだ。この『偽りの隣人』も2020年の12月に韓国で公開されると、初登場1位となるヒットを記録。こうした作品を、韓国の観客が求めていることがよくわかる。

なぜ韓国では、歴史を振り返り、政治的、社会的テーマが鮮明な作品がヒットするのか。『偽りの隣人』のイ・ファンギョン監督は次のように語る。

「韓国では、政治的なストーリー、社会の不合理に焦点を当てた作品、そして歴史ドラマに強い関心を持つ人が多いのは事実でしょう。これは以前からそうでしたので、おそらく国民性です。しかしかつては、韓国の映画界もこうした作品を積極的に作ってはこなかった。10年くらい前から民主化の影響もあって、企画が増えてきた感じですね。歴史や社会的テーマを独自に解釈し、観客の欲求に応えるという流れで、シリアスなドラマからコメディまでジャンルも多岐にわたるようになりました」

たとえば過去の衝撃的事件を映画で再現する場合、ハリウッドでは固有名詞もそのまま出すことが通例だが、日本では会社名や人物をあえて微妙に変えたりする「気遣い」「忖度」を目にすることも多い。

キム・デジュン元大統領をモデルにしたイ・ウィシクは、民主化を求め自宅軟禁される政治家。
キム・デジュン元大統領をモデルにしたイ・ウィシクは、民主化を求め自宅軟禁される政治家。

この『偽りの隣人』では、自宅軟禁されるのが、次期大統領に出馬する野党政治家。明らかに第15代大統領のキム・デジュン(金大中)がモデルなのだが、劇中では名前はイ・ウィシクに変えてある。

「とりあえず韓国では、実在の人物をドラマにする際にも『遠回しで描くべき』という空気はありません。映画を作ることを阻止する動きや、誰かの顔色をうかがったりすることもないですね。創作する側は自由に表現していいと感じます。ただ怖いのは、観客なんです。このような歴史的事実に近い作品、社会派作品は、作り手の解釈について観客から大きな批判も受けます。それを覚悟で描くことが大切です。

 今回、元大統領の名前をそのまま使っても、おそらく咎められることはなかったでしょう。ただ、この作品は実際の事件をドキュメントするものではなく、新しい物語として撮りました。ですから名前も新しくする必要があったのです」

「作り手の解釈」で言えば、この『偽りの隣人』は、ひじょうに独創的なムードである。イ・ファンギョン監督が「シリアスからコメディまで多岐にわたる」と説明した社会派作品の特徴を、一本の作品で示しているのだ。

「多くの観客が、シリアスな歴史的ドキュメンタリーに近いものをイメージすると思ったので、とくに前半は、固定観念を打ち破るようなライトなコメディタッチも入れようと考えました。歴史の中で起こったことを軽い気持ちで楽しんでいたら、観ていくうちにその気楽さが裏切られる感じを目指したのです。

 実際に韓国の1980年代半ばは、この映画のムードとは違って、決して笑いに変えられる状況ではありませんでした。多くの人が権力に苦しめられ、憂うつな日々を過ごしていたのです。『偽りの隣人』に出てくる盗聴行為なども、観客は“当時の常識”として受け止め、その正当性は各自、判断してくれます。そういった憂うつな時代を映画で描くうえで、ただ暗いだけではなく、戯画化したり、何か違った方向性で表現した結果、『偽りの隣人』は観客に新しい作品だと受け入れられ、楽しんでもらったような気がします」

韓国映画初の米アカデミー賞作品賞に輝いた『パラサイト 半地下の家族』も、事実を描いたわけではないが、ジャンルを超える面白さに、社会派テーマが潜んでいた。そんな韓国映画の特徴を、『偽りの隣人』は明らかに意識した作品なのである。

イ・ファンギョン監督。前作の『7番房の奇跡』も大ヒットさせている。
イ・ファンギョン監督。前作の『7番房の奇跡』も大ヒットさせている。

『偽りの隣人 ある諜報員の告白』

(c) 2020 LittleBig Pictures All Rights Reserved.

配給:アルバトロス・フィルム 提供:ニューセレクト

9月17日(金)より、シネマート新宿ほか全国ロードショー

映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、ヤングマガジン、クーリエ・ジャポン、スクリーン、キネマ旬報、映画秘宝、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。

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