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あの『ボヘミアン・ラプソディ』が甦る、テーマもノリも感動も…注目作『カセットテープ・ダイアリーズ』

斉藤博昭映画ジャーナリスト
1987年のロンドン。音楽と青春。このキーワードが最高値で結びつく。

全国の映画館が再開され、少しずつだが、観客も戻ってきた。

公開を延期していた作品も続々とスクリーンにお目見えし、むしろ今、「公開ラッシュ」という様相を呈している。しかも一気に、たまっていた傑作が公開されているのである。劇場での体験を心待ちにしていた映画ファンにとっては、選択の余地が「ありすぎる」状態と言っていい。

もちろん、まだ映画館へ行くことを躊躇している人も多いだろう。どうせなら、「これは!」という作品を選ぼうとしているかもしれない。公開ラッシュと、急な決定で、宣伝展開も混沌としているなか、強力に勧めたいのが、7/3公開の『カセットテープ・ダイアリーズ』だ。当初、4/17公開の予定だったので、約2ヶ月半のインターバルとなる。

ちょっと懐かしい単語が入った日本公開タイトルから、音楽がキーポイントになるのは想像どおりだが、作品全体が、あの『ボヘミアン・ラプソディ』と似た高揚感、感動を味わえる。そのことを断言したい。

この『カセットテープ・ダイアリーズ』、映画批評サイトのロッテントマトでも、批評家91%、一般観客89%と両者で高支持率を獲得(6/24現在)。どちらかに偏ることが多いなか、この平均的ハイレベルは珍しい。つまり広い層に愛されている作品なのである。ちなみに『ボヘミアン』は批評家60%、観客85%

『ボヘミアン』のフレディ・マーキュリーという世界的スターに対して、『カセットテープ・ダイアリーズ』の主人公、ジャベドは、どこにでもいそうな、ちょっと鬱屈を抱えた高校生。ロンドンから1時間くらいのルートンという町に住んでいる。大都会からの微妙な距離感……。そのジャベドはパキスタン系。『ボヘミアン』でもフレディが「パキ」と蔑称で呼ばれたように(実際はフレディはインド系)、ジャベドは学校をはじめ、社会的に「パキ野郎」と差別を受けるのが日常だ。

16歳のジャベドは、自分なりの思いを「詩」に託している。そんなとき、ブルース・スプリグスティーンを聴いて「啓示」を受けるのだった。
16歳のジャベドは、自分なりの思いを「詩」に託している。そんなとき、ブルース・スプリグスティーンを聴いて「啓示」を受けるのだった。

物語の舞台は、1987年のサッチャー政権時代。フレディ・マーキュリーが亡くなるのは1991年なので、その少し前ということになる。

ジャベドとフレディ。それぞれの家族関係も、じつによく似ている。母、妹、そして何より伝統や慣習を重んじて息子をなかなか理解しない父の存在は、『カセットテープ・ダイアリーズ』を観ながら、多くの人の脳裏に『ボヘミアン・ラプソディ』がよぎることだろう。

フレディは音楽の才能を発揮したが、高校生のジャベドは「書く」ことに夢を見出す。そして何人かの思わぬ人物が、さりげなく夢への後押しをしてくれたりする。このあたりは『ボヘミアン』以上に、『リトル・ダンサー』に近い印象もある。友情や恋という点では、あの『小さな恋のメロディ』を思い出す関係性や描写も登場。イギリス青春映画の伝統を受け継いでいるのだ。

オープニングのペット・ショップ・ボーイズから、一気にテンションが上がる『カセットテープ・ダイアリーズ』だが、クイーンの曲が次から次へと出てくる『ボヘミアン』とは違って、この作品は、主人公がブルース・スプリングスティーンの曲に洗礼を受ける設定。「ダンシン・イン・ザ・ダーク」など“ボス”の名曲がフィーチャーされる。クイーンほど、スプリングスティーンのファンは日本にはいないかもしれないし、ジャベドが歌い、演奏するわけではない。しかし物語、つまりジャベドの心のドラマと、スプリングスティーンの数々の曲、とくに歌詞が鮮やかにシンクロする。つまり、音楽の効果で胸を熱くする感覚が『ボヘミアン』と同じ。むしろシンプルに、そして深い部分で主人公に共感するという点では、『カセットテープ・ダイアリーズ』の方が上回るのではないか。

「夢を語るなら、実現するよう動け」(バッドランド)

「何か始めるための、刺激をくれるものが欲しい」(プロミスト・ランド)

「光に目がくらみ、見えなかった」(ブラインデッド・バイ・ザ・ライト)

こうした歌詞の吸引力と熱いメロディに、スプリングスティーンのファンでなくても、不覚にも深い部分で感動してしまう可能性がある。もちろんスプリングスティーンのファンならば、時代を超えてアピールする曲のパワーに改めて感心するはずだ。

「明日なき暴走(Born to Run)」が、こんなに楽しいミュージカルシーンになるとは!
「明日なき暴走(Born to Run)」が、こんなに楽しいミュージカルシーンになるとは!

『カセットテープ・ダイアリーズ』は、ミュージカルのような演出も青春映画というジャンルとしてうまく機能しており、本能的に「気分が上がる」瞬間が何度も訪れる。また、ウォークマン、マッドネスマイケル・ジャクソン、ティファニーなど、1980年代のノスタルジーに浸るという意味で、特定の世代にも強くアピールする。

そして、すべての思いが集積するクライマックスは、こちらも『ボヘミアン』のようなスケール感とは大きくかけ離れていながらも、「本能的に心を揺さぶる効果」という点では、似たような感覚をもたらす。個人的には、『ボヘミアン』は3回目までラストで泣いた。この『カセットテープ・ダイアリーズ』も3回目でも涙が抑えられなかった。

歌詞が映像として出てくる。その遊び心にあふれた演出も楽しい。
歌詞が映像として出てくる。その遊び心にあふれた演出も楽しい。

監督は『ベッカムに恋して』のグリンダ・チャーダ。インド系の彼女が、ジャベドのモデルになった、作家でジャーナリストのサルフラズ・マンズールと出会ったことで、この映画は生まれた。サルフラズは筋金入りのスプリングスティーンのファンである。チャーダ監督は完成直後にブルース・スプリングスティーンに作品を観てもらったところ、無言のハグで歓びを伝えてくれたと、筆者とのインタビューで語った。

これは偶然だが、今回の公開延期によって、2ヶ月半のズレながら『カセットテープ・ダイアリーズ』は、より今の社会とシンクロする結果になった。1980年代、イギリス国民戦線による移民への悪辣な差別行為がベースになっている今作は、現在、アメリカから各国へと広がる人種差別への抗議と重なり、長い時間、何も変わっていない世界の現実を突きつけてくる。

こうした『ボヘミアン・ラプソディ』との近似や、社会的テーマがあるものの、それを脇においても、一本の映画として珠玉の輝きを放つ『カセットテープ・ダイアリーズ』。ジャベドが夢を見つけ、追いかける姿は、われわれのコロナ禍の不安をひとときやわらげ、「映画の夢」という世界へ連れて行ってくれるのではないか。

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『カセットテープ・ダイアリーズ』

7月3日(金)、ロードショー

配給/ポニーキャニオン

(c) BIF Bruce Limited 2019

映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、ヤングマガジン、クーリエ・ジャポン、スクリーン、キネマ旬報、映画秘宝、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。

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