コロナ禍で自作がどう受け止められるか。そしてこれからの映画は? ベルギーの巨匠ダルデンヌ兄弟に聞く

兄のジャン=ピエール(右)と弟のリュック(左)のダルデンヌ兄弟。昨年のカンヌより(写真:ロイター/アフロ)

新型コロナウイルスによる世界的なパンデミックによって、各国でも映画の公開や製作が止まっている。その状況を、とくに感染が深刻なヨーロッパの映画作家はどう受け止めているのか。ベルギーのジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ兄弟。カンヌ国際映画祭には監督作品が8本連続でコンペティションに選ばれるという、文字どおり、世界レベルの巨匠。しかもそのカンヌで、パルムドール2回、グランプリ1回、脚本賞1回、そして監督賞1回という、前人未到の記録を作っている。

昨年(2019年)のカンヌで監督賞に輝いた最新作『その手に触れるまで』も、当初は日本で5/22公開の予定だったが延期。しかし緊急事態宣言が解除されたことで、6/12に公開が決まった。他の延期作品に比べると、これは短いインターバルであり、幸運といえる。

タイトルにもあるように、他者の手に触れることで、頑ななアメッドの心は解きほぐされるのか…。新型コロナの感染で「触れ合う」ことが難しい現在、この作品のテーマは切なさを増す。
タイトルにもあるように、他者の手に触れることで、頑ななアメッドの心は解きほぐされるのか…。新型コロナの感染で「触れ合う」ことが難しい現在、この作品のテーマは切なさを増す。

ダルデンヌ兄弟の暮らすベルギーは、人口に対する致死率が高いといわれている。高齢者施設での感染が甚大だったようだ。6/8の段階で、感染者数は5万9226人で、死亡者数は9595人(米ジョンズ・ホプキンス大の集計より)。ベルギーの人口は約1150万人で、日本の1/10なので、深刻度がよくわかる。このようなコロナ禍において、映画のあり方、受け止められ方がどう変わるのだろう。

生身の人間同士の触れ合いこそ、最上の喜び

その問いに、弟のリュック・ダルデンヌは次のように答える。

「(映画だけでなく)文化とは、他者と一緒にいること。その関係だと思います。こと映画に関しては、映画館に入って何人もの人たちと同じ作品を観ることが大切。つまりそこから社会生活が生まれるわけですから。たとえ一人で映画を観に行ったとしても、他の人と映画について語り合うことができるわけです。ですから映画というものは、今後もなくならないと思います」

ステイホームによって配信がますます活況になり、自宅で映画が気軽に観られる時代になっても、映画館の文化は存続してほしい。ヴァーチャルではなく、人と人の繋がりの重要性を強く信じるというリュック。

「この危機の中にあっても、人々はパソコンを通してコミュニケーションをとることは可能です。しかし、生身の人間同士が会うこと、触れ合うこと、抱き合ってキスをすること。それ以上の喜びはないでしょう」

最新作『その手に触れるまで』は、ベルギーの13歳の少年アメッドが、過激なイスラム指導者に感化されてしまい、イスラムの敵と考えた相手に殺意をも抱く……という衝撃的なストーリー。切迫した現実問題に肉薄するのは、いかにもダルデンヌ兄弟作品らしいが、今回は宗教に洗脳される少年という、かなりセンシティヴなテーマになっている。

こうしたテーマにも挑む自分たちの姿勢について、兄のジャン=ピエールは次のように説明する。2016年、ベルギーのブリュッセルで、イスラム過激派が絡んだとされる連続テロ事件が起こり、それが『その手に触れるまで』を作るきっかけになったそうだ。

「われわれが暮らすヨーロッパにおいて、テロは現実で、日常との距離が近いのです。だから、映画にしなければならないと強く思いました。現実から目を背けてはいけない……。過去には、こうしたテロ行為に目をつぶってきた歴史もありますが、われわれは絶対にそうしたくない。なかったことにするのは『恐怖』です。宗教の狂信化を無視することこそ、恐怖以外の何ものでもないのです」

学校の教師に諭されても、自分が信じてしまったことには一切の揺らぎがない。無垢な表情が、かえって恐ろしさを伝えるという、奇跡の演技をみせるイディル・ベン・アディ。
学校の教師に諭されても、自分が信じてしまったことには一切の揺らぎがない。無垢な表情が、かえって恐ろしさを伝えるという、奇跡の演技をみせるイディル・ベン・アディ。

センシティヴといえば、宗教のテーマ以上に心をざわめかせるのが、主人公アメッドの、子供っぽい妙にオドオドした表情と、過激な言動とのギャップである。それまではゲームが大好きだった、どこにでもいそうな子供が、極端な思想に洗脳され、それに従ってしまう環境の切実さ。作品にとって重要なその部分を体現するうえで、100人ものオーディションで選ばれたのが、演技経験の少ないイディル・ベン・アディ。奇跡のキャスティングともいえる抜擢の理由を、ジャン=ピエールは振り返る。

「イディルが、アメッドと同じように思春期に入る年頃だったこと。笑った顔は子供のように純粋で、体型は少しぽっちゃりしている。そうした身体的、外見的要素が決め手になりました。他人に危害を加えるためにナイフを細工するシーンがありますが、彼が演じると、まるで子供が工作をしているような不器用な印象を与えるんです。変わりつつある自分の身体を制御しきれていない感じでしょうか。イディルの外見は、誰の目からもテロリストには見えません。平和的な顔をしていて、人生経験がまだ外見に表れていないのです」

現実を重ね合わせると、意図しなかった感動も

主人公イディルの決断と逡巡、そして迎える運命に、作品を観た人誰もが胸を締めつけられるはずだが、映画というものは、観るタイミングによって受け止められ方も変わる。受賞を果たした昨年のカンヌの時期とは違って、世界がコロナ禍に見舞われる今、『その手に触れるまで』にも、監督たちが意図していなかった反応が表れるのではないか。

リュック・ダルデンヌは、こう答える。

「それについて、われわれ監督が分析するのは難しいですが、今年の4月、ドイツでテロ事件が起こりかけました。テロリストのグループが『これ(コロナ禍)は神の罰だ。シャリーア(イスラムの法)、イスラム教に反した者たちに罰が下された』と声明を出したのです。幸いにも、このテロは未然に防ぐことができましたが、このような風潮にある世の中に、私たちの映画を重ね合わせることで、何かニュース的な、特別な意味をもつかもしれません」

そしてこれは何とも皮肉なのだが、日本語タイトルにもあるとおり、この作品では「他者と手を触れ合う」ことがキーポイントとなってアメッドの運命も変わっていく。しかし新型コロナウイルスの影響下にある現在、他者と直接、触れ合うことが、ある意味で避けるべき行為になってしまった。そうした状況を重ね合わせることで、より一層、この作品は切実さを帯びることだろう。これはダルデンヌ兄弟も意図しなかったはずだ。

日本から遠く離れたベルギーの少年の物語を、いま世界が共に闘っている状況で観ることで、予期せぬ何かが見えてくる。そんな「発見」も期待して、劇場に足を運んでほしい。

画像

『その手に触れるまで』

配給:ビターズ・エンド

(c) Les Films Du Fleuve- Archipel 35- France 2 Cinema- Proximus- RTBF

6/12(金)ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー