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今年も社会的メッセージの強くなりそうなアカデミー賞授賞式。でも本当に見たい瞬間は……

斉藤博昭映画ジャーナリスト
第81回アカデミー賞でアン・ハサウェイと踊ったホストのヒュー・ジャックマン(写真:ロイター/アフロ)

3月5日(現地時間は4日)に行われる、映画界最大のイベント、アカデミー賞授賞式。今年は映画界以外にも大きな波紋を呼んだセクハラ問題に端を発し、銃規制多様性などのトピックが受賞の結果や授賞式の内容にどんな影響を与えるか、取りざたされている。

一方でここ数年、「白すぎるオスカー」と批判を受けた人種問題や、あからさまなトランプ政権への反発など、映画の評価そのものから離れて、社会問題との関連が強調されすぎて、「本来の賞の目的が薄れている」という意見も増えている気がする。とくに日本の映画ファンの間では……。ただ、アカデミー賞というものは、もともとその時代の政治的、社会的な問題に影響を受けるのが、ある程度「常識」で、その「時期」を象徴した作品が選ばれるケースが多い。もともと作品の善し悪しなどで、アカデミー会員全員が正当な判断を下せるはずもなく、「流れ」で投票するのは仕方ないことだろう。

受賞スピーチでユダヤ人を公然と批判した女優

アカデミー賞授賞式と社会問題で頻繁に騒動が起こった時期は、長い歴史の中でも何度もあり、とくにベトナム戦争が続いた1970年代などは、たびたび政治的意見のスピーチが波紋を起こしていた。政治的発言の例でいえば、1978年の授賞式で『ジュリア』で助演女優賞を受賞したヴァネッサ・レッドグレーヴが有名で、授賞式以前から彼女は「パレスチナ人と反ファシストのために戦う」と公言していたこともあり、授賞式の会場前では抗議団体が「ヴァネッサは殺人者」という人形に火をつけるなど騒然。そしてヴァネッサは受賞のスピーチでもユダヤ人の一部を公然と非難し、アカデミー賞の歴史にも残る大ブーイングを浴びた。しかしよく考えれば、ユダヤ人が多いハリウッド社会で、ヴァネッサが受賞者に選ばれたこと自体が不思議。つまり、彼女の演技が正当に評価されたということだった。その後、ヴァネッサは女優としての仕事に、多くの困難もつきまとうのだが……。

その他にも、先住民の人種差別に抗議したマーロン・ブランドが主演男優賞受賞を辞退し、先住民の姿をした女性が代理でオスカーを受け取ったり(1973年)、赤狩りの裏切り者とされたエリア・カザン監督が名誉賞を受賞したときに、会場がスタンディングオベーションと憮然と座ったままの人で半々となったり(1999年)と、さまざまな波紋の瞬間がアカデミー賞の歴史には刻まれている。

授賞式を盛り上げる華やかなミュージカル

そういった瞬間も映画の歴史や時代性を象徴して重要かもしれないが、授賞式を見る立場としては、その他にもショーアップされたパフォーマンスや、心の底から素直に感動してしまうスピーチに期待をしたい。

パフォーマンスという点で近年、最も印象に残ったのは、2009年、ホストを務めたヒュー・ジャックマンによるミュージカルだろう。候補作を歌とダンスとともに紹介する演出は、過去のビリー・クリスタルなどでもおなじみだったが、この年はミュージカル俳優としても才能があるヒューのキレキレのダンスと美声が最高レベルで発揮され、客席に座っていたアン・ハサウェイをお姫様だっこでステージに無理矢理上げて一緒に踊ったりと(もちろんお約束)、授賞式中でも最高の盛り上がりとなった。こうした派手なミュージカル演出は、その後、ニール・パトリック・ハリスがホストを務めた2015年にもあったが、近年は演出の予算も削減傾向で「何年かに一度」という印象。今年は昨年に続いてホストがジミー・キンメルなので、話芸や笑える演出は楽しみなものの、華やかなステージという面はどこまで達成されるのか。

そして感動的なスピーチでは、アカデミー賞の歴史を振り返ってもいくつも挙げられる。

1976年、『カッコーの巣の上で』で主演女優賞を受賞したルイーズ・フレッチャーは、耳の聴こえない両親に向かって手話で感謝を伝え、熱い拍手を受けた。最近では2015年、『6歳のボクが、大人になるまで。』で助演女優賞を受賞したパトリシア・アークエットが、ハリウッドにおける男女の待遇の格差を訴え、社会的発言を感動のスピーチにつなげた名場面もあった。

スターの素直な反応が美しく感動的な瞬間に

そしてアカデミー賞の歴史の中で、美しく忘れがたいスピーチとして、2回の授賞式をつなぐものがあった。ちょっとレアなエピソードだが、記しておきたい。

1978年、プレゼンターとして登場したのが、ウィリアム・ホールデン(『麗しのサブリナ』や『慕情』のスター)と大女優のバーバラ・スタンウィック。このとき壇上でホールデンは次のように語り始めた。

「39年前のこと、僕は初めて大役をつかんだ『ゴールデン・ボーイ』で、失敗ばかりで役を降ろされそうになっていた。しかしそのとき、ある美しい心をもった人が、プロとしての誠実さ、そして何よりも寛大な心で励ましてくれた。その結果、今夜こうしてここにいる」

『ゴールデン・ボーイ』の共演者で、いま隣に立つスタンウィックに感謝の言葉を述べたのである。そんなことを言われるとは思っていなかったスタンウィックは、心からの驚きと喜びの表情をみせ、ホールデンに抱きつく。ひじょうに感動的な場面となった。

それから3年後、ウィリアム・ホールデンは亡くなる。さらに1年後の1982年、それまで何度も候補になりながら、受賞には至らなかったバーバラ・スタンウィックにアカデミー賞名誉賞が贈られた。彼女はスピーチの最後をこう締めくくった。

「数年前のこのステージに、私はウィリアム・ホールデンと一緒に立っていました。彼はつねに私がオスカーを取ることを願っていたのです。私のゴールデン・ボーイ、今夜あなたの夢が叶ったわ」。

涙が流れるのを必死でこらえながら、オスカー像を天国に向けて高く掲げたバーバラ・スタンウィック。その感極まった表情は、アカデミー賞の歴史の中でも最も美しく素直なものだった気がする。

俳優たちの何かと作り込んで感動させるスピーチが多いなか、こうしたスター同士の素の関係も伝わる、心洗われる言葉や表情は、砂の中の宝石のように光り輝く。今年のアカデミー賞授賞式で、感動的な瞬間が訪れることを楽しみにしたい。

映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、ヤングマガジン、クーリエ・ジャポン、スクリーン、キネマ旬報、映画秘宝、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。

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