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流氷に乗ったオホーツク海の漂流事故 実は稀だった

斎藤秀俊水難学者/工学者 長岡技術科学大学大学院教授
オホーツク海の流氷、水面に出ているのは一部分だ(知床斜里町観光協会提供)

 流氷は読んでのごとく、常に流れています。先日、北海道網走市にて写真を撮影しようとして流氷に乗ったところ、その流氷によって沖合に連れていかれそうになった大学生がいました。それを耳にして「やっぱりな」と思う反面、実は近年流氷にまつわる大きな事故が起こっていないのではないか、そう思い取材したところ、今回の事故は実は稀だったのです。その裏には、事故を起こさないための地元の方の不断の努力がありました。

流氷がやってきた、シーズン真っ盛り

 今年は暖冬の影響で流氷の時期がすっかりずれ込んでしまいました。それでも2月4日は紋別で、同9日には網走で流氷初日を迎えました。流氷シーズン真っ盛りです。

 海上保安庁海氷情報センターの最新の海氷速報によれば、紋別、網走や知床の海岸まで流氷が迫っているようですが、沿岸からの目視等による海氷分布状況によれば今季最も流氷が観測できる網走では視界内氷量8で、流氷のみの氷量 : 8 / 10、港内の氷量 : 5 / 10と例年よりも氷の見える範囲が狭い状況です。

 とは言っても、この時期の流氷は壮大なスケールの自然を満喫できるとあって、観光客にはたいへんな人気です。流氷の中を航行するガリンコ号、流氷砕氷船おーろら、根室海峡クルーズをはじめ、陸では流氷地帯沿岸を走る流氷列車も流氷の景色を満喫するにはもってこいの観光手段です。

吸い込まれそうになる壮大な景色と事故

 いつものことですが、水難事故はそこに人がいて、そして何らかの突然の自然の変化があって発生します。例えば、「たまたまの休日で太平洋側の海の砂浜海岸で遊んでいたら、突然の大きな波によって流された」という水難事故は、平日で人がいなかったら発生しないし、人がいたとしてもはるかかなたの台風から来襲したうねりが来なければ流されることもないわけです。そもそも、安全で気持ちよさそうに思えたから海岸にいたのであって、特段の用事がなければ、ふらついていることもないわけです。

 「写真が撮りたかった…」 流氷に乗った大学生 沖に流される 北海道網走市(STVニュース北海道)に掲載になった事故は、特に大事に至らず、自力で陸地に戻ることができた程度の軽微な事故でした。

 壮大な景色に吸い込まれている自分を撮影したくて流氷に乗り、今季は氷の量が少なくてすぐに流されて、自然に本当に吸い込まれてしまったということでしょうか。

 筆者は「流氷の怖さを知らせることのできるいい啓蒙記事だ」と思い、この記事にコメントを入れました。ところが、この記事に思いもよらないほど数の「参考になった」が押されて驚きました。いつもは地方限定の、しかも命の大事に至らなかった記事にコメントを入れてもせいぜい10ポイントくらい「参考になった」が押される程度だからです。

 「流氷に乗った大学生 沖に流される。」ある意味、読者の頭の中では「やっぱりな」と思うところがあったのでしょう。その一方で、筆者は「あり得る事故だけれども、もしかしたらたいへん珍しいのではないか」と考えて、様々な取材を試みました。その結果・・・

 ニュース検索に強いG-Searchを利用して、約150紙誌/過去30年以上にわたる収録記事全体を検索しました。そうすると、様々なキーワードを駆使しても流氷に流されたとか、落水したとかによって引き起こされた死亡事故は1件も検索にかからなかったのです。

 地元で長年流氷にかかわっている機関として、知床斜里町観光協会に電話取材しました。電話応対された方は、長年地元で暮らしていて、観光協会のお仕事をされていますが、「近年、事故は聞いたことがない」と話されていました。地元では、誰でも小さいころから「流氷に乗っては絶対にいけない」と両親から聞かされて育つそうです。

 地元の網走海上保安署にも電話取材しました。事情をお話しすると「しっかり調べてからお答えします」ということで、その後すぐに回答をいただきました。その結果、「管内で5年間にわたる記録を見てみたが流氷にかかわる事故は先日の1件だけ」ということでした。とは言っても、特に観光客の皆様には「流氷に乗るのは危険」というポスターを鉄道駅やバスターミナルに掲示してしっかり周知しているし、日ごろからパトロールをして流氷に乗っている人に陸に戻るようにお願いしているそうです。今回も事故後のパトロールで流氷に乗っている人を発見し、声をかけたそうです。

 要するに、流氷に乗ったまま流されるとか、流氷から落水するとか、あり得る事故なのですが、地元関係者の不断の努力によって啓蒙が行き届いていて、これまでのところ大事に至ってないと言えることがわかりました。

流氷ってなに?

 カバー写真に示した通り、北海道の流氷と言っても大きさが様々です。集団でひしめき合っているのもあり、はぐれて浮遊するものあり、流氷ですから、すべて流されている氷の浮遊物です。

 海水の比重はほぼ1.02で、流氷の成分はどちらかというと真水に近いので0.92。その差は0.1ですから、海の表面に出ているのは全体の体積の10%、海中に沈んでいる部分が90%です。流氷と氷山は何が違うかというと図1の通りです。流氷は比較的平坦なのに対して、氷山の先端はまさに「氷山の一角」というくらい立体的な形状を呈しています。

図1 オホーツク海の流氷と氷山を比較したイメージ(筆者作成)
図1 オホーツク海の流氷と氷山を比較したイメージ(筆者作成)

 流れる速さについては、学術的に調査された論文で知ることができます。山本泰司らは紋別港の沖合の流氷移動速度を調べたところ、毎秒平均で0.2 m、最大速度で毎秒2.0 mでした。移動には風の影響が強く出ていることがわかっています。

流氷に乗る危険性

 沿岸に接近した流氷からのはぐれ氷が特に危険です。海岸付近の離岸流などを含む海浜流は普段から毎秒0.3 m前後で当たり前に流れています。流氷はそう言った海浜流でも移動します。砂浜では陸に上がった波が戻るときに発生する戻り流れだと毎秒5 mから10 mで流れます。ここに流氷が乗れば、その流氷は陸上100 m走のオリンピック選手並みの速さで沖に流されることもあり得ます。

 もちろん、風の影響も考えなければいけません。日中海から陸に向かって吹いている風に流されて接岸したはぐれ氷。夕方になって風向きが急に変わり、陸から海に向かって吹く風に乗ってしまうと簡単に沖に流されます。

【参考】沖に流されたら、どうして大人が犠牲になる?そうなるのが水難事故だ

 筆者記事「暖かい冬は氷が薄い。そして冷水には危険が潜んでいる」では、氷の厚さが5 cm以下で割れる危険あり、と解説しました。氷の上で歩くなど、普通の活動をするには10 cm以上が必要です。このような氷が破片になって漂うとき、実は水面から出ている高さは1 cmです。

 総合的な実験により、人が水面から浮くものに這い上がれる高さは水面からせいぜい10 cmですから、理論的にいえば、厚さ1 mの氷でも這い上がることが可能です。ただし、氷の形状は氷山のようでは斜面がきつくて這い上がることができません。また実際には、手がかじかんで、氷をグリップすることができず、支点を失って上がれなくなります。

 流されても、落水しても、すぐに118番海上保安庁、119番消防などに緊急連絡して救助を求めます。ただし、冷水中で命がもつのは分単位。時間との闘いです。

【参考】冬場のワカサギ釣りに潜む危険 極寒の水に落ちたときの対処法は(1月10日16:30図追加版) 

それでも流氷に乗りたい!

 知床斜里町観光協会で聞いたところ、そういうご希望の方向けの体験ツアーがあるとのこと。例えば流氷で景色が一転するウトロの海岸。ここでツアー用に開発された専用のドライスーツを着用して流氷を散歩して楽しむことができるそうです。ドライスーツとは、高い保温性と浮力を兼ね備えたブーツ一体型のスーツのことです。流氷の上を歩きまわったり、図2のようにオホーツク海の流氷の間で背浮きしたりすることができます。専門ガイドが安全確認をしながら進むことのできるツアーですから、このように安全が確保された状況で氷上体験されるといいと思います。

図2 流氷体験のツアーの一コマ(知床斜里町観光協会提供)
図2 流氷体験のツアーの一コマ(知床斜里町観光協会提供)

まとめ

 「流氷に乗った大学生 沖に流される。」ある意味、「やっぱりな」と思いつつ、その一方で、「あり得る事故だけれども、もしかしたらたいへん珍しいのではないか」と考えて、様々な取材を試みました。確かに近年稀な事故だったようですが、その裏では地元の人が観光客に危険を周知し、そして安全に流氷を楽しむツアーを企画している努力があることがわかりました。

 2月いっぱい流氷観光シーズンです。ぜひ冬の北海道に足を延ばしてみてください。

水難学者/工学者 長岡技術科学大学大学院教授

ういてまて。救助技術がどんなに優れていても、要救助者が浮いて呼吸を確保できなければ水難からの生還は難しい。要救助側の命を守る考え方が「ういてまて」です。浮き輪を使おうが救命胴衣を着装してようが単純な背浮きであろうが、浮いて呼吸を確保し救助を待てた人が水難事故から生還できます。水難学者であると同時に工学者(材料工学)です。水難事故・偽装事件の解析実績多数。風呂から海まで水や雪氷にまつわる事故・事件、津波大雨災害、船舶事故、工学的要素があればなおさらのこのような話題を実験・現場第一主義に徹し提供していきます。オーサー大賞2021受賞。講演会・取材承ります。連絡先 jimu@uitemate.jp

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