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気象衛星「ひまわり」が8号から9号へ切り替え、切れ目なく観測して強まる冬型の気圧配置の大雪を予報

饒村曜気象予報士
「ひまわり8号」から見た事実上最後の寒気をもたらす雲(12月12日15時)

気圧の谷の通過後は再び大雪

 高気圧の通過で太平洋側の地方は概ね晴れ、日本海側の地方も晴れ間が広がってきたという週明けでしたが、日本海北部から東シナ海には低気圧の谷が接近し、日本海から東シナ海には雨雲があります(タイトル画像参照)。

 12月13日は、気圧の谷の中から低気圧や前線がはっきりするようになり、日本列島を通過する見込みです(図1)。

図1 予想天気図(左は12月13日9時の予想、右は14日9時の予想)
図1 予想天気図(左は12月13日9時の予想、右は14日9時の予想)

 このため、西日本から雨が降り出し、13日は全国的に雨の火曜日になりそうです。

 低気圧や前線に向かって暖気が北上しますので、北海道でも、雪ではなく雨の所もあります。

 そして、低気圧や前線の通過後の14日以降は、上空に強い寒気が流入し、西高東低の冬型の気圧配置が次第に強まる予想です。

 広い範囲で等圧線の間隔が狭く、北風が強まる見込みです。

 真冬とは違って地上付近の気温はまだ冷え切っていない時の寒気南下ですので、上下の温度差が大きくなり、より激しい現象が起きますので、北日本や西日本の日本海側の地方から北陸では大雪に警戒が必要です。

 晴れる日が多かった太平洋側の地方でも、13日の朝の通勤通学の時間は、近畿や東海を中心に本降りの雨でしょう。

 関東も朝には雨の降り出すところが多い見込みで、関東の山沿いや甲信地方は雪になるおそれがあります。

 気温は上がらず、特に関東では、真冬並みの寒さとなり、その後も平年並みの寒い日が続く見込みです。

 これらの天気予報の精度向上に大きな貢献をしているのは、平成27年(2015年)7月7日から7年以上の間、上空約36000キロから観測を続けている「ひまわり8号」です。

 この「ひまわり8号」は、令和4年(2022年)12月13日14時から、平成29年(2017年)3月から待機運用をしていた「ひまわり9号」ヘ切り替えとなります。

 そして、12月13日以降は、「ひまわり8号」が待機運用となります。

 2機を合わせて令和11年度(2029年度)までの約15年間の運用計画の折り返しです。

ひまわりの登場

 昭和50年(1975年)9月9日に人工衛星打ち上げ技術習得用の衛星が打ち上げられ、宇宙開発事業団(現在の宇宙航空研究開発機構JAXA)は、菊の節句にちなみ愛称を「きく」としました。

 その後、51年(1976年)の電離層観測衛星「うめ」、52年(1977年)の気象衛星「ひまわり」など、愛称が花の名前(ひらがな)で付けられています。

 これは、「宇宙に花ひらけ」との願いをこめてですが、気象に密接な関係がある太陽とイメージが重なる「ひまわり」は、今では国民生活にすっかり定着しています。

 「ひまわり1号」が最初に画像を送ってきたのは、昭和52年9月8日12時の可視画像で、沖縄の南海上に台風9号の雲が見えます(図2)。

図2 気象衛星ひまわり(昭和52年9月8日12時の可視画像)
図2 気象衛星ひまわり(昭和52年9月8日12時の可視画像)

 台風9号は、その後、勢力を落とさずに9日23時前に沖永良部島を直撃、907.3ヘクトパスカルと言う日本最低気圧を観測したことから、気象庁は「沖永良部台風」と命名しました。

 その後、台風9号は北上して九州上陸という予報に反して東シナ海を西へ進み、東シナ海で漁船が多数台風に巻きこまれました。

 これは、日本東方の太平洋高気圧が急速に勢力を強め、西に張り出してきたためで、このとき「ひまわり」が運用されていればとの指摘がありました。

 このため、「ひまわり」の機能チェック作業などのスケジュールが前倒しとなり、予定より早い11月4日に宇宙開発事業団から気象庁に運用が移管、翌53年(1978年)4月6日から本運用となりました。

 平成に入ると衛星の名前は公募されることが多くなりました。

 気象衛星「ひまわり5号」の後継機として平成11年11月15日に打ち上げられる「運輸多目的衛星1号」は、航空機の管制機能付加など機能が一新されることもあって、公募で新しい名前が付けられることになりました。

 しかし、打ち上げに失敗、気象観測は「ひまわり5号」の延命措置とアメリカの中古衛星「ゴーズ9号」借用で何とか継続をしました。

 平成17年2月26日に打ち上げられた「運輸多目的衛星新1号」は、親しまれている愛称を継続するということで、「ひまわり6号」と名前が付けられました。

 翌年に「ひまわり7号」が打ち上げられ、以後2機体制になっているのは、気象衛星の重要性が増し、長期間の欠測を避けるためです(表1)。

表1 歴代の「ひまわり」
表1 歴代の「ひまわり」

大気の窓

 人工衛星が打ち上げられると、すぐに、それを使っての気象観測が始まっています。

 気象を専門に観測する気象衛星が登場する前の話です。

 地球から放射される光は、衛星に到達するまでに地球をとりまく大気の間を通っていますが、波長には、大気に吸収されやすい波長と吸収されにくい波長があります(図3)。

図3 各波長の電磁波の大気による吸収率と衛星で観測する波長帯
図3 各波長の電磁波の大気による吸収率と衛星で観測する波長帯

 昭和52年(1977年)に打ち上げられた最初の静止気象衛星「ひまわり」では、可視領域の0.55~0.9マイクロメーターの波長と、赤外線の10.5~12.5マイクロメーターの波長を観測していました。ともに、大気による吸収の少ない「大気の窓」と呼ばれる波長の観測です。

 可視画像は、太陽光が地球によって反射した光の観測で、昼間しか観測できませんが、厚い雲や雲粒の密集した雲ほど白く映ります。

 赤外画像は、赤外線の強さから、その赤外線を出している物体の温度を推定し、温度の低いものほど白く映るようにした画像です。

 雲が存在する対流圏では高度が高くなるにつれて温度が低くなりますので、赤外画像で白く映るのは、雲頂が高いところにある雲です。夜間でも観測できることから、テレビ等でよく使われている画像です。

 水蒸気画像は、大気の窓の波長ではなく、水蒸気に吸収されやすい波長で観測しています。

 このため、低気圧や台風にともなう雲がなくても水蒸気の多い場所は白く、乾燥している場所は黒く表現されています。

世界初のカラー観測

 平成26年(2014年)10月7日に、防災のための監視と地球環境の監視機能強化を目的に打ち上げられた「ひまわり8号」は、約2ヶ月後の12月18日にカラーで撮影した地球の画像を送ってきています。

 「ひまわり8号」は、それまでの「ひまわり7号」に比べると、搭載している放射計の数が5から16に増え、解像度も半分になってより細かい観測が可能となっています(表2)。

表2 「ひまわり7号」と「ひまわり8号」の違い
表2 「ひまわり7号」と「ひまわり8号」の違い

 なかでも、可視光領域の3つの波長の観測を合成することで、人が宇宙から地球を見た場合に似た「カラー画像」が作成可能となったのが大きな特徴の衛星です。

 これまでは、わかりやすいようにコンピュータ処理で色をつけていましたが、実際のカラー観測は「ひまわり8号」が世界初です。

 カラー観測になったことにより、防災のための監視能力が向上したことに加え、黄砂や火山の噴煙などの監視でも今まで以上に有効になります。

 また、海の色は植物プランクトンの量で変わりますので、漁業や、地球温暖化の正確な予測(海の二酸化炭素吸収量の正確な把握)などにも利用が期待されています。

 昭和36年(1961年)4月12日にソビエト連邦のユーリー・ガガーリンが世界で初めて宇宙飛行をし、「空はとても暗かった。一方地球は青みがかっていた(日本では〈地球は青かった〉と訳される)」という有名な言葉を残しています。

 「ひまわり8号」から見た青い地球に対し、ガガーリンのときより地球が汚れたので青が薄くなったとか、人間の目は青が強調して入るので実際に見る地球のほうが青いなどの意見がでました。

次期気象衛星「ひまわり10号」

 「ひまわり8号」と「ひまわり9号」は、ともに、令和11年(2029年)には設計寿命を迎えることから、現在「ひまわり10号」の検討が進められています。

 この目玉が、線状降水帯や台風の進路予報の精度向上に貢献が期待されている赤外サウンダー搭載の検討です。

 赤外サウンダーにより、これまで平面的にとらえていた雲を、立体的に観測することが可能になります。

 気象庁では、令和5年度を目処に「ひまわり10号」の製造に着手する予定としています。

 私事ですが、「ひまわり1号」が打ち上げられた昭和52年(1977年)は、気象庁に入庁して5年目、転勤で気象庁予報課に赴任した年です。

 予報課では気象衛星画像の利用に詳しい人はおらず、急遽、東京都清瀬市にある気象衛星センターへ当番の合間を縫って研修を受けていたという状況でした。

 気象衛星の観測結果は、非常にコントラストが低い0号印画紙を使った写真にして使う方法でしたが、観測資料のほとんどない海上まで詳細にわかるということで衝撃を受けたのが昨日のようです。

 その後、観測機器やスーパーコンピュータの急速な進歩によって気象衛星ひまわりの重要性は大きくなり、天気予報にとって、なくてはならないものになっています。

 衝撃を受けた45年前には想像だにできなかったことが現実になっています。

タイトル画像の出典:ウェザーマップ提供。

図1の出典:気象庁ホームページ。

図2の出典:「饒村曜(昭和61年(1986年))、台風物語、日本気象協会」に加筆。

図3の出典:饒村曜(平成27年(2015年))、気象予報士完全合格教本、新星出版社。

表1、表2の出典:気象庁資料をもとに筆者作成。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。

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