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気象データの一部が入電しなくなったウクライナ 43年前のベトナムも

饒村曜気象予報士
ウクライナ・ロシアとその周辺国・マップイラスト(提供:イメージマート)

ウクライナの気象データ

 各国が観測している気象データは、世界気象機関(WMO)を通して全世界で共有され、各国の天気予報等で使われています。

 令和4年(2022年)2月24日、ロシアは陸海空からウクライナへ侵攻を開始しました。

 その直後から、ウクライナの気象観測データの気象庁への入電が減っています(表)。

表 気象庁に入電したウクライナの地上気象観測データの一部 (2月25日協定世界時0時(日本時間25日9時))
表 気象庁に入電したウクライナの地上気象観測データの一部 (2月25日協定世界時0時(日本時間25日9時))

 25日の段階で、地上気象観測データは3分の1ほど、首都キエフやリヴィウなどで行われていた気球を使った高層気象観測データは全て入電しませんでした。

 開戦と同時に気象観測データの報道管制を行うことは、太平洋戦争など、よくあることです。

 敵に自国の気象データがわたり、それを使って攻撃されては困るという考えからですが、今回は、部分的にせよ入電していますので、報道管制ではなさそうです。

 今回のデータが入電していない具体的な理由は不明ですが、通信障害が起きている、観測所に観測員がいなくなった、戦闘で観測機器が壊れた、などが考えられます。

中国・ベトナム戦争

 今から43年前、昭和54年(1979年)2月17日、中国軍30万人が3方面からベトナムへの侵攻を開始しています(図)。

図 中国・ベトナム戦争の説明図
図 中国・ベトナム戦争の説明図

 「ベトナムに対する懲罰的軍事行動」という理由で、ランソンなどのベトナム北部の都市占領を目的としていました。

 当時、ベトナム軍の主力部隊はカンボジアでポルポト軍と戦っていたので、ベトナム北部には僅かな部隊しか配備していませんでした。

 ベトナムの作戦は、ベトナム戦争の時に勝ち取ったアメリカ軍などの兵器を使い、敵に多大な損害を与えつつ後退し、ハノイ郊外に作った巨大陣地に入るというものでした。

 中国軍がランソンを占領した3月5日には、カンボジアから戻った主力部隊も巨大陣地に入り、反撃体制を作っています。

 当時、筆者は気象庁予報課でアジア太平洋の天気図を解析していました。

 このため、ベトナム北部の都市の観測データの入電状況が気になり、注目していましたが、中国が都市を占領したと発表した数日後からその都市の観測データは入電しなくなりました。

 中国が都市を占領したと発表した時点では、その都市で観測が行われていたわけで、計画的に退却したのではないかと推測しましたが、実際にどうだったのかはわかりません。

 中国は、3月6日に目的を達したと宣言し、ベトナム軍の反撃の中、3月16日にはベトナム領から撤退しています。

 そして、中国はベトナム軍5万2000人をせん滅させた、ベトナムは中国軍2万人を死亡させ4万人を負傷させたと発表し、ともに勝利宣言をしています。

 しかし、多くの犠牲者を出した戦争でした。

天気予報は平和のあかし

 ウクライナの観測データが入電しなくても、ウクライナ周辺国の観測データや気象衛星による観測データなどである程度補足することができます。

 現時点で、国内の影響はほぼないと考えられますが、争いが拡大すれば観測データを共有できない地点も増え、共有できない期間も長引いて日本に影響が出るおそれもあります。

 天気予報は各国の協力によって成り立つ平和の象徴です。

 戦争のはやい収束を願っています。

図の出典:筆者作成。

表の出典:気象庁資料をもとに筆者作成。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。

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