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官製相談所としては最古の「気象庁・天気相談所」

饒村曜気象予報士
通話する女性(写真:アフロ)

天気相談所の黎明期

 終戦から約半年後の昭和21年(1946年)2月25日、中央気象台(現在の気象庁)予報部予報課の中で高橋浩一郎予報課長・久米康孝庶務係長のもと、伊坂達孝主任以下4名の庶務係員で天気相談所が開設となっています。

 この天気相談所は、和達清夫予報部長の発案といわれています。

 戦後の混乱期には、鉄道による荷物が届かないという事故が多く、国鉄(現在のJR各社)では昭和21年(1946年)の初めから秋葉原に「迷子荷物相談所」を設けて対応しており、これにヒントを得たとも言われています。

 和達清夫予報部長は、翌22年(1947年)3月31日には藤原咲平のあとを継いで第6代の中央気象台長となり、昭和31年(1956年)7月1日の気象庁発足とともに初代気象庁長官になっていますので、天気相談所設立時の中心人物です。

 仕事の内容は、一般天気相談、学校その他への講師派遣、報道関係対応、見学案内、丸ビル内の交通公社内に出張所をおく、日曜日に国立科学博物館に特設天気コーナーを置くの6つでした。

 ただ、予算はゼロで、周知不足もあり、開設した2月25日は来所した新聞記者1名、翌26日は午前中に1名来所と、津波に関する問い合わせ1件しかありませんでした。

 しかし、二、三か月閑古鳥が鳴いた後、6月からは急に忙しくなっています。

 朝の電話は大部分天気予報の照会で、特に雨が降っている日や雨が降りそうな日、休みの前の日はすさまじい忙しさになっています。

 暴風警報や気象特報(現在の気象注意報)が出たときは、港湾や船舶、電力、土木関係者からひっきりなしに電話がかかってきました。

 そして、影響力が大きい新聞記者との対応が加わり、これが大きな仕事となっています。

 丸ビルの交通公社内に設けられた天気相談所の出張所には、所員1名が常駐していましたが、当時は集団的な旅行についての問い合わせや、旅行の持ち物の相談など、気象台側の意図とは合致しない相談も多かったと言います。

 また、初期のお客としては、東宝から映画ロケのための問い合わせが多く、ロケ費用と天気の関係がいかに大きいかを知らされたという記録も残っています。

 さらに、昭和21年(1946年)中頃から、受益者との連絡ということで、葉書天気図が始まっています。

 これは、葉書代だけ貰って、毎日、葉書の上部に天気図、下に天気情報を記入し、印刷して発送するもので、好評でした。

天気相談所の正式な誕生

 急増した天気相談業務に対応するため、翌22年(1947年)1月6日には、中央気象台達(中央気象台内の規程)がだされ、正式に天気相談所が誕生しています。

昭和22年1月6日 台達1号中央気象台

課務分掌規程(昭和21.2台達6号)の1部改正

天気相談所

1.天気の問い合わせ応答に関すること

2.天気予報の利用の普及に関すること

 そして、同年3月31日に予報課の久米康孝庶務係長に天気相談所主任の辞令が出され、8名体制となっていますので、法的に認知された官制上の天気相談所の誕生は昭和22年(1947年)3月31日ということになります。

 なお、天気相談所主任の職名が天気相談所所長に変わり、天気相談所が拡充したのは昭和29年(1954年)からで、初代の所長は大野義輝氏でした。

 天気相談所は気象庁本庁(東京)だけではく、昭和43年(1968年)に大阪管区気象台、昭和58年(1983年)に福岡管区気象台、昭和59年(1984年)に札幌管区気象台、昭和60年(1985年)に仙台管区気象台、昭和61年(1986年)に沖縄気象台に設置されています。

天相エレジー

 昭和40年代に作られたと思いますが、私が気象庁予報課に勤務しはじめた頃、天気相談所にはこのような替え歌が残されていました。

天相エレジー

一 晴れているのに予報は雨だ

電話の前で頭を下げて

今日も朝から言い訳すれば

すぐに予報がまた変わる

アーアー明日休みたい

アーアー アーアー

二 馬鹿じゃ駄目だよ利口もだめさ

中途半端はなおさら駄目だ

 元歌は何だったの不詳ですが、天気予報が外れた苦情から、話し相手が欲しいという人までの気象と関係がない電話、幼稚園児による電話のかけかたの練習台の電話などなど、ストレスのたまる仕事だったと思います。

 とはいえ、国民が気楽に問い合わせのできる国の機関としては、「お天気相談所」が一番だということの反映かもしれません。

 夏休みの終わりになると宿題を抱えた多くの小学生が天気相談所に押し寄せ、夏休み期間中の天気の一覧表をコピーするという光景が風物詩としてニュースに取り上げられました(写真)。

写真 年中多忙な天気相談所(気象庁、昭和40年代後半(1970年代前半))
写真 年中多忙な天気相談所(気象庁、昭和40年代後半(1970年代前半))

 現在は、インターネットの普及などを背景に天気相談所への来訪者は減っていますが、インターネットなどを通じての情報提供は飛躍的に増えています。

 天気相談所の業務の方法が大きく変わっていますが、国民が知りたいことと気象庁が知らせたいことの窓口としての機能は変わっていないと思います。

写真の出典:気象庁編集(昭和50年(1975年))、気象百年史、日本気象学会。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。

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