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相次ぐ特別警報の発表と46年前の七夕豪雨

饒村曜気象予報士
日本を襲う梅雨前線上の積乱雲の塊(7月7日3時00分)

「ちびまる子ちゃん」はいつも小学校3年生

 さくらももこの人気漫画「ちびまる子ちゃん」は、作者の小学校(静岡市の清水入江小学校)の思い出を軸に描かれています。

 私は勝手にちびまる子ちゃんの設定が、いつも小学校3年生なのは、作者自身の強烈な体験をした年であったからと思っています。

 実体験が多いと言われる初期の作品に「まるちゃんの町は大洪水の巻」があります。

 小学校や友達の家が浸水したまるちゃんに「わたしは町が海になったこの日のことは本当に忘れられない。見慣れた町のウソみたいなあんな光景は幼心にものすごいショックであった」と言わせています。

 このときの豪雨が、今から46年前の昭和49年(1974年)7月7日、七夕(タナバタ)の節句の日に、静岡市と清水市(合併して現在は静岡市)を襲った、通称「七夕豪雨」です。

七夕豪雨

 昭和49年(1974年)7月7日、七夕の日は、東シナ海を北上してきた台風8号が対馬海峡にすすみ、その東側から九州の南海上に伸びる帯状の雲ができ、この帯状雲が静岡市・清水市では動きませんでした(図1)。

図1 七夕豪雨時の帯状雲とレーダー観測の重ね合わせ(昭和49年(1974年)7月7日9時)
図1 七夕豪雨時の帯状雲とレーダー観測の重ね合わせ(昭和49年(1974年)7月7日9時)

 アメダスや静止気象衛星「ひまわり」が登場する前の話で、線状降水帯という概念もない時代の話ですが、今から考えると、線状降水帯ができていたのかもしれません。

 静岡地方気象台では、7日9時からの24時間雨量は歴代1位の508ミリを観測し、安倍川や巴川が氾濫し、土砂崩れなどで死者27人、浸水家屋2万6000棟等という大きな被害が発生しました。

 七夕(7月7日の節句)は、一年に一度、戻って来る祖先の霊に着せる衣服を機織りして棚に置いておく習慣、つまり「棚機」からきていると言われれています。

 これに、中国から伝わった織女(おりひめ)と牽牛(けんぎゅう)の伝説が結び付けられ、七夕は、天の川を隔てた織女星(こと座のベガ)と牽牛星(わし座のアルタイル)が、年に一度の逢瀬を許される日とされています。

 七夕前日の7月6日に降る雨を「洗車雨」と言われるのは、牽牛が牛車を洗ったために降る雨とされているからです。

 また、七夕当日の7月7日に降る雨を「催涙雨」と言われます。会えなかったときに流す涙という意味と、会っても別れの時に流す涙という2つの意味があるとされています。

 旧暦の7月7日は梅雨明けが終って晴天の可能性が高いのですが、新暦の7月7日はほとんどの地方で梅雨がまっさかりです。

 現代の七夕は、星空を見上げて感傷にひたりやすい日ではなく、七夕豪雨のように、梅雨末期の大雨が降る可能性を心配することが多い日です。

熊本と鹿児島で初の特別警報

 7月4日(土)の未明~朝にかけて梅雨前線が活発化し、南から暖かくて湿った空気が多量に九州に流入したことに加え、東シナ海で線状降水帯ができ、熊本県から鹿児島県にかけて停滞しました(図2)。

図2 解析雨量(7月4日2時30分~3時30分の1時間雨量)
図2 解析雨量(7月4日2時30分~3時30分の1時間雨量)

 線状降水帯が停滞すると、同じ場所に積乱雲の塊が入り続けますので、記録的な大雨となります。

 線状降水帯は、長さが300キロ程度であっても、幅20から50キロ程度しかありません。

 線状降水帯ができても、停滞しなければ、一時的に猛烈な雨が降っても、総雨量はそれほど多くはなりません。

 気象庁のアメダスの観測所で総雨量が一番多いのは、熊本県水俣で約500ミリと、大災害を引き起こす可能性がある雨量でした。

 しかし、熊本県の県田浦では、これをはるかに上回る700ミリの雨を観測しています(図3)。

図3 熊本県水俣と県田浦の積算雨量(2020年7月3~4日)
図3 熊本県水俣と県田浦の積算雨量(2020年7月3~4日)

 特に、県田浦の1時間雨量は、7月4日3時が92ミリ、4時が129ミリ、5時が97ミリ、6時が107ミリ、7時が85ミリと、80ミリ以上の猛烈な雨が5時間も続くという、異常な量の雨でした。

 このため、熊本・鹿児島両県では、4日4時50分に大雨特別警報が発表となりました。

 特別警報は、予想される現象が特に異常であるため、重大な災害の起こるおそれが著しく大きい旨を警告する防災情報です。

 警報が発表されるときは、重大な災害がおきるときでしたが、特別警報が発表されるときは、警報の中でも特に危険な状態が迫っている時で、国や地方自治体等の防災機関は、最大限の防災対応が求められています。

 県から市町村への特別警報の伝達が義務化され、確実に伝達されます。

 大雨特別警報は、4日11時50分に大雨警報に切り替えになりましたが、熊本県の球磨川で6時30分頃に球磨村の右岸で氾濫するなど、大きな被害が発生しました。

 大雨特別警報が警報に切り替わる時、昨年までは「大雨特別警報解除、大雨警報発表」という伝達の仕方をしていましたが、今年からは「大雨警報に切り替え」ということを前面に出しています。

 昨年、令和元年(2019年)の台風19号の時の特別警報では、「特別警報解除」という言葉を安全になったと考えて、避難所から自宅に戻ってしまう人が少なからずいたからです。

 今回の災害は、平成25年(2013年)8月30日に特別警報ができてから、12個目、のべ18日目の気象災害です。

 特別警報が発表された日が一番多い月は7月で、のべ9日と、全体の50%を占めています。

 順に9月の4日、10月の3日、8月の2日ですので、気象災害に対する特別警報は、台風より梅雨前線により発表されてきました。

 そして、これまで32都道府県での発表となっていましたが、熊本県と鹿児島県では今回が初めての発表です。

梅雨前線の活発な活動

 梅雨前線は多少の南北方向の移動はありますが、活発化している状況は変わりがありません。

 気象庁では、7月6日15時20分に長崎県大村市付近で約110ミリ、15時30分に長崎県東彼杵町付近で約110ミリ、佐賀県鹿島市付近や嬉野市付近で約110ミリという1時間雨量を解析し、「記録的短時間大雨情報」を発表しています。

 そして、16時30分に長崎県、福岡県、佐賀県に大雨特別警報を発表しています。

 明るいうちに避難できるよう、特別警報の基準を超える前に、基準を超えると予測しての発表でした。

【追加(7月7日12時30分)】

 長崎県、福岡県、佐賀県に出ていた大雨特別警報は、7月7日11時40分に大雨警報に切り替わりました。

 九州を中心に断続的に非常に激しい雨が降っており、引き続き、大雨に対する警戒が必要です。

 線状降水帯の発生については、ある程度わかってきましたが、停滞するかどうかの予報は非常に難しい問題です。

 線状降水帯は幅が50キロ位しかありませんので、停滞しなければ線状降水帯ができても、猛烈な雨が一時的に降るだけで、総雨量はそれほど多くはなりません。

 現在も、東シナ海で線状降水帯が発生するとみられており、これにもとづいて大雨警報が発表されていますので、十分に警戒してください。

 ただ、線状降水帯が発生したとしても、停滞して記録的な雨が降り、大雨特別警報が発表になるかはわかりませんが、大雨警報ですばやく避難するなど、早めの防災対応が大事です。

特別警報が発表になったら

 気象庁の会見でも説明されていましたが、避難行動などの防災活動は、大雨警報で行います。

 特別警報で、新たなことをするということ、ではありません。

 大雨特別警報が発表された時点では、避難行動が終わっていることが想定されていますので、特別警報が発表されたら、これまで行っていた防災活動の強化です。

 このため、特別警報の呼びかけは、「命を守るために最善の行動をとってください」ということで、「ただちに避難してください」ではありません。

 気象庁では、早期警戒情報を発表し、5日先までの間に、大雨警報を発表する可能性を示しています(図4)。

図4 早期注意情報(上は7月7日、下は7月8日)
図4 早期注意情報(上は7月7日、下は7月8日)

 それによると、7月7日は西日本から東海・北陸、東北の日本海側まで大雨警報を発表する可能性を「高」としています。

 また、「中」の府県も少なくありません。

さらに翌8日は、東海と北陸で大雨警報を発表する可能性を「高」としています。

 現在、各地で地面の中にかなりの水分が含まれている所があり、そこに、少しでもまとまった雨が降ると土砂災害が起きやすくなっています。

 そして、その危険な状態は長引きます。

 ただ、タイトル画像のように、梅雨前線上の発達した積乱雲の塊は飛び飛びです。

 大雨が休みなく続いているわけではありませんので、安全に避難できる時間帯はあります。

 命あっての新型コロナウイルス対策です。

 命を守るため、すばやく、マスク、体温計、除菌シートなどを持って安全に避難できるうちに避難してください

 避難所では密を避けるなどのコロナ対策がとられていますので、避難所の指示に従って新型コロナウイルスを避けてください。

 

タイトル画像、図2、図4の出典:ウェザーマップ提供。

図1の出典:岡林俊雄・黒崎明夫(1976)、気象衛星写真の解釈と利用特集、海の気象、海洋気象学会。

図3の出典:気象庁資料と熊本県資料から著者作成。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。

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