国交途絶で生まれた低気圧の概念と国交再開で広がったスペイン風邪

イタリア ベネト(写真:アフロ)

大雨の日曜日

 令和2年(2020年)4月13日は、周辺部で風や雨が強い低気圧が本州の南岸を通過したため、東北地方から九州までの広い範囲で雨となりました(図1)。

図1 地上天気図(4月13日21時)
図1 地上天気図(4月13日21時)

 低気圧に伴う非常に活発な雨雲が太平洋側の地域にかかり、三重県では、4月13日2時13分に「尾鷲付近で約120ミリ」、2時27分に「紀北町付近で約120ミリ」という記録的短時間大雨情報が発表されました。

 また、11時過ぎから関東南部でも強い雨が降りだし、千葉県の鴨川市や南房総市に土砂災害警戒情報が発表となり、大雨警戒レベル4の避難勧告も出されています。

 低気圧の通過による24時間降水量は、三重県尾鷲285.5ミリ、鳥取県鹿野203.5ミリ、東京都大島156.5ミリ、東京都東京130.0ミリなどほぼ予想通りでした(図2)。

図2 4月13日21時までの24時間降水量
図2 4月13日21時までの24時間降水量

 このような低気圧による雨の予報が可能となったのは、第一次世界大戦による国交途絶によって生まれた低気圧の概念モデルができてからです。

第一次世界大戦

 大正3年(1914年)6月28日、オーストリアの皇太子夫妻が、セルビア王国のサラエボで暗殺され、これを直接のきっかけとして、第一次世界大戦がはじまりました。

 オーストリアはセルビアに宣戦を布告、そしてロシアがセルビア側で、ドイツがオーストリア側で、という具合に、雪崩を打つように諸国が参戦していきます。

 日本もイギリスとの同盟の関係で、連合軍側について戦いました(表)。

表 第一次世界大戦を戦った同盟国側と連合国側の国々
表 第一次世界大戦を戦った同盟国側と連合国側の国々

 天気予報は、各国の気象観測データを集めて天気図をつくり、それをもとに行います。

 しかし、戦争がはじまると、あちこちで国交途絶がおき、気象観測データの交換がストップしました。

 気象観測データは戦争を遂行するにあたって不可欠なものです。

 このため、戦争がはじまると気象観測データは軍事機密となり、国外に出しません。

 ノルウェーなど、スカンジナビア半島諸国は、第一次世界大戦では中立を保っていましたが、ヨーロッパ諸国の気象観測データが入らなくなくなり、簡単な天気予報でさえ行えなくなります。

低気圧の概念モデル

 気象観測データ不足により天気予報ができなくなったノルウェ一では、J・A・B・ビヤクネスを中心とした気象学者達(ノルウェー学派)が、スカンジナビア半島における詳細な観測値を丹念に分析し、立体的な低気圧の概念モデルを作っています(図3、図4)。

図3 ビヤクネスの考えた低気圧(1)
図3 ビヤクネスの考えた低気圧(1)
図4 ビヤクネスの考えた低気圧(2)
図4 ビヤクネスの考えた低気圧(2)

 自国周辺の観測データだけで何とかならないかと努力したわけですが、出来上がった低気圧の概念モデルは素晴らしいものでした。

 当時は、定常的な高層観測がはじまっていない時代でしたが、多くの点で実際の低気圧の様子をうまく表現していました。

 ビヤクネスの低気圧概念モデルで、低気圧の発達・衰弱の過程がうまく表現されたことによって、わずかなデータでも色々な情報を得ることができたました。

 つまり、第一次世界大戦によって、その後の気象学の発展に貢献し、今でも使われている低気圧の概念モデルができたのです。

スペイン風邪

 第一次世界大戦中には東部戦線(中央ヨーロッパから東部ヨーロッパ)や西部戦線(ベルギー南部からフランス北東)、イタリア戦線(イタリア北部、タイトル画像参照)などで多くの人が亡くなる戦闘がありました。

 その戦闘以上に死者がでたのは、戦乱によって流行が強まった様々な疫病です。

 なかでも、大正7年(1918年)にはスペイン風邪が大流行し、ヨーロッパでは少なくとも2000万人が死亡しています。

 第一次世界大戦による死者数は、軍人と民間人を合わせて1500万人ですから、これより多い死者数です。

 同年11月に戦争が終わりましたが、終わった一因がスペイン風邪といわれている所以です。

 スペイン風邪は、第一次世界大戦が終わり、国交が回復して多くに人が移動するとともに、世界中に広まりました。

 日本でも、第一波のピークが大正7年(1918年)11月、第二波のピークが大正8年(1919年)2月、第三波のピークが大正9年(1920年)1月です。

 なお、スペイン風邪は、第一次世界大戦時に中立国で、情報統制がされていなかったスペインでの流行が大きく報じられたことに由来しますが、スペインが発生源という訳ではありません。

低気圧の概念モデルはただちに日本へ

 戦争が終わって各国の気象観測データが集まりだしました。

 また、高層気象観測も始まり、充実してきました。

 ビヤクネスの低気圧概念モデルは、多数の観測値でチェックしてみると、多少の手直しがあったものの、そのまま使えました。

 ビヤクネスの研究所で優れた研究が行われたという情報によって、急遽、ノルウェーに藤原咲平博士(お天気博士として国民に親しまれ、後の中央気象台長)が留学しています。

 大正9年(1920年)12月のことで、当時は、日本でのスペイン風邪の流行が終わり、戦勝国としての好景気に沸いていました。

 そして、ビヤクネスの低気圧概念モデルが、藤原咲平博士によって、いち早く日本にもたらされました。

 日本は、低気圧の概念モデルという気象学の大きな成果を、すばやく取り入れていたのです。

 そして、これに最新の観測や学問が積み重なり、現在の精度の高い低気圧の予報が行われています。

災害時の感染症対策

 政府は、東京都など7都府県に緊急事態宣言が発令された4月7日に、避難所の増設や感染者への対応検討を求める通知を出しています。

 梅雨や台風で水害が起きやすい「出水期」に、災害被害と新型コロナウィルスのよる集団感染が同時に発生することを避ける狙いがあります。

 しかし、千葉県南部では「出水期」の前に、大雨による避難勧告がだされています。

大雨で避難所 感染防止で全員体温計測の異例の対応 千葉 鴨川

13日午前、大雨で土砂災害の危険性が高まっているとして市内の一部に避難勧告を出した千葉県鴨川市の避難所では、新型コロナウイルスへの感染拡大を防ぐため避難者の体温を計測する態勢を整えるなど、異例の対応が取られました。

千葉県鴨川市は13日午前11時すぎ、大雨で土砂災害の危険性が高まっているとして江見、曽呂、大山地区の土砂災害警戒区域に住む34世帯80人を対象に避難勧告を出しました。これにともなって鴨川市が市内3か所に開設した避難所では、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐための異例の対応が取られました。

避難所では受付で全員の体温を計測し、37度5分以上の熱がある場合は、保健師と相談したうえ受け入れが可能か判断したり、大勢が1部屋に集まらないよう避難する部屋を分けたりできるよう、態勢をとったということです。

また、避難所への消毒液を設置し、避難者に配布するマスクも準備したということです。…。

出典:NHKニュース(令和2年(2020年)4月13日18時30分)

 現在、世界中で流行している、新型コロナウィルスは、「スペイン風邪以来のパンデミック」といわれ、不要不急の外出自粛が求められています。

 しかし、自然災害はいつでも襲来します。

 気象情報等に注意し、ときには、素早い避難も必要です。

 アフガニスタンで人々の生活のために用水路等を作り、令和元年(2019年)12月4日に凶弾で亡くなった中村哲医師の口癖は、「生きておれ 病は後で治す」でした。

 これと同じで、命があったうえでの新型コロナ対策と思います。

図1の出典:気象庁ホームページ。

図2の出典:ウェザーマップ提供。

図3、図4の出典:J.Bjerknes、BERGEN(大正7年(1918))、On the structure of moving cyclones、Geofysiske Publikationer。

表の出典:著者作成