北海道胆振東部地震 なぜ震度7の発表が半日遅れたのか

地震(提供:アフロ)

 平成30年(2018年)9月6日3時7分頃、北海道胆振地方を中心に「北海道胆振東部地震」と命名されるほどの大きな地震が発生し、厚真町(あつまちょう)では震度7を観測しました。北海道胆振東部地震は、震度7を観測した6回目の地震ということになります。

震度7の情報が半日遅れた理由

 気象庁では、地震発生直後の発表では「最強の震度が6強」でしたが、半日たってからの記者会見では「最強の震度が7」となっています。これは、北海道という地域特性でもなければ、技術等が追い付いていないわけでもありません。

 強い地震が発生したため、通信障害などで観測データが集まらなくなったからです。このようなことはよくあることです。

 このため、推計震度分布が作られています(図1)。

図1 北海道胆振東部地震発生の4分後に作成された推計震度分布(9月6日3時12分発表)
図1 北海道胆振東部地震発生の4分後に作成された推計震度分布(9月6日3時12分発表)

 推計震度分布は、平成16年(2004年)3月1日より気象庁が提供を始めた情報で、地盤増幅度などを使って、震度観測データが入手できない場所でも震度を推定しています。全国いずれかの震度観測点で、震度5弱以上を観測した時に発表され、地震に伴う強い揺れの広がりを迅速かつ的確に表示することで、防災機関による効果的な応急対策の実施が可能となっています。

 北海道胆振東部地震でも、地震発生の4分後に推計震度分布が作られ、震度計のデータが入手していないものの、震度7の場所があるという想定で、防災対策がとられています。

 

 震度7については、めったにおきない現象であり、あまり知られていません。

 そこで、震度7について、まとめてみました。

震度7の導入は福井地震がきっかけ

 震度は、揺れを測る計器がなかった時代に、地震の影響や被害を計るために、物体や建物への影響をもとにつくられた物差しです。

 日本の震度は、明治14年(1881年)から採用された、地震学者の関屋清景が提唱した方法 (地震を微震、弱震、強震、烈震の4つに分類)が基本となっています。

 当時の地震報苦心得第5条には次のように記されています。

微ハ僅ニ地震アルヲ覚エシモノ

弱ハ振動ヲ覚ユルモ戸外ニ避ルニ至ラザルモノ

強ハ往々物品ノ倒伏液体ノ溢出等アリ人々戸外ニ走リ避ルモノ

烈ハ屋宇ヲ毀損若クハ倒伏シ或ハ地面ニ変化ヲ起スモノ

 その後、地震計が各地に設置されるようになると、地震計では観測できるものの人間は感じることができない地震を、無感(震度0)とするなど、変遷はありましたが、観測の基本は観測者の体感でした(表1)。

表1 震度の分類の移り変わり
表1 震度の分類の移り変わり

 震度7の激震が作られたきっかけは、昭和23年(1948年)6月28日に発生した福井地震です。

 福井地震は、福井市を中心に、死者・行方不明者3700人という大きな被害がでた地震ですが、これまでの烈震という表現の被害程度をこえた被害が発生したことから、翌年、昭和24年(1949年)から、震度6の烈震のうち強いものを震度7の激震としています。

 この激震が最初に観測された地震というのが、平成7年(1995年)1月17日に阪神・淡路大震災を引き起こした兵庫県南部地震です。

体感の震度から震度計の導入へ

 体感による震度観測は、明治14年(1881年)から平成3年(1991年)まで、おおむね110年にわたって続けられてきました。

 震度の基準が現在の生活水準とは合わなくなってきている表現もみられるという問題や、いくら訓練を受けた観測者が観測しているといっても、客観性の問題があると強く指摘されることがありました。また、体感で震度を発表する以上には、速報性には限界がありました。

 このため、震度を機械で測れないかという研究が進み、震度が地震波の加速度と周期に関係することがわかってきました。そこで、平成3年(1991年)から、それまで、おおむね110年続いてきた体感での観測をやめ、震度計による観測に切り替えています。

 ただ、震度7 については、非常に狭い範囲の現象のため、地震計が設置されている場所でおきることは非常に希なことであることや、震度7の基準は(木造)家屋の倒壊が30%以上の地域であるという基準のため、現地調査をしないと分からないという問題がありました。

 阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)のときは、震度の観測が震度計で観測するようになって4年目のことでした。

 強い地震の直後は、多くの人が身体がいつも揺れているような錯覚に陥ります。もし、震度計が無かったなら、あの混乱の中、地震があった1月17日午前中だけでも509回もあった余震の震度を、体感で正確に観測し続けるのは難しかった、事実上できなかったと思います。

阪神・淡路大震災は震度7の発表は3日後

 阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)が発生すると、気象庁は機動班を神戸に派遣しています。

 気象庁機動班と大阪管区気象台・神戸海洋気象台(現在の神戸地方気象台)などの調査チームは、精力的な現地調査を行い、地震発生から3日後の1月20日には「神戸市中央区三宮や淡路島の一部では震度7の地域がある」と発表しました。

 そして、地震から約20日後の2月7日に震度7の地域を発表しました(図2)。

図2 震度7の分布(区はすべて神戸市)
図2 震度7の分布(区はすべて神戸市)

 当時、著者が予報課長として勤務していた神戸の気象台は、中央区と兵庫区の境界付近にあり、そこは丈夫な岩盤が南に張り出している場所にあり、そこでの震度計の観測は震度6強でした。その6強の地震でも、重力に相当する力がかかってきます。一瞬宙に浮いたり、一瞬2倍の重力で床に押し付けられるなど、体のコントロールがまったく効かず、何もできませんでした。

 最初に震度7に相当する地震を観測した福井地震から阪神・淡路大震災まで、約50年間にわたって震度7は観測されていませんでしたが、阪神・淡路大震災から北海道胆振東部地震まで、23年間で6回も震度7の地震が発生しています(表2)。

表2 震度7を観測した地震
表2 震度7を観測した地震

増えた計測震度計で震度7の速報

 兵庫県南部地震後、すぐに神戸市で計測震度計の増設が行われました。神戸市では気象台のある中央区を除く全ての区に計測地震計が増設されました。当初計画では、気象台近くの兵庫区への設置がないなど、全ての区での設置ではなかったのですが、設置のない区の住民からの強い要望があったことからの計画変更です。

 その後、神戸市以外の自治体も住民の強い希望から、気象庁が導入している震度計と同じ震度計を導入しています。気象庁と同じ計測震度計となった理由のひとつは、住民等から急いで導入して欲しいとの強い要望があったために、実績のあった気象庁のものを採用したからと言われています。

 今では、全ての市町村に1カ所以上の震度計があり、兵庫県南部地震以前の震度計台数に比べると桁が違う台数での観測が行われています。

 このため、速報で震度7の情報が出る時代となっています。

 昔であれば見逃されていた狭い範囲の強い揺れによる大きな震度も速報されます。このため、強い地震の発生回数が増えていますが、印象としては、震度5弱以上の強い地震が急増したように感じる人が多くなっています。強い地震の発生回数が増えたのは震度計設置の急増も影響しています。 

推計震度分布

 増えた震度計のデータをもとに震度分布を把握する方法の欠点は、強い揺れで震度計が壊れた、震度計のデータを送る通信回線が不通になったなどの理由でデータが気象庁に届かないケースがあるからです。

 震度計そのものが壊れた場合はしかたがありませんが、通信回線が不通になった場合に備えて、震度計にはデータが蓄積されています。このデータが通信回線が回復次第、再送が可能ですし通信回線が回復しない場合でも、職員が現地に出向いて震度計から直接データを取り出すという作業によって観測データを得ることができます。

 平成30年の北海道胆振地方東部地震で、当初最大震度が6強とされていたのは、当初、厚真町(あつまちょう)の震度7など、震源地に近いいくつかの震度計のデータが地震発生直後の通信回線トラブルで届かなかったためです。しかし、地震発生直後には届かなかったものの、通信回線が回復にしたがい、再送によって地震の全貌がわかってきました。

 大きな地震が発生した時に、初動体制を行うには、正確な震度分布が必要です。このため、強い揺れで震度計が壊れた、震度計のデータを送る通信回線が不通になったときに備え、推計震度分布が作られています。

 北海道胆振東部地震でも、厚真町の震度7等が入らなくても、震度7が観測されているのではないかと推定されていました(図1)。入電している震度計のデータでは最大震度は6強であるとしていただけだったのです。

 

追記(9月11日12時):文章の構成を一部変更しました。

図1の出典:気象庁ホームページ。

図2、表1の出典:饒村曜(平成8年(1996年))、防災担当者の見た阪神・淡路大震災、日本

気象協会。

表2の出典:気象庁資料をもとに著者作成。