気象庁では、山口県を九州北部地方、新潟県を北陸地方としている

一ヶ月予報の例(気象庁ホームページより)

気象庁の地域分類

気象庁は、長年の経験から、全国を11の地域ブロックに分け、その地域ブロック毎の情報を発表しています(図1)。そして、下記のように都道府県を担当する地方官署を決めています。

なお、関東甲信地方は、気象庁本庁の予報部で行っています。これは、東京管区気象台は、他の管区気象台に比べると、予報等を発表する部署がないからです。また、沖縄には沖縄気象台が管区気象台に準ずる業務を行っています。

図1 気象庁の地域区分
図1 気象庁の地域区分

北海道地方(札幌管区気象台):北海道全域

東北地方(仙台管区気象台):宮城県、福島県、岩手県、青森県、山形県、秋田県

関東甲信地方(気象庁予報部):東京都、神奈川県、埼玉県、群馬県、千葉県、茨城県、栃木県、山梨県、長野県

東海地方(名古屋地方気象台):愛知県、三重県、岐阜県、静岡県

北陸地方(新潟地方気象台):新潟県、福井県、石川県、富山県

近畿地方(大阪管区気象台):京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、滋賀県、和歌山県

中国地方(広島地方気象台):鳥取県、島根県、岡山県、広島県

四国地方(高松地方気象台):徳島県、香川県、愛媛県、高知県

九州北部(福岡管区気象台):山口県、長崎県、福岡県、大分県、佐賀県、熊本県

九州南部(鹿児島地方気象台):宮崎県、鹿児島県

沖縄地方(沖縄気象台):沖縄県

この地域区分で、ときどき物議をかもすのが山口県と新潟県ですが、ともに、過去には地域ブロックが変更した経緯があります。

気象統制

戦前の気象事業は、長いこと国の組織である文部省・中央気象台と幾つかの支台と、地方の組織である多くの測候所が行ってきました。

昭和13年になると、航空日本、産業日本を目指して企画院において立案された「全国気象統一」の5ヵ年計画がスタートし、地方組織の測候所は全て国営に移管となっています。

気象事業管轄官庁たる文部省では先ず中央気象台の機構、内容の拡充に努め第一年度には全国気象観測一元化のため23か所の府県測候所を国営に移管、7か所を併合すると共に、米子に地方気象台を、青森県深浦、福島県白河、伊豆の長津呂を初め北海道から九州にかけて11測候所を新設、又大阪、札幌、福岡各支台を各管区気象台に昇格整備して全国統一の実をあげ、航空日本、産業日本の躍進に強力な拍車をかける事になりました。

出典:昭和13年3月28日 朝日新聞夕刊

戦争の足音が近づいてきたので、戦時体制を意識した気象体制の強化という面もあります。

図2 全国気候区分(昭和11年から使用)
図2 全国気候区分(昭和11年から使用)

当時の気候区は図2のように考えられ、その気候区に対して中央気象台が全般天気予報を発表していました(図2、図3)。

図3 印刷天気図に書かれていた天気予報の例(1938年3月31日)
図3 印刷天気図に書かれていた天気予報の例(1938年3月31日)

そして、この気候区を意識し、内地の各測候所は、中央気象台と札幌、大阪、福岡の3管区気象台のもとに置かれました。

札幌管区気象台は北海道を担当し、外地の朝鮮半島では仁川、台湾では台北、樺太では豊原、南洋ではパラオ、関東州(満州国)では大連の気象台のもとに業務を行っています。

しかし、中央気象台と大阪管区気象台、大阪管区気象台と福岡管区気象台の間の分担は単純ではありませんでした。

福岡の気候区は、山口県を含む山陰道(四区)の西部ですので、福岡管区気象台には、山口県の下関測候所が入りました。そして、気候区が大きく異なる南西諸島(一区)は沖縄気象台が福岡管区気象台の業務を分担しました。

大阪の気候区は、瀬戸内(三区)ですので、気候区が大きく異なる山陰道(四区)の東部は、米子地方気象台が、静岡県を除く東海道(五区)の西部は名古屋地方気象台が、大阪管区気象台の業務を分担しました。

中央気象気象台(東京)は東海道(五区)の気候区で、気候区が大きく異なる北陸道(七区)は金沢地方気象台が、奥羽東部(八区)は仙台地方気象台が分担しました。

しかし、国営移管が進むにつれ、気候による区分から行政による区分に少し変わっています。

北陸地方の中心が金沢から新潟に、中国地方の中心が米子から広島に変更となっています。新潟は東京から満州国への最短ルートにあたっており、日満航路が週5回運行するなど、中国東北部とのつながりが強くなるにつれ、急速に発展していたという背景があります。

人や物の移動というインフラの中心だった鉄道についていえば、地方組織の鉄道局は当初、札幌、仙台、東京(新橋)、名古屋、神戸、福岡県門司に置かれていました。その後、神戸が大阪に移り、広島、新潟、四国(高松)に新設されています。つまり、鉄道局の地方配置と、その後の気象官署の地方配置には、良い対応があります。

昭和14年11月15日

運輸通信省令第15号

運輸通信大臣 八田嘉明

東部気象管区ノ項中「金沢地方気象区」ヲ「新潟地方気象区」ニ改ム

中部気象管区 名古屋地方気象区 三重県、愛知県、岐阜県

 大阪地方気象区 京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、滋賀県、和歌山県、徳島県、香川県、愛媛県、高知県

 広島地方気象区 鳥取県、島根県、岡山県、広島県

本令ハ交付ノ日ヨリ之ヲ施行ス

太平洋戦争の終戦の日の組織変更

太平洋戦争中、海陸輸送体制を総合的に所管するため、昭和18年11月1日に運輸通信省ができます。このとき、中央気象台とその地方組織は、文部省から運輸通信省に移管となっています。

しかし、運輸通信省は巨大な組織となったために効率が悪くなり、昭和20年5月19日に通信院を内閣所管として、運輸省(現在の国土交通省の一部)になっています。

太平洋戦争終戦の日、昭和20年8月15日の運輸省令第18号では、北部、東北、東部、東海、中部、中国、四国、西部という8つの気象管区を設定しています。

東部気象管区には関東甲信越の1都9県が、東海気象管区には、愛知、三重、岐阜、静岡、石川、富山の6県が入っています。また、福井県は中部気象管区、山口県は中国気象管区に入っています。

気象庁の誕生で復活した気候区から見た山口県

戦後の混乱を経て、昭和24年8月16日に中央気象台組織規程が作られていますが、米軍統治の沖縄を除き、基本は戦中の特殊な地方配置ではなく開戦直前と同じ配置でした。

山口県は中国地方として広島管区気象台のもとにありました。

しかし、昭和31年7月1日に中央気象台は気象庁に改組となり、気象庁組織細則(昭和31年6月30日運輸省令第36号)で、昭和32年9月1日から多くの測候所が地方気象台に格上げとなっていますが、山口県は、再び、気候が似ている福岡管区気象台の下部組織となっています。関門海峡が陸上・海上の要であるということも判断材料だったかもしれません。

ただ、九州北部に山口県が入ることは、ときどき物議をかもしています。

北陸地方の中心は何処?

古来から加賀に越国 (越前・越中・越後) を北陸とする考え方がありますが、明治期以後、いろいろな行政や産業などが別々に入ってきています。

例えば、電力は、福井・石川・富山の各県が北陸電力(黎明期にアメリカから発電機を輸入したことから60ヘルツ)、新潟県は東北電力(黎明期にドイツから発電機を輸入したことから50ヘルツ)です。しかも、新潟県は東北6県のどこよりも電力消費量が多い県です。

また、NHKは、新潟県は関東甲信越プロックに入り、東京からの放送が多いのですが、富山・石川・福井の各県は名古屋ブロックに入り、名古屋からの放送が多くなっています。

官庁でも、財務局は、福井県が近畿財務局で、新潟・富山・石川の各県は北陸財務局です。気象庁の属する国土交通省でも、北陸地方建設局は新潟・富山・石川の各県が担当で、福井県は近畿地方建設局が担当です。

このため、新潟県と他の3県との間には住民の意識の差があると言われています。例えば、子供の進学や就職などでは、新潟県は圧倒的に多くの人が関東へゆきますが、他の3県は大阪や名古屋へゆく場合が少なくないと言われています。

ただ、気象庁では、北陸地方は、新潟・富山・石川・福井の4県をさし、新潟地方気象台が北陸地方の情報発表の担当となっています。

福井県の北陸地方の気象情報改善要望

図2の昔の気候区分では、北陸地方は能登半島付近に境界の点線があり、新潟県と福井県は違う気候区であることを示しています。

個人的な話ですが、福井地方気象台長であった平成16年頃の話ですが、「新潟地方気象台が発表する北陸地方の気象情報は、新潟県を中心とした情報であるので、同じ北陸といっても気象が違う福井県を配慮して欲しい」という福井県の北陸地方の気象情報についての改善要望を東京管区気象台に上申したことがあります。

この上申が影響したかどうか分かりませんが、その後、新潟地方気象台では、北陸地方の気象情報を発表するときには、可能な場合は北陸地方東部 (新潟)と北陸地方西部 (富山・石川・福井)に分けて発表することになっています。

しかし、平成16年の新潟県中越地震、平成18年の大雪など、新潟県で大きな災害があったとき、それが「北陸地方の災害」と報道されたことにより、災害とは関係のない福井県の温泉までがキヤンセルが相次ぐ事態になった事例があります。

北陸地方に対する世間の認識は、意外とバラバラなのかもしれません。