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択捉島(北方領土)単冠湾の流氷(海氷)による47年前の海難

饒村曜気象予報士
流氷(ペイレスイメージズ/アフロ)

流氷の下はプランクトンが繁殖するため良い漁場となることが多く、流氷(海氷)に完全に閉ざされた期間は漁が行われませんが、流氷が襲来する直前や流氷が沖合いに去った直後は、大漁の可能性があります。

このため、流氷の思わぬ動きによってときどき海難が発生していました。

図1 気象庁のアジア太平洋天気図(1970年3月16日21時)
図1 気象庁のアジア太平洋天気図(1970年3月16日21時)

択捉島の海難

北方領土・択捉(エトロフ)島の単冠(ヒトカップ)湾では、47年前の昭和45年(1970年)3月16日、流氷による海難としては、過去最大の海難が発生しました(図1)。

発達した低気圧によるシケを避けるため、19隻の日本漁船が単冠湾に避難していました。そこへ、国後水道や択捉海峡から太平洋に大規模に流出していた流氷が一気に押し寄せ、8隻の日本漁船が座礁・沈没し、死者・行方不明者30名の海難が発生しています。

図2 流氷の実況図(3月15日)
図2 流氷の実況図(3月15日)
図3 流氷の予想図(3月22日)
図3 流氷の予想図(3月22日)

流氷に関する情報

気象庁では、前身の中央気象台時代から、日本の気候に大きな影響を与える北海道沿岸やオホーツク海の流氷の状況を観測し、船舶の安全航行や漁業活動に資する情報を提供してきましたが、流氷の図情報の提供が始まるきっかけとなったのは、昭和45年の単冠湾での海難がきっかけです。

現在、気象庁では、北海道沿岸やオホーツク海の流氷の状況を、気象衛星「ひまわり」などによる観測によって把握し(図2)、また7日先までの流氷の動向をスーパーコンピュータを用いて予想しています(図3)。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。

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