初めて噴火を予知して対策がとられた16年前の有珠山噴火

昭和新山より有珠山を望む(写真:アフロ)

北海道南部の洞爺湖の南に位置する有珠山は、約7000年間の休止を経て寛政3年(1663年)の噴火しています。この噴火以降、有珠山は噴火を繰り返しています。

溶岩ドームによる新山を形成すること、噴火前に地殻変動や群発地震が発生するという特長がありますが、これは有珠山のマグマが粘りけのあることによります。

昭和新山と有珠新山

有珠山の東麓では、太平洋戦争中の昭和18年(1943年)末から地震が続き、昭和19年6月23日に水蒸気爆発が発生し、その後も爆発を繰り返しています。そして、溶岩ドームが成長を続し、標高は400メートルを超えて昭和新山となっています。

昭和52年の噴火は8月7日に山頂カルデラや小有珠斜面から噴火が始まっています。8月14日未明までに4回の大きな噴火を含む16回の噴火が断続し、火口周辺地域のハイキングコースや牧場などに多量の軽石や火山灰が堆積しています。このときに出来たのが「有珠新山」です。

一年前まで勤務していた函館海洋気象台の職場の旅行会で噴火した場所を散策していますので、特別に自然の驚異を感じました。

初めて噴火前に噴火の警告

有珠山では、平成12年3月27日から火山性地震が発生し、その分析などから近日中の噴火が予知され、3月29日には室蘭地方気象台から緊急火山情報第1号が発表されています。

図 緊急火山情報第1号
図 緊急火山情報第1号

現在とは情報の出し方が多少違いますが、緊急火山情報を噴火前に発表したのは初めてでした。

これを受けて壮瞥町・虻田町(当時)・伊達市の周辺3市町では危険地域に住む1万人余りの避難を開始しています。

通常、緊急火山情報は人命に関わるような噴火が発生したことを知らせるものであり、噴火前にこれが発表されたのは初めての例です。

緊急火山情報が発表されたあと、3月31日午後1時7分、国道230号のすぐ横の西山山麓からマグマ水蒸気爆発し、噴煙は火口上3500メートルに達しました。

災害発生直後に大臣等の責任者が視察するということが多いのですが、このときは、大災害の発生が危惧され、二階俊博運輸大臣と山本孝二気象庁長官が現地で陣頭指揮をとっている最中の噴火で、大臣と長官は、噴火の瞬間をヘリコプターの中から目撃しました。

当時、気象庁企画課で防災対応の支援業務をしていましたが、大臣があわただしく打ち合わせで気象庁にやってきて、関係者に大きな声で激励し、あわただしく現地に向かっていったのが記憶に残っています。

死者は出さない

4月1日には北海道洞爺村洞爺湖温泉街に近い有珠山麓に新しく口を開いた噴火口から、黒い噴煙が立ち上りました。噴火直後より、内閣安全保障・危機管理室からの要請で札幌行の特急列車の運行を打ち切り、その列車を洞爺駅へ回送させ、これを虻田・豊浦町民を長万部町へ移送する等の避難列車としています。

被害地域の住民の多くは前回、前々回の噴火を経験した、あるいは年長者から伝え聞いたことのある人が多くいました。

また、近い将来発生するということから周辺市町のハザードマップの作成が行われ、防災教育や防災訓練が実感をもって行われていました。

このことが、あれほどの火山災害なのに人的被害がでなかったことにつながっています。

サミットで復興をアピール

平成20年(2008年)7月7日から9日まで、第34回主要国首脳会議が洞爺湖町(虻田町と洞爺村が合併して誕生)で開催されています。

福田康夫内閣総理大臣、サルコジ仏大統領、ジョージ・ブッシュ米大統領、ブラウン英首相など世界の要人が集まる会議を洞爺湖町で開催できたのは、防災対応で被害が最小限に抑えられ、素早い復興があったことを背景に、日本の防災力をアピールする狙いもあったとの見方があります。

観光業に携わる人の「死にそうだった」という話は、観光客にとって興味ある話題で、災害の痕跡は観光資源に変わります。しかし、実際に死者が出ていると、楽しい旅行にはなりません。観光業に携わっている人は、自然現象による死者を出してはいけないのです。

火山近くに住む人は、日頃からハザードマップを見て、どのような危険性があるのかを知っておき、危険との情報があったら迅速に避難です。津波のように一秒を争ってではありませんが、各種防災機関や報道機関は普段通に機能していますので、情報をしっかり入手し、落ち着いて行動をとる必要があります。