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改めて振り返るベルギーとの名勝負。敗れた日本が得た最大の教訓は何か?

中山淳サッカージャーナリスト/フットボールライフ・ゼロ発行人
(写真:ロイター/アフロ)

スポーツの魅力やエンターテインメント性を世界に発信した

 いつも冷静に、客観的かつ多角的にゲームを見ようと心掛けてはいるが、正直に告白すれば、さすがにこの時ばかりは溢れ出す感情を抑えきれなかった。

 

 日本は2点のリードを追いつかれていたものの、時間は後半93分を過ぎていた。アディショナルタイムは4分だったので、このワンプレー、もしくはもうワンプレーで延長戦。しかも場面は、日本のコーナーキックのチャンスだ。

 ゲームの流れからすると、場合によってはここで決勝点が決まる可能性もある。ゴール前にポジションをとっていた吉田麻也と昌子源の2人の姿を見た時、そんな淡い期待もした。

 しかし、現実は違った。本田圭佑が蹴ったコーナーキックのボールをベルギーのGKティボ・クルトワがしっかりキャッチすると、その約9秒後、想像もしていなかった"灰色の世界"が待っていたのだ。

 視界の中に、歓喜する"赤い悪魔"のイレブンが入ってきた時、思わず記者席のデスクを強く叩いてしまった。1997年、ジョホールバルの地で日本が初めてW杯の扉を開いた時でさえ、感情が湧き出たのは取材ノートにメモを書き終えてからだったのに……。

 ただ、憤りと絶望感は一瞬にして消え去り、1分もしないうちに心地よい興奮状態にある自分がいた。そんなジェットコースターに乗ったような気分になれたのは、日本代表の取材をするなかで、初めての経験のような気もする。

 ロシアW杯決勝トーナメント1回戦。ベルギー対日本が繰り広げた激闘は、おそらく日本サッカー史の中でも屈指の名勝負として語り継がれるだろう。

 残念ながら、日本にとっては敗者としての歴史になってはしまうが、それでもサッカーというスポーツが持つ魅力やエンターテインメント性を世界に発信したという意味は、とてつもなく大きい。

 大袈裟かもしれないが、それを目撃した我々は今後2度とお目にかかれないようなスペクタクルマッチとして、後世にそれを語り継いでいく必要がある。

 サッカーは、「勝った、負けた」だけの世界ではないことを教えてくれた90プラス4分。巨匠ジョージ・ルーカスでも絶対に描けないような筋書きが、サッカーというスポーツには存在する。だから、サッカーはやめられない。

 しかしながら、だからといってこの歴史的な一戦を「感動をありがとう」といった日本お得意のフレーズで終わらせてしまっては、その意味も本当の価値も失われる。

「ベスト16に行って、優勝候補相手にいい試合をしたという美談で終わらせるのではなく、(この試合で得た)課題からしっかり学んで、何をしなければいけないのかを、選手も考えるし、協会も考える。そうでないと、日本は強くなっていかないと思う。是非、みなさんにも厳しい意見をお願いしたいと思います」

 試合後、ベルギー戦を振り返った吉田はそう語った。

 名勝負を演じた選手たちは、興奮冷めやらぬなか、記者の質問に対して試合直後に振り返って語ることを強いられる。だからこそ、スタンドからゲームを観戦して伝えることを生業とするジャーナリストは、彼ら以上に冷静になって試合を振り返らなくてはいけない。

この試合のベルギーにあって、日本になかったもの

 試合後、敗軍の将となった西野朗監督は「戦前からいろいろなプランがあった中、最高の流れを自分たちでつかんだ。そういうプランはありましたが、最後にこういうかたちのゲームの組み立てになることは考えていませんでした」と振り返った。

 個人的には、そこがもっとも引っかかっている点で、最大の敗因だったと考えている。

 サッカーは、ピッチ上の選手がプレーするものだ。しかし、ベンチで指揮を執る監督が勝敗を決めるケースは想像以上に多い。目まぐるしく変化する戦況を冷静に見極め、そのなかで勝つためのベストな選択をすることによって、ゲームの流れを変えることができるのは、監督しかいない。それが、監督に課された大きな役割のひとつだ。

 残念ながら、そこが西野監督には決定的に欠けていた。

「監督が選手の自主性というか、選手と一緒に(チームを)作っていくというやり方をとったことによって、選手たちにも責任感が芽生えたと思う」と長谷部誠が振り返ったように、たしかに、西野監督はチーム作りという点においては一定の評価が与えられる。

 西野監督でなければ、崩壊寸前だったチームを、約1カ月で持てる力の120%を発揮できるチームにできなかったのは間違いない。

 しかし、それだけでは勝てないのがサッカーだ。選手の判断力だけではどうにもできない要素が、圧倒的に多いのがサッカーであり、そこに対するアプローチが甘かった。

 就任当初から決めるべきことに白黒つけず、曖昧なまま物事を運んでしまった代償が、ベルギー戦の2点リードした状況で露呈した。西野監督本人は、「いろいろなプラン」を用意していたと語ったが、実際のベンチワークはプランAしか存在していなかった。

 対して、ベルギーの指揮官ロベルト・マルチネスは、自身が準備したプランAで後半早々に2点のリードを許してしまったため、65分に選手2人を交代してプランBに切り替え、試合の流れを一気に引き寄せて最後に笑った。ベルギーメディアから戦術面で批判を浴びていたロベルト・マルチネス監督でさえ、しっかりプランBを用意していたのである。

 それこそが、勝ったベルギーにあって、敗れた日本になかったものだった。

 ベルギー戦の日本は、最高の入り方をした。しかし、フェーズを重ねるごとに前からのプレスが綻びを見せ、前半15分以降は一方的にゲームを支配され、数々のピンチを迎えた。

 その時も、西野監督は戦況をベンチで傍観するだけだった。相手の攻撃の起点となったケビン・デブライネとアクセル・ヴィッツェルを、自由にさせ続けてしまった。

 相手のフィニッシュワークが甘かったために救われたが、そのシュートのうち1本でもネットを揺らしていたら、前半でゲームが終わっていた可能性もある。そこを客観的に見て修正することは、ピッチで必死にプレーする選手には至難の業だ。ワールドクラスが揃うベルギーでさえ、2失点後の動揺をピッチ内で修正できなかったのだから。

 そして、最後のコーナーキックの場面だ。たとえばアルベルト・ザッケローニのような監督なら、間違いなく吉田と昌子のどちらかひとりを、後方に残しておいただろう。

 選手は「いける」と思ってポジションをとった。しかし「その時点で延長戦も考えていた」(西野監督)と言うなら、監督はそのコーナーキックがどっちに転んでも対応できるような指示を出す必要があった。

 確かに、ベルギーが見せた最後の超高速カウンターは完璧だった。しかしその完璧なカウンターを許したのも、日本の落ち度だ。それを阻止できなかった最大の原因となったのは、ピッチ脇から選手を動かすことができる唯一の人、西野監督に他ならない。

 サッカーというスポーツにおいて、いかに監督の役割が重要であるか。このワールドカップで得た最大の教訓は、改めてそこにあると考える。

 日本代表監督の人事権を持つ日本サッカー協会は、そのことを肝に銘じ、この4年間を自省したうえで慎重に次の代表監督を選ぶ必要がある。

 それが、このベルギー戦の敗戦を未来に生かす第一歩となる。

(集英社 週プレNEWS 7月6日掲載)

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サッカージャーナリスト/フットボールライフ・ゼロ発行人

1970年生まれ、山梨県甲府市出身。明治学院大学国際学部卒業後、「ワールドサッカーグラフィック」誌編集部に入り、編集長を経て2005年に独立。紙・WEB媒体に寄稿する他、CS放送のサッカー番組に出演する。雑誌、書籍、WEBなどを制作する有限会社アルマンド代表。同社が発行する「フットボールライフ・ゼロ」の編集発行人でもある。

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