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セックス・スキャンダルが暴露する上流社会の腐敗(1):大富豪エプスタインが起こしたスキャンダルの顛末

中岡望ジャーナリスト
ニューヨークのマンハッタンにあるジェフリー・エプスタインの豪邸(写真:ロイター/アフロ)

【目次】(字数4700字)

■ニューヨーク連邦地裁判事が命令した裁判記録の公表/■エプスタインの豪邸で行われたセックス・スキャンダルの全容/■影響力を行使して司法取引で重罪を逃れる■獄中で自殺した66歳のエプスタイン/■ニューヨーク市の貧困地域出身のユダヤ人少年エプスタインの成功と没落の物語/

本記事の(2)では、裁判記録に登場した人物について説明

■ニューヨーク連邦地裁判事が命令したセックス・スキャンダル事件の裁判記録の公表

 ハリウッド映画は“虚構の世界”を描いたものだと思っていたが、アメリカ社会はハリウッド映画以上の世界である。アメリカ社会では、上流社会は権力を追求し、快楽に夢中になっている。富裕層はお金に物を言わせて、毎夜、豪邸でパーティーを開き、自家用ジェットを使ってセレブや権力者を豪邸に招待し、密接な関係を作り上げ、権力を誇示している。そんな上流社会の現実が、ジェフリー・エプスタインが起こしたセックス・スキャンダルで人々に明らかになった。

 エプスタインの自殺でスキャンダルの幕が閉じた。死因は自殺とされているが、当事者のひとりでもあるトランプ前大統領は、彼の死を「暗殺ではないか」と発言を行っている。ハリウッド映画も顔負けの内容である。そして裁判記録の公表で第2幕が開いた。エプスタインの死後、彼の恋人であったギレーヌ・マックスウエルにもエプスタインの共犯者として懲役20年の判決が下っている。

 ニューヨーク連邦地裁のロレッタ・プレスカ判事が昨年12月20日に、『マイアミ・ヘラルド』紙の要請に応じて、裁判記録の公開を命令した。裁判記録には、裁判所への申請書類から電子メール、警察の報告書、証人の供述書、事件に関わった未成年の少女に対するインタビューなどが含まれている。メディアは、セックス・スキャンダルに関わった大物の「顧客リスト」が明らかになると期待していた。だが、そうしたリストは存在しなかった。

 2019年と2010年、2021年、2022年に裁判資料は発表されているが、いずれもプライバシー保護の観点から黒く塗りつぶされた状態で公表された。だがプレスカ判事は「書類に載っている名前のほとんどは既に一般に知られているか、他の裁判で名前が出ている。リストに名前の載っている人も資料の公表に反対していない」と、公表を命じた理由を説明している。書類には、性被害者、裁判の証人、エプスタインの下で働いていた従業員、犯罪に関わった人の名前が含まれている。ただ全ての関係者の名前が公表されたわけではない。性被害者の未成年の少女の名前は含まれていない。

 資料は3日、4日、5日の3回に分けて発表された。最初に発表された資料は、エプスタインの恋人マックスウエルの訴訟に関する約40件の書類で、300ページを越える分厚いものであった。2回目に公開された資料では、エプスタイン事件に関するものであった。書類は19件と1回目より少ないが、300ページを越えた。2回目の書類には約200名の名前が記載されていたが、既に知られている名前が主で、新しい名前はなかった。3回目を含めた書類は約200件で、総ページ数は943ページと膨大なものであった。

 名簿に記載されている人々は2024年1月1日までに上訴できた。関係者の話では、異議を申し立て、公表リストから外された人物は2人いた。期日が過ぎた1月2日に最初の書類が公表された。書類に載った人物は合計で187名であった。発表された名前はほぼ既に知られている人ばかりで、その意味では意外性はなかった。

■エプスタインの豪邸で行われたセックス・スキャンダルの全容

 今回公表された裁判書類の内容に入る前に事件の経過と全容を整理しておく。

 事件は2005年3月に始まる。14歳の少女がエプスタインの豪邸で性的な悪戯をされたと家族に訴えた。家族から連絡を受けたフロリダ州パームビーチ警察が捜査を開始した。捜査の過程で複数の少女がエプスタインに雇われて、ゲストに性的なマッサージをしたと証言した。少女たちは高校生であった。エプスタインは少女たちに約200ドルをしていた。少女たちは、将来、モデルや芸術家を目指していた。「有名人に紹介する」というエプスタイン言葉に少女たちは乗った。

 一人の少女は「どうやって、そこに行ったのか正確には思いだせない。ただ、そこにいた。そしてまったく突然、恐ろしい何かが私に起こった。エプスタインは同意も得ず、私の衣類を脱がした。クラスメートが仕事を紹介してくれた。誰かを紹介すると、友達はエプスタインからキックバックを受けとった」と述べている。

 後になって、エプスタインが、こうした行為を20年以上に渡って行っていることが明らかになる。

 2006年、パームビーチ警察はエプスタインを起訴する手続きを始めた。だが、州司法長官が事件を大陪審に送付するという異例な措置を取った。この判断は、明らかにエプスタインを特別扱いする決定であった。大陪審では陪審員が刑事事件にするかどうか判断を下すことになる。予想されたように、2006年7月に大陪審はエプスタインを買春行為で起訴することを決めた。この罪状では、軽犯罪法として処理されることになる。パームビーチ警察署長は決定を批判した。それを受け、FBI(連邦調査局)が、事件の捜査を開始した。アメリカの犯罪映画で見慣れたシーンである。

■エプスタインは影響力を行使して司法取引で重罪を逃れる

 2007年にFBIはエプスタインの起訴手続きを始めた。だが、エプスタインの弁護士は、事件の証人は信頼できないとして、マイアミ州司法長官と司法取引を始め、連邦法による起訴を回避した。

 この事件に関わった少女と女性の数は150名を上回っていた。だが、2008年にエプスタインが有罪を認めたのは18歳の少女の斡旋した1件だけだった。州の裁判所の判決は刑期18カ月の有罪であった。連邦司法省も司法取引に基づき、エプスタインを連邦法で起訴しないことを決めた。刑は極めて軽く、昼間は刑務所の外を自由に動き回ることができた。事務所にも行くことができた。夜になって刑務所に戻ればよかった。

 2009年7月、エプスタインは出所する。だが、性被害を受けた複数の女性たちは、連邦法で起訴しないという約束は無効であると法廷闘争を始めた。性被害を受けたとき17歳だったバージニア・ジュフリーはエプスタインと彼の恋人で同僚のギレーヌ・マックスウエルを相手に民事訴訟を起こした。

 2018年に地元新聞『マイアミ・ヘラルド』が事件を取り上げ、連載記事を掲載し始めた。記事が焦点を当てたのは、トランプ政権のアコスタ労働長官が同事件の司法取引で果たした役割であった。この報道で、世論は再び事件に注目し始めた。同紙に、少女たちは、エプスタインのゲストを相手にするだけでなく、エプスタインと事務所でも性的行為をしたと告白している。

 2019年7月6日、ニューヨーク州連邦検事は、ニューヨーク州はフロリダ州で行なわれた司法取引に拘束されないとして、エプスタインを「性的人身売買(sex trafficking)容疑」で逮捕した。事件がフロリダ州で起こったのにニューヨーク州で容疑者が逮捕され、同州で裁判が行われたのは、こうした理由からである。

 エプスタイン逮捕の翌日、世論の批判を浴びてアコスタ労働長官は辞任した。その際、トランプ大統領は「アコスタ長官については非常に残念に思っている。彼は一生懸命働き、良い仕事をしている。彼はエプスタインの司法取引を違った方法で処理しようと思っていたのではないか」と擁護する発言を行っている。

■獄中で66歳で自殺したエプスタイン

 ニューヨーク市警察がエプスタインのマンションを捜査したとき、数えきれない数の少女や若い女性の淫らな写真が発見されている。エプスタインの弁護士は、彼は少女に対して暴力を振るったり、性的な強制をしたことはないと主張していた。エプスタインは“少女愛好者”と思われている。ゲストを私邸に招く際に使った自家用ジェット機の名前は「ロリータ・エクスプレス」であった。

 逮捕から1カ月後の8月10日、エプスタインは収監中に死んでいるのが発見された。。66歳であった。もし有罪の判決が下れば、最長45年服役することになる。絶望的な気持ちで死を選んだのだろう。検視官は自殺と判断した。自殺の前日、フロリダ州のデサンティス知事がフロリダ州の事件の再捜査を命令していた。

 2020年7月2日、ニューヨーク州連邦検察はエプスタインの恋人のマックスウエルをエプスタインが性的虐待をするために未成年の少女を調達したとして性犯罪の容疑で逮捕した。2021年12月30日、彼女が4人の少女を斡旋したと認めた。2022年6月28日に裁判所は彼女に懲役20年の判決を下した。彼女は、この判決を不満として、上訴している。マックスウエルの裁判で、エプスタインが少女をレイプした事実も明らかになった。

ニューヨーク市の貧困地域出身のユダヤ人少年エプスタインの成功と没落の物語

 有力者とのコネを使いながら、富を蓄積するというのは良くある話である。エプスタインの成功は、その典型的な例といえる。

 ただエプスタインはニューヨーク市の貧困地域であるブルックリンの近くにあるコニー・アイランドの生まれで、ユダヤ人である。父親はニューヨーク市公園局で働いていた。地元の高校に通い、飛び級で16歳の時、高校を卒業している。数学で優れた才能を持ち、「数学の天才(math whiz)」と呼ばれていた。ニューヨーク大学で数学を専攻したが、中退している。

 大卒の資格はなかったが、進学校で有名な高校ドルトン・スクールで1973年から75年まで微積分と物理学を教えた。同校の卒業生は、生徒の間でエプスタインは数学の天才として知られていたと語っている。また「彼が学校を辞めて、巨万の富を築いたと聞いても驚かなかった」と、優れた能力について語っている。

 ドルトン・スクールを辞めた後、教え子の父親の推薦で投資銀行ベア・スターンズに入社している。その後、自分で資産運用会社J. Epstein & Co.を設立している。同社は多くの富豪の資産の運用を行っていた。10億ドル以下の資産の運用は行わなかった。不動産運用のアドバイスも行っている。総資産は6億3000万ドルと言われている。どのようにして、それだけの資産を手に入れたのかも疑問として残っている。

 貧しい家庭で育った反動か、富を誇るように、カリブ海に100エーカーの島を所有し、ニューヨーク市のセントラル公園のそばの高級マンションを購入している。購入した時の価格は7700万ドルであった。ここに若い美人の女性たちを招いて、カクテル・パーティを頻繁に開いていた。事件が公になってから、彼はヴァージン諸島に居住地を移していた。パリを含めて6軒の家と飛行機を2機所有していた(彼の経歴についてはAP通信の「Financier in sex abuse case went from math whiz to titan」などを参照した)。

 エプスタインは秘密に満ちた存在であった。逮捕後も当局に財務データの提出を拒んでいた。法廷で連邦検察官は「エプスタインは計り知れない人物(nearly infinite means)である」と語っている。メディアは、彼を「不動産富豪」とか「企業の経営者」とか「最も豊かな家族の子孫」であると紹介している。だが、どうして富を築いたかは明らかではない。毎日75分間ヨガをやっていた。電子メールや対面での会話は避けていた。紅茶のアールグレーが好きで、アルコールやタバコ、ドラッグには手も触れなかった。

 若い女性に取り囲まれているのが好きで、周囲には若いロシアの女性が常にいた。こうした女性を飛行機に乗せて飛ぶのが好きでだった。だが泡沫のような人生であった。

ジャーナリスト

1971年国際基督教大学卒業、東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)、東洋経済新報社編集委員を経て、フリー・ジャーナリスト。アメリカの政治、経済、文化問題について執筆。80~81年のフルブライト・ジャーナリスト。ハーバード大学ケネディ政治大学院研究員、ハワイの東西センター・ジェファーソン・フェロー、ワシントン大学(セントルイス)客員教授。東洋英和女学院大教授、同副学長を経て現職。国際基督教大、日本女子大、武蔵大、成蹊大非常勤講師。アメリカ政治思想、日米経済論、マクロ経済、金融論を担当。著書に『アメリカ保守革命』(中央公論新社)など。contact:nakaoka@pep.ne.jp

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