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国際法廷でイスラエルが展開したジェノサイド罪否定の論理――4つの論点を探る

六辻彰二国際政治学者
ICJに出廷したイスラエルのベッカー外相とショー弁護士(2024.1.12)(写真:ロイター/アフロ)
  • 国際司法裁判所(ICJ)でイスラエルはガザでの行為が自衛戦争でありジェノサイドではない、無差別殺傷の意図はない、人道支援を妨げていない、司法手続きに不備がある、といった反論を展開した。
  • このうち無差別殺傷の意図に関して、主要閣僚が相次いで「パレスチナ殲滅」をうかがわせる発言をしていることについては、イスラエル弁護団は「発言が切り取られている」と主張した。
  • 一方、ICJは以前「占領軍に自衛権はない」と判断しており、この原則が適用されるかが一つの焦点になってくる他、イスラエルが主張する司法手続きの不備に関しては南アフリカにさらなる証明が求められるとみられる。

南アフリカvs.イスラエル審理開始

 イスラエル=ハマス戦争が始まって97日目に当たる1月12日、オランダのハーグにある国際司法裁判所(ICJ)でイスラエルの聞き取りが始まった。この司法手続きは昨年12月、南アフリカ政府の提訴で始まった。

 84ページにおよぶ訴状で南アフリカは、イスラエル軍によるパレスチナ人の大量殺戮、強制的な立退、食糧など支援物資搬入の妨害、病院の破壊などが‘ジェノサイド(大量殺戮)’に当たると主張した。

インドネシアが寄付した病院のそばで上がる黒煙(2023.11.12)。ガザの多くの病院は破壊され、怪我人の治療に大きな支障が出ている。
インドネシアが寄付した病院のそばで上がる黒煙(2023.11.12)。ガザの多くの病院は破壊され、怪我人の治療に大きな支障が出ている。写真:ロイター/アフロ

 1948年のジェノサイド条約によるとジェノサイドとは「国民、民族、人種、宗教などの全体あるいは一部を破壊する意図をもった行為」と定義される。

 筆者は当初、イスラエルが裁判そのものを拒否する可能性を指摘していたが、この予測は外れた。

 ICJでは当事者の合意がなければ司法手続きが進まないため、スルーすることもできたのだが、そこをあえて受けて立ったことで、「ガザ攻撃は正当」と主張し、「批判から逃げてない」という強い態度をみせようとしたのだろう。

ハーグにあるICJ前でデモを行うパレスチナ支持者(2024.1.12)。南アフリカによる提訴で始まった司法手続きは、世界の注目を集めた。
ハーグにあるICJ前でデモを行うパレスチナ支持者(2024.1.12)。南アフリカによる提訴で始まった司法手続きは、世界の注目を集めた。写真:ロイター/アフロ

 それでは、ICJの聞き取りでイギリス人マルコム・ショー弁護士を団長とするイスラエル弁護団は何を主張したか。以下では4点に絞って解説する。

(1)「テロに対する自衛権の発動」

 イスラエル弁護団は聞き取りで、ガザでの行為をハマスのテロ攻撃に対する自衛戦争と主張した。

 開戦当初から主張してきた「自衛権」によって‘ジェノサイド’を否定したことは、「罪状や司法手続きそのものが成り立たない」という論理になる。

 ただし、ガザで実際に数多くの民間人が死亡していることは間違いなく、白旗を掲げていた高齢者や子どもがイスラエル兵に殺害されたケースも数多く報告されている。

 これに関してイスラエル弁護団は「部隊の一部に規律違反があった」可能性を認めたが、あくまで不幸なアクシデントとしている。

 また、病院攻撃に関しては「軍事拠点になっていた」、空爆による民間人死傷に関しては「都市での戦闘なので偶発的な死亡は避けにくい」、といった主張を展開した。

 もっとも、「自衛権」を疑問視する意見もある。「過剰防衛かどうか」だけでなく、イスラエルがガザで自衛権を発動できるかどうかの問題だ。

 ICJは2003年「占領軍による自衛権」を法的に無効と判断した

 これに沿っていえば、ガザは2006年以降、名目的にパレスチナ人の自治のもとにある。しかし、イスラエルは15年以上にわたってガザ周辺を軍事的に包囲し、人や物の移動を制限してきた。そのため、実質的な「占領軍」とみる専門家もいる。

イスラエルが実効支配するヨルダン川西岸に築かれた「分離壁」(2015.10.22)。ヨルダン川西岸での軍事作戦に関してICJは「占領軍の自衛権は法的に無効」という判断を示している。
イスラエルが実効支配するヨルダン川西岸に築かれた「分離壁」(2015.10.22)。ヨルダン川西岸での軍事作戦に関してICJは「占領軍の自衛権は法的に無効」という判断を示している。写真:ロイター/アフロ

 ガザが占領下にあるかどうかの認定は、自衛の論理が成り立つかを左右するポイントといえる。

(2)「無差別殺傷ではない」

 「結果として」数多くの民間人が死亡したのではなく、それが組織的、意図的だったといえなければジェノサイドと認定されない。

 南アフリカは訴状のなかでイスラエル政府の主要人物の発言を逐一とりあげ、ガザでの民間人殺傷を「政府ぐるみの意図的なもの」と主張した。

 例えば、ネタニヤフ首相は10月28日、兵士に「アマレクがしたことを思い出せ」と訓示した。アマレクとは旧約聖書に登場する民族で、古代イスラエル王国の領土をたびたび脅かし、最終的にユダヤ人によって駆逐された。

 さらにガラント国防相は「あいつらは人間みたいな動物(human animals)」と発言し、後に「ハマスのことだ」と釈明したが、イスラエル閣僚のこうした発言は後をたたない。

 これら一連の発言からは「無差別殺傷でガザからパレスチナ人を一掃する」意図を読み取れる、という主張はヒューマン・ライツ・ウォッチなどの人権団体も支持している。

 これに対して、イスラエル弁護団は「発言の一部が切り取られている」と主張した。それによると、例えば問題の訓示でネタニヤフは以下のように続けたという。「…だがしかしイスラエル軍は道徳的な軍隊だ。無辜の民を殺すのは避けなければならない」。

 ただし、アルジャズイーラが入手した当日の音声データでは、この部分は確認されないという。

閣議で発言するネタニヤフ首相(2024.1.7)。兵士への訓示で旧約聖書を引用した「アマレク」発言は、人権団体などから「パレスチナ人を根こそぎ破壊しようとする意図があるもの」と指摘されてきた。
閣議で発言するネタニヤフ首相(2024.1.7)。兵士への訓示で旧約聖書を引用した「アマレク」発言は、人権団体などから「パレスチナ人を根こそぎ破壊しようとする意図があるもの」と指摘されてきた。写真:代表撮影/ロイター/アフロ

 とはいえ、ネタニヤフらのこれらの発言のほとんどは政府命令などの公式文書に残っていない。ICJにはこれを「組織的な意図」と判定するかどうかが問われる。

(3)「人道支援を妨害していない」

 訴状で南アフリカは「イスラエルは10月7日以降、食糧、水、燃料、その他の支援物資の搬入を妨害してきた」と主張した。ガザを日干しにすることで、わざと民間人までも弱らせている、というのだ

 これに対してイスラエル弁護団は「不正確な情報だ」と主張した。

 イスラエルの言い分によると、「ガザには開戦前、食料などを運ぶトラックが1日70台入っていた(補足:先述のようにイスラエルは開戦前からガザへの物資搬入を制限していたため、国連などの援助機関しかほとんど入れなかった)。開戦後、その台数はむしろ増えていて、この2週間平均で1日106台におよぶ」。

 しかし、これは国連パレスチナ難民支援機関(UNRWA)のデータと大きく食い違う。

 それによると、ガザには開戦前1日約500台のトラックが援助物資などを運んでいたが、開戦後はこれが大きく減り、一時停戦期間中は1日200台だったが、その後は1日100台にも及ばない。

 この情報の食い違いをICJがどのように評価するかが、‘ジェノサイド’認定を左右する一つのポイントになる。

(4)「司法手続きに不備がある」

 そして最後に、司法手続きの問題だ。ICJのルールでは「提訴の前に当事国同士に係争があった」ことが必要だ。

 もともとICJは仲裁裁判所として発足した歴史があり、提訴は当事国同士でどうしても解決しない場合の最終手段と位置づけられている。

ICJに出廷した南アフリカのロマーラ司法大臣とマドンセラ在オランダ大使(2024.1.12)。イスラエルは南アフリカの進めた手続きに不備があると指摘している。
ICJに出廷した南アフリカのロマーラ司法大臣とマドンセラ在オランダ大使(2024.1.12)。イスラエルは南アフリカの進めた手続きに不備があると指摘している。写真:ロイター/アフロ

 ところが、イスラエル弁護団によると、南アフリカ政府が‘ジェノサイド’批判を始めた直後、イスラエル政府は対話を呼びかけたが、南アフリカ政府は「休日」を理由にこれを拒否し、その数日後にICJに訴状を提出した。

 つまり、イスラエルと南アフリカの間に係争が生まれる前の段階での提訴で、ICJのルールに反しているから司法手続きそのものが無効、というのだ。

 とすると、南アフリカが「ジェノサイド罪で提訴する用意がある」といった事前告知をしていたかどうかが、今後明らかになる必要がある。

裁判のゆくえは

 今後の行方は、一言でいえば楽観できない。

ICJ周辺に集まったイスラエル支持のデモ隊(2024.1.12)。イスラエル支持とパレスチナ支持のデモ隊同士の小競り合いは世界各地に広がっている。
ICJ周辺に集まったイスラエル支持のデモ隊(2024.1.12)。イスラエル支持とパレスチナ支持のデモ隊同士の小競り合いは世界各地に広がっている。写真:ロイター/アフロ

 ICJでの裁判は通常数年かかるが、今回の聞き取りは南アフリカが求めていた暫定的な保護措置(provisional measure to protect)に基づき、早ければ1ヵ月程度で結論が出る。

 暫定的な保護措置とは現在進行形の事態に速やかに対応することを優先させ、それが認められれば戦闘停止を命じることもできる。

 もっとも、仮に暫定的な保護措置が認められたとしても実効性はない

 例えば、ウクライナ侵攻が始まった約1ヵ月後の2022年3月、ICJは暫定的な保護措置の最初の命令を下したが、その後もロシアの軍事活動は止まっていない。

 イスラエル弁護団は「ハマスの脅威がある中で戦闘停止はあり得ない」と主張しており、仮にICJが暫定的な保護措置の命令を下しても、それに従う公算は低い。

 そのため、ICJがどんな結論を出すにせよ、国際的に高まったイスラエル批判を加速させる以上の効果は低いとみられる。法的な強制力はあっても、当事国が実際に従わなければそれまでなのだ。

 その意味では、どちらの言い分が正しいかを裁定すること自体に意味を見出すしかないだろう。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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