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クーデタは単純な悪なのか――「マリのホメイニ」が暴く世界の二枚舌

六辻彰二国際政治学者
ケイタ大統領らを拘束した軍を支持するマリ市民(2020.8.18)(写真:ロイター/アフロ)
  • 西アフリカ・マリではクーデタによって大統領が拘束され、世界中から批判が巻き起こっている
  • しかし、多くのマリ人はこのクーデタを支持しており、海外との温度差が鮮明になっている
  • 海外の不評の背景には、マリの政府批判の中心にいるイスラーム主義者への警戒がある

 マリのクーデタは海外で評判が悪いが、そこには「軍の政治介入=悪」というタテマエのもと、クーデタの背景にあるマリの政治的変化に各国が警戒を募らせていることがある。

「クーデタ=軍の暴走」か

 西アフリカのマリでは18日、軍の一部が蜂起し、ケイタ大統領ら要人が拘束された。翌19日、ケイタ大統領は辞意を表明。クーデタを率いたゴイタ大佐は市民に平静を呼びかけ、「適切な時期に」選挙を行うと約束した。

 これに対して、国連や欧米諸国だけでなく、アフリカ各国が加盟するアフリカ連合(AU)や中国までもがクーデタを批判し、「憲法に基づく秩序の回復」を要求している

 一般論でいえば、選挙で選ばれた合法的な政府を力で倒すことは認められない。その意味で、世界中からマリのクーデタに批判があがるのは不思議ではない。

 しかし、それが当事者の声と一致するとは限らない。多くのマリ人がこのクーデタを支持しているからだ。つまり、「クーデタ=軍の暴走」という一般的なイメージでは語れないのである。

クーデタを支持する人々

 歴史を紐解けば、多くの人々から拒絶された政府を軍が見限り、市民の側に立つことは珍しくない。今回のマリのクーデタも、数カ月に及ぶ反政府デモに呼応したものといえる。

 マリでは2012年、同国北部に流入したアルカイダ系イスラーム組織が分離独立を宣言。それ以来、マリでは不安定な政情が続き、事態を改善できないケイタ政権への不満が高まっていた。それに拍車をかけたのが、3月から4月にかけて行われた議会選挙だった。

 最大野党の代表が拉致されて行方不明になるなど、イスラーム過激派の襲撃が相次いだことで、選挙は混乱を極めた。それにコロナの蔓延が加わった結果、投票率は過去最低を記録したのである。

 かつてフランスの植民地だったマリではフランス式の二回投票制が導入されているが、それぞれの投票率は3月の第一回投票が35%、4月の第二回投票が23.2%にとどまった。

 選挙結果はケイタ大統領が率いる与党連合がかろうじて過半数を確保したものの、投票率がここまで低ければ選挙そのものの正当性が問われる。しかし、野党や市民の異議申し立てにもかかわらず、憲法裁判所は4月末、この選挙を「合憲」と判断した

 これをきっかけに、政府に対する抗議活動が拡大。7月には治安部隊と反政府デモの衝突で14人が死亡し、300人が負傷した。国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチはデモ隊の側にも暴力行為があったと認める一方、治安部隊が過剰な取り締まりを行なったと報告している。

 今回のクーデタは、この延長線上に発生したものだ。そのため、反政府デモを率いた連合組織「6月5日運動」が「マリの人民の勝利を祝福する」とクーデタを歓迎する声明を発したことは不思議ではない

世界の二枚舌

 だとすると、今回のクーデタを受けて「憲法に基づく秩序への回復」を求めて批判する海外とマリ国内の間には、温度差があることになる。

 ここで注意すべきは、「憲法に基づく秩序」が破られても、海外との関係次第では批判されない場合もあることだ。

 2013年にエジプトで発生したクーデタを、アメリカをはじめ先進国は黙殺した。この時に倒されたのは、エジプトで初めて民主的な選挙で選ばれた政府だったが、その支持基盤はアメリカなどが「テロ組織」とみなすイスラーム組織「ムスリム同胞団」だったからだ。同様に、昨年4月にスーダンで、反政府デモに呼応して発生したクーデタも、海外からほとんど批判を招かなかった。クーデタで倒されたのが、アメリカとも敵対してきたバシール大統領だったからだ。

 また、今のアフリカを見渡すと、形式的には法に基づいていても、実際にはその精神が守られていない国は少なくない。

 例えば、マリの隣国ギニアでは今年3月、コンデ大統領が憲法を修正し、二期に限定されていた大統領任期の条項を撤廃した。これなどは「形式的法治主義」の典型だが、海外から目立った批判はない。コンデ大統領が欧米やアフリカ各国と友好関係を築いているからだ。

 つまり、「憲法に基づく秩序」が破られても、海外との関係次第で批判されたり、されなかったりする。だとすると、マリの場合はなぜ批判されるのだろうか?

「マリのホメイニ」への警戒

 一つの理由としては、ケイタ大統領が欧米や周辺国と良好な関係を築いてきたことにある(海外での評価と国内でのそれが一致するとは限らない)。

 しかし、もう一つの理由として、反政府デモを率いた6月5日運動への警戒があげられる。6月5日運動の精神的指導者としてケイタ政権打倒を呼びかけ続けたモハマド・ディッコ師は、イスラーム国家の樹立を目指す厳格なイスラーム主義者とみられているからだ。

 マリの人口のほとんどはムスリムが占め、そのイスラームの歴史は古く、最大都市トンブクトゥは14~15世紀、「本場」アラビア半島からも留学生がくるほどの宗教都市として栄えた。

 6月5日運動を率い、軍のクーデタを支持するディッコ師はイスラーム高等理事会の理事長を務めた経験ももち、マリ宗教界を代表する人物の一人だ。

 その影響力の大きさから、今回失脚したケイタ大統領も初当選の際にはディッコ師の支援を受けたが、後に欧米寄りのケイタ大統領がカジノ設置や同性愛に寛容な姿勢をみせたことで、両者の関係は悪化したといわれる。

 こうした背景のもと、反政府デモを指導したディッコ師は、1979年のイラン・イスラーム革命を率いたホメイニ師になぞらえ「マリのホメイニ」とも呼ばれる

 ディッコ師はテロ活動を拡散させるアルカイダなどの過激派とは一線を画しており、あくまでマリにイスラーム国家を建設することに関心を集中させているとみられる。しかし、イランが周辺国に「革命の輸出」を行なってきたことを考えれば、厳格なイスラーム国家がマリに成立することに周辺国や欧米が警戒感を募らせることもまた不思議ではない。

 この警戒感がマリのクーデタに対する拒絶反応を生んだといえるだろう。

 とすると、たとえ多くのマリ人がクーデタを支持したとしても、各国がこれを承認するハードルは高いといえる。とはいえ、それは6月5日運動に代表される反政府デモの孤立感を深め、かえって結束を高める公算が大きい。それはちょうどイスラーム革命後の孤立がイランをより先鋭化させたことに通じる。

 西アフリカの混迷は今後さらに増すとみられるのである。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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