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児童虐待が放置されやすい風土――日本に染みついた「ウチとソト」の思想

六辻彰二国際政治学者
(写真:アフロ)
  • 殺人発生率が日本より高くても、日本より「子どもの安全」の評価が高い国は多い
  • 児童相談所が介入に慎重なことが多い背景には、日本に根強い「ウチとソト」の考え方が、家庭内の暴君と化した親の言い分を通りやすくしていることがある
  • 「ウチとソト」の考え方が時代の変化に対応できていないことは、児童虐待だけでなく外交を含むさまざまな領域でもみてとれる

 これまでの多くの児童虐待事件のなかには、児童相談所が兆候を把握しながら、子どもの保護に踏み切らなかった結果、子どもが生命を落としたケースが珍しくない。親としての務めを果たしていない親でも、その意向が認められやすい背景には、日本に根強い「ウチとソト」の考え方があるとみてよく、これは児童虐待以外の領域にも深く染みついている。

子どもが安全な国とは

 日本ではこの15年間、児童虐待で生命を落とす子どもは毎年50人前後にものぼる。およそ1週間に1人が死亡するペースだが、なかには通報があっても児童相談所が介入しなかったために失われた生命もある。

 国連のランキングによると、「子どもの安全」で日本は世界第10位だ。ところが、1位のイギリスをはじめ、このランキングで日本より上位の国はいずれも殺人発生率で日本より高い。

 日本の「子どもの安全」の評価が低いことの大きな要因には、子どもを保護する制度や法令が十分でないことがある。

 日本では死に至るようなネグレクトや暴行でも、親(血縁のあるなしにかかわらず)が加害者の場合、通常の殺人や過失致死と比べて刑罰が軽い保護責任者遺棄致死で罪に問われることがほとんどだ。

 また、6月19日に衆議院は親の体罰を禁じる改正児童虐待防止法と改正児童福祉法を可決したが、これは罰則のない、いわば努力目標だ。さらに、ネグレクトなど危険な兆候のある親を事前に制裁あるいは矯正する、統一的な制度もない。

 これに対して、「子どもの安全」ランキング上位にくる国の多くでは、虐待への罰則がより厳格だ。例えば、国連のランキング上位3カ国をあげると、

  • イギリス…子どもの健康に害を及ぼすネグレクトだけでも最長10年の懲役刑
  • スウェーデン…子どもへの体罰を最初に法的に禁じたこの国では、一度叩いたくらいでは罪に問われないものの、ケガをさせるなどすれば最長2年の懲役刑
  • カナダ…食事を与えないなど健康を害するネグレクトの場合、最長で5年の懲役刑。また、州ごとに個別の取り組みがあり、例えばオンタリオ州では深刻な虐待があることを知りながら通報しなかった者にも5万カナダドル以上の罰金か2年以上の懲役刑がある。

「家庭の問題は家庭で解決すべき」か

 子どもの安全にかかわる法律や制度が十分でない背景には、日本の文化風土があると思えてならない。なかでも注目すべきは、「ウチとソト」の考え方だろう

 ものの20年ほど前まで「同じ墓に入ってくれ」はプロポーズの言葉の一つだった。欧米圏では一人ひとりに墓石があることが一般的で、これと比べて日本のそれには「人間は家族のなかで生きるもの」という思想が凝縮している。

 もちろん、いま「同じ墓に入ってくれ」と言うのは、もはやギャグに近いかもしれない。しかし、そのように時代が変化しても、日本の法律や制度の多くは、昔からの家族観を前提としたものであり続けている。長々と論じる余裕はないが、「持ち家で子どもが親の面倒をみるから支給額は小遣い程度でよい」という想定が過去数十年間変更されていないために国民年金の支給額が低いままに抑えられていることや、先進国のなかで選択的夫婦別姓が認められていない数少ない例外であることを指摘すれば十分だろう。

 ところで、このように「家族の絆」が強調されるほど、家族と他人、つまり「ウチとソト」を厳密に分けることになる。社会全体でその傾向が強いほど、法的に権限が認められていても、公的機関は家庭に踏み込むことに慎重になりやすい。公務員自身に「ウチとソト」の思想が強ければ、なおさらだ。

 もちろん、家庭に公権力が立ち入ることを無制限に認めれば、全体主義国家と変わらない。

 しかし、「ウチのことにソトが口出しするべきでない」という考え方が強いほど、「ウチ」の実質的な決定権者としての親の言い分を「ソト」は尊重すべきとなる。たとえそれが家庭内の暴君と化した親でも、親であるというただそれだけで、言い分が認められがちだ。

 それは結果的に、家庭内の弱者である子どもの人間としての権利が置き去りにされやすい。児童虐待が疑われる場合でも児相が慎重になりやすいのは、欧米諸国と比べて、家族意識を強調するあまり、人権意識に鈍感になりがちな思想風土を反映しているといえる。

「ウチとソト」に基づく外交

 児童虐待で浮き彫りになる「ウチとソト」の発想は、その他の領域でもみられるが、外交も例外ではない。端的に言えば、家庭内の暴君を容認する論理となる「ウチとソト」の考え方は、人権侵害が深刻な国の「独裁者」を暗黙のうちに認めることにもなる

 例えば、激化する香港デモに関して、アメリカをはじめ欧米諸国の政府は、多かれ少なかれ批判や懸念を表明している。しかし、日本政府は国民に渡航の見直しを呼びかける一方、香港政府あるいは中国政府に、何らメッセージを発していない。

 これは相手が中国だからというわけではない。ロヒンギャ問題が深刻なミャンマーにも、イエメン内戦で民間人を巻き込む空爆を繰り返すサウジアラビアにも、白人の土地を黒人政権が補償なしに徴収するジンバブエにも、日本政府が人権の観点から公式にコメントすることはほぼ皆無だ。

 そこには「内政不干渉」の原則がある。主権国家である以上、どの国もウチの問題を処理する権限があり、ソトが口を出すべきでないというのだ。その場合、相手国の決定権者がどんな決定をしているかは問題にならない

 もちろん、何でも口を出せばよいというものではない。また、欧米諸国には外交関係のよくない国(中国やイランなど)の人権問題を批判しながら、良好な関係の国(インドやサウジなど)の問題には口をつぐむというダブルスタンダードが目立つ。その意味で、相手との関係にかかわらず、外国の問題に口を出さない日本政府の姿勢は「一貫している」といえるかもしれない。

 ただし、相手によって態度を変えるのが「変節」だとすれば、状況にかかわらず対応を変更しないのは「偏屈」だろう。少なくとも、ソトの人権問題に口をつぐむことが、それぞれの国の「独裁者」を黙認することになるのは間違いない。ウチで家庭内の暴君に甘く、ソトの「独裁者」にも寛容という意味で、そこに一貫性はあるかもしれないが。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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