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インドの闇を象徴する世界一の彫像―日本メディアに問われるもの

六辻彰二国際政治学者
グジャラート州「統一の像」の足元を訪れた人々(2018.10.31)(写真:ロイター/アフロ)
  • インドで完成した高さ世界一の彫像は、インドの経済成長だけでなく、少数派であるムスリムの迫害をも象徴する。
  • しかし、日本メディアはこれをほとんど報じておらず、そこには政府や経済界への忖度がうかがわれる。
  • 独立した言論の府としての責任をメディアが果たさなければ、「知りたいように知る」風潮を後押しすることにもなる。

 「世界一の…」と冠がつくものは一般的にメディアでよく取り上げられるが、10月末にインドでお披露目された高さ世界一の彫像に関しては話が別で、日本メディアでその完成を伝えたのは、いくつかの海外メディアの日本語版を除けば一部にとどまった。この彫像の建立は少数派の迫害と表裏一体といういわくがあり、インドの暗部を浮き彫りにするが、それと同時に日本メディアの課題をもあぶり出している。

高さ世界一の彫像とは

 まず、世界一の彫像とはどんなものか。

 これは「統一の像」と名づけられた、独立の指導者の一人ヴァッラブバーイー・パテルの彫像で、10月31日に北西部グジャラート州で落成式が行われた。高さは182メートルで、ニューヨークの自由の女神(93メートル)の約2倍。これまで世界一高い彫像は中国にある魯山大仏だったが、パテル像はこれを54メートル上回る。

 パテル像の完成は、成長著しいインドの光を象徴する。

 ただし、そこには影もある。そのカギは、貧困層が国民の21.9パーセントを占める(2011年段階、世界銀行)状態で、総工費299億ルピー(約470億円)を投入し、国内で「巨大な像を建てるくらいならそのお金を農民のために使うべきだった」といった批判を招きながらも、なぜインド政府がパテル像を建立したかにある。

「触れてはならない」独立の英雄

 初代副首相を務めたパテルは、「サルダール(首長)」の異名をもつ。しかし、一般的にインド独立の指導者といえば「非暴力・不服従」で民衆を率いたガンディーや、その後継者で初代首相のネルーが知られ、彼らと比べてパテルの知名度は、海外では必ずしも高くない。

 インドでもガンディーやネルーの家系やその一派が名門とみなされ、政界の主流として大きな影響力を持ち続けるなか、パテルの名は傍流に位置づけられてきた。その最大の理由は、ガンディーやネルーが政教分離に基づく民主的な体制を目指したのと異なり、パテルがヒンドゥーの教義に傾いていたことにある。

 インドでは独立以前からヒンドゥー教徒とムスリムの衝突が相次ぎ、結局ムスリムが多かったパキスタンが、さらにその後にバングラデシュが、それぞれ分離した経緯がある。それでもインド国内には数多くのムスリムがおり、ピュー・リサーチ・センターによると、全人口の約80パーセントをヒンドゥー教徒が占める一方、ムスリムは14.4パーセントにとどまるが、1億7600万人以上にのぼり、世界屈指の規模である(その他、シーク教徒、キリスト教徒、仏教徒などもいる)。

 そのため、独立後のインド政府はヒンドゥー特有のカースト制を法的に廃止するなど、宗教の政治への影響を排除し、宗派対立を抑制してきた。

 これに対して、パテルは独立以前からムスリムと衝突を繰り返したヒンドゥー至上主義団体「民族義勇団(RSS)」と結びつきがあり、独立にともなうインド・パキスタン戦争(1947)の外交的解決を目指したガンディーを批判した。

 この経緯からすれば、ガンディー、ネルー以降のインドで、ヒンドゥーに傾倒したパテルが「独立の指導者の一人だが、あまり触れてはならない人物」と扱われてきたことは不思議でない。

ヒンドゥー・ナショナリズムのスター

 その意味で、パテル像の建立はインドの大きな変化を示す。

 インドでは2014年選挙で政権を握ったインド人民党(BJP)のもと、ヒンドゥーに基づく国づくりを目指すヒンドゥー・ナショナリズムが台頭しており、モディ首相はパテル像の完成にあたって「パテルが初代首相になれなかったことを全インド人が後悔している」と述べている。そこには「インド人=ヒンドゥー教徒」の図式が鮮明だ。

 また、パテル像が建てられたグジャラート州は、パテルだけでなくモディ首相の地元でもある。

 つまり、パテル像の建立は、インドにおける政教分離の後退をも象徴するのである。

 さらに、モディ政権はパテル像の建立と並行して、ムンバイでは17世紀にイスラーム系のムガール帝国と戦ったヒンドゥーの英雄チャトラパティ・シバジの建立を進めており、こちらはパテル像を上回る212メートルで、2021年の落成を目指している。

ムスリムへの迫害

 こうしたヒンドゥー・ナショナリズムの高まりと並行して、インドでは少数派に対するヘイトクライムが頻発している。モディ政権誕生以前の2013年に9件だったヘイトクライムは、モディ政権誕生後に増加し始め、2017年には過去最高の74件を記録した。

 加害者のほとんどはヒンドゥー教徒で、ムスリムはとりわけその標的になりやすく、最近では牛を取り扱う業者に対する暴行が頻繁に報告されている。

 ヒンドゥーやシーク教では牛が神の使いとみなされ、食べることはもちろん、叩いたりすることも許されないが、ムスリムやキリスト教徒にとってはその限りでない。そのため、独立後のインドでは憲法48条で「牛の屠畜を禁じる法律を定められる」と定められていても、実際には政教分離の原則のもと、ムスリムに多い畜産業者が制限を受けることはほとんどなかった。

 ところが、ヒンドゥー・ナショナリズムが台頭しつつあった2005年10月、インド最高裁は憲法48条に基づく法の制定が正当という判断を初めて示し、これをきっかけに州レベルで畜産業への規制が強化され始め、2017年には動物虐待防止法で屠畜目的の牛の販売が禁じられた。

 これと並行して、ムスリムへのヘイトクライムは増加しており、なかには牛を違法に搬送していてヒンドゥーの自警団にリンチされた挙句、殺されたムスリムさえいる。ヒューマン・ライツ・ウォッチによると、2017年だけで牛肉に関する襲撃は38件にのぼり、少なくとも10人が殺害された。

 それにつれ、ヒンドゥー教徒とムスリムの間の衝突や暴動も増えており、インド政府の統計によると2015年に751件だった「共同体の事件」は、2017年には822件にまで増加した。

ヘイトを黙認するインド政府

 さらに問題なのは、インド政府がこれらを半ば野放しにしていることだ。

 モディ首相には、グジャラート州知事だった2002年にヒンドゥー教徒の暴動で1000人以上が死亡する事件が発生した際、十分な対策をとらなかったとして、アメリカ政府から入国ビザの発給を停止された経緯がある(首相になって初めて解除された)。

 これに関して、モディ首相は未だに「何も悪いことはしていない」と主張しているが、モディ政権を支える与党BJPからは、より直接的にムスリム排除を訴える声さえ出始めている。

 2月、BJP議員ヴィナイ・カティヤ氏はヒンドゥー教徒とムスリムの衝突に関連して、「なぜムスリムがインドにいるんだ?」、「ムスリムはこの国にいるべきじゃない」と発言。歴史の経緯を無視し、ムスリム迫害を正当化することは、関与の程度や犠牲者の数に差はあっても、ミャンマー政府によるロヒンギャ迫害と同じ構図だ

 そのため、警察がしばしばムスリムの畜産業者をリンチした側より被害者の違法行為(牛の屠畜・輸送)の捜査を優先させ、ヒンドゥー至上主義団体RSSが「牛を密輸し、ジハードを愛する者に対抗するため」自警団を拡充するのを黙認しているとして、ヒューマン・ライツ・ウォッチは「少数派を襲撃から守るつもりがない」とインド政府を糾弾している。

日本メディアの静けさ

 こうしてみたとき、ヒンドゥー・ナショナリズムのスターであるパテルの像の建立はインドの闇をも象徴するが、その完成が日本メディアでほとんど報じられなかったことには、違和感を禁じ得ない。

 一般的に国際ニュースへの関心が高くないことは日ごろ筆者も感じることだが、それでも冒頭に述べたように、「世界一」の冠は人目を引くはずだ。さらに、カレーや「象の花子」に馴染みがあるだけでなく、日本人の48パーセントはインドが「10年前より大きな役割を国際的に果たしている」と感じている(ピュー・リサーチ・センター)。

 それにもかかわらず、不自然なほど日本メディアが静かだったパテル像の完成は、ちょうど10月28、29日に来日したモディ首相を安倍首相が異例の「別荘外交」で遇したタイミングとほぼ一致する。日本政府は中国とのバランス上、中国と領土問題などを抱えるインドとの関係強化に取り組んでおり、モディ首相の来日に合わせて、経済連携を強化したい経団連も歓迎昼食会を開催した。

 それが忖度だったと断定できる根拠はない。ただし、少なくとも結果的に、日本メディアのほとんどが、モディ首相来日とほぼ同じタイミングでのパテル像の落成式を伝えなかったことは確かだ

 政府が外交関係を重視して相手国の国内問題を無視するのも、経済界が進出先の内政に関心を持ちにくいことも、褒められた話ではないかもしれないが、いわばよくあることだ。しかし、もし「それを報じればインドの暗部に触れないわけにいかない」と考えた結果、パテル像について伝えなかったとすれば、独立した言論の府としての役割をメディアが放棄するものといえる。

世論に対するメディアの責任

 さらに、こうした報道のあり方は、「知りたいように知る」という世論の傾向をさらに後押しすることになる。

 人間は自分の興味関心の向かうことを、理解しやすいように理解しがちだ。それは人間の処理能力の限界から避けがたく、また効率的に情報を摂取することを助けるが、他方でネットの普及で好きな情報だけピックアップすることに慣れるにつれ、「知りたいように知る」、「知りたいと思わないことは知ろうとしない」風潮が強まっているように思われる。

 そのなかで、例えば人権問題に限っても、北朝鮮や中国に関するネット記事は数多いが、程度の差はあれ、それ以外の国は放置されがちだ。「それがニーズに合っている」といえばそれまでだが、「気に入らない国の人権問題」だけ注目し、「日本との関係が大事な国」のそれを顧みないことは、少なくとも普遍的価値として人権を尊重していることにならない。

 おまけに、「都合の悪い情報を無視している」という自覚があるならまだしも、情報の存在そのものに気づかなければ、極端にいえば「日本が関係を強化しようとしている国は何の問題もないいい国」とさえ思い込みがちになる。意識的であれ、無意識であれ、「知りたいように知る」だけに傾いた思考パターンは、インド最大の観光地タージ・マハルがムガール帝国時代のイスラームの霊廟であるにもかかわらず、インドがヒンドゥー教徒だけのものと主張するヒンドゥー・ナショナリストのそれと紙一重だ

 もちろん、全ての国に関心を向けることは困難だが、関係を強化しようとするのであれば、なおさら相手国の光ばかりでなく影も知ることが必要なはずで、この緊張感を保つうえで、政府とも経済界とも異なる視点を提供できるはずのメディアの果たすべき役割は大きい。多くの問題を抱えているものの、欧米メディアの多くが政治的、経済的な結びつきの強い国の暗部を明らかにすることを躊躇しない点には、見るべきものがある。

 パテル像の建立は、インドの闇を浮き彫りにするばかりでなく、日本メディアに改めて言論の府としての責任の重さを問いかけているといえるだろう。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)、『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)など。

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