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サウジアラビア皇太子の「裏切り」とは何か―宗教的であって宗教的でない中東二大陣営

六辻彰二国際政治学者
即位式に臨むサルマン皇太子(2017.6.21)(提供:Courtesy of Saudi Royal Court/ロイター/アフロ)
  • サウジ皇太子が「イスラエルの存在する権利」に言及し、将来的な国交の樹立を視野に入れたものかという観測を呼んでいる
  • これに対して、イランは「裏切り」と批判
  • 中東ではサウジとイランの宗教対立を軸に、宗教を越えた二大陣営による対決が激化する兆候をみせている

 4月3日、サウジアラビアの事実上の最高権力者、ムハンマド・ビン・サルマン皇太子が「イスラエルには存在する権利がある」と発言。これに対して、イランの最高指導者ハメネイ師は「裏切り」と非難しています。

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 この背景としては、エジプトやヨルダンなど一部を除くほとんどのイスラーム諸国が、イスラエルを国家として承認してこなかったことがあります。スンニ派の中心地サウジアラビアが「権利」を認めたことで、イスラーム諸国が将来的にイスラエル国家を承認する可能性が生まれたのです。

 イランが「裏切り」と呼ぶサウジのこの方針転換は、イスラエルや米国との協力のもと、最大の敵であるイランとの対決を優先させようとする意思の表れとみられます。サウジ皇太子の発言は、イスラーム世界の主導権を争うサウジとイランが、それぞれ他の宗教・宗派を巻き込みながら、中東に二つの大きな陣営を築きつつあることを象徴するといえます。

反イラン連合の形成

 サウジアラビアは二大聖地メッカとメディナを擁し、イスラーム世界の中心を自認しています。しかし、2017年に即位したサルマン皇太子のもと、サウジは従来の「イスラームの伝統の擁護者」から「近代化の推進者」に方針転換。原油頼みの経済の多角化や、米国との同盟強化などの富国強兵策を進めてきました。

 その視線の先には「アラブの宿敵」イランがあります

 イランは親米的で独裁的な皇帝支配を倒した1979年のイスラーム革命後、米国とも対立。しかし、米国オバマ政権はその方針を大きく転換し、2015年7月には平和目的に限ったイランの核開発に合意。これに強く反対したのは、それぞれ米国と友好関係にありながらも、直接には疎遠だったサウジとイスラエルでした。

 この背景のもと、2015年に国防大臣に就任して軍の実権を握ったサルマン王子は、イエメン内戦でイランと衝突。その後、イエメンで活動するサウジ主導の有志連合に兵員を派遣しなかったパキスタンや、イランとの関係を維持したカタールに経済制裁を実施し、スンニ派諸国への締め付けを強化する一方、米国やイスラエルとの関係改善を模索してきました。

反米連合の台頭

 これに対して、イランも宗教を超えた連合を模索してきました。

 2016年12月にイランは、シリア内戦の終結に向けた協議をロシア、トルコと開始。シリアのアサド政権は、米国主導の有志連合と対立する一方、ロシアやイランと友好的。イランにとって、この三ヵ国によるシリア内戦終結のリードは、シリアを米国に奪われることの阻止につながります。

 イスラーム革命の後、イランは米国・イスラエル批判の急先鋒であり続けた一方、ロシアとは基本的に友好関係にあります。

 一方、トルコはNATO加盟国ですが、2000年代には国内の人権問題などをめぐって米国との関係が悪化。シリア内戦で米国が、トルコ国内でも分離独立を求めるクルド人勢力を支援してきたことは、これに拍車をかけました。さらに、スンニ派の盟主の座をめぐってサウジとはライバル関係にあります。

 それぞれの事情から「反米」で共通するロシア、イラン、トルコは、やはり宗教を超えて関係を強化。こうして中東ではサウジとイランの宗教対立を軸に、それぞれ宗教を超えた二大陣営に各国が収れんしてきたのです。

「イスラエルの権利」の意味

 この対立軸のもと、サルマン皇太子が「イスラエルの国家承認」を視野に入れた発言をしたことは、イスラエルにとって朗報です。

 1967年の第三次中東戦争以来、イスラエルは国連決議でパレスチナ人のものと認められているヨルダン川西岸を占領し続けてきました。これはイスラーム世界の反イスラエル感情の根本にあります。

 仮にサウジがイスラエルを国家として承認すれば、その足場である湾岸協力会議(GCC)加盟のアラブ首長国連邦(UAE)などをはじめ、多くのスンニ派諸国がこれに追随するとみられます。その場合、イスラエルは建国以来の、周囲を敵に囲まれた状態から解放されることになります。

実利優先のサウジ

 さらに「国家承認」は、イスラエルによる西岸地区の実効支配が、なし崩し的に既成事実となる可能性も含んでいます。

 2017年12月、トランプ大統領は東エルサレムを含む統一エルサレムを「イスラエルの首都」と認定。このうえ、サウジがイスラエルと国交を樹立すれば、その占領政策への反対はこれまで以上にイスラーム圏から出にくくなります。それは翻って、イスラエルを支援し続けてきた米国にとっての利益にもなります。

 いわばサウジはパレスチナ問題という「イスラームの大義」を実質的に放棄しても、イラン包囲網強化を優先させようとしているのです。

イスラームの大義

 一方、イランにとっても、サルマン皇太子の発言から得るものがないわけではありません。むしろ、イランには「イスラームの大国」として飛躍するチャンスにもなり得ます。

 先述のように、パレスチナ問題はイスラーム世界における反イスラエル感情の根本にあります。米国の支援を受けたイスラエルの軍事力を前に、イスラーム諸国の政府が外交的にはともかく実際にはパレスチナ問題にかかわろうとしてこなかったことは、各国で自国政府への反感を生む土壌になってきました。

 イランは既に、イスラエルと戦火を交えてきたパレスチナのスンニ派武装組織ハマスへの支援を強化してきました。これはサウジが米国と同様、ハマスを「テロ組織」とみなして規制するのと対照的です。

 一方、パレスチナ自治政府のアッバス議長は、2月にはインドのモディ首相やロシアのプーチン大統領と相次いで会談。エルサレムを首都と認定した米国を「調停者」と認めないと言明しています。

 つまり、サウジが米国やイスラエルと接近すればするほど、それと対立するイランやロシア、トルコが、オール・イスラーム的課題であるパレスチナ問題において主導権を握りやすくなります

大義の求心力

 いわばサウジが実利的な目的のために「イスラームの大義」を放棄したのと対照的に、イランは「イスラーム世界における良識派」として影響力を増す機会を得ているといえます。それはちょうど、「米国第一」を掲げてトランプ政権が各国を振り回すほど、プーチン大統領の存在感が増すのとほぼ同じです。

 国際関係は利益と権力によって動きがちですが、「正しいことをしている」という大義もやはり支持者を集める原動力になります。市民レベルではなおさらです。

 ほとんどの国がパレスチナ問題と正面から向き合おうとしなかったことから、「パレスチナ問題に熱心」という位置づけは、結果的にイスラーム各国の一般レベルでの支持を集めやすくなります。1991年の湾岸戦争でイスラエルと米国をやり玉にあげたサダム・フセインや、「パレスチナでの犯罪行為」を断罪したアルカイダの創設者ビン・ラディンは、その象徴です。

 中東諸国のうち、シーア派が中心のシリアや、スンニ派アラブ人の国でもサウジと対立するカタールなどは、こちらに属するとみられます。とはいえ、イスラーム世界で少数派であることは間違いありませんが、それゆえに「正論」を掲げて多数派への抵抗は強まるとみられます。

大勢力への収れん

 一般的に、流動的な状況のもとで、それぞれが自己保存のために大勢力に収れんすることは珍しくありません。敗戦後の日本で林立した小政党がやがて大きな陣営に分かれたことや、1990年代の規制緩和後に金融機関がメガバンクに集約されたことは、その典型です。

 こうしてみたとき、対立の複雑さが極まった中東では、いよいよ大勢力への収れんが始まったといえます。

 中東以外の国もこれと無縁でなく、例えばやはり伝統的にロシアと友好的で、国内に多くのシーア派を抱え、インド洋の覇権をめぐってサウジと対立するインドはイランと近い一方、イスラエルとも経済協力を深めています。中東での大勢力同士の対立が本格化するなか、日本もこの地の対立を「宗教対立」で済ませずに見極める必要があるといえるでしょう。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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