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クルド女性戦闘員「遺体侮辱」映像の衝撃―「殉教者」がクルド人とシリアにもたらすもの

六辻彰二国際政治学者
YPGの女性戦闘員たち(2015.1.30)(写真:ロイター/アフロ)

 内戦の続くシリアでの戦闘をめぐり、2月3日にシリア人権監視団が発表した映像は、各国に大きな衝撃として伝えられました。この映像では、トルコとの国境に近いシリアのアフリンで戦死したクルド人女性戦闘員の遺体の手足を十数人の民兵が切断する様子が、生々しく映し出されています。この映像は加害者が撮影したものとみられます。

 戦場であっても、戦闘員であっても、守られるべき尊厳があるはずですが、今回の映像からはそのようなものは微塵も感じられません。映像のなかでは、民兵の一人が女性戦闘員の左胸を踏みつける様子も映し出されています。

 これに対して、シリアのクルド人勢力からは、民兵を支援するトルコ政府への批判が噴出。ヨーロッパ諸国やアラブ諸国でも広く報じられています。一方、トルコ政府はこの件には沈黙を保っていますが、やはり2月3日に外務大臣が「アフリンのクルド人勢力が安全保障上の脅威」と強調しています。

 

シリアのクルド人武装組織

 シリアとイラクにまたがる領域では、2014年に「イスラーム国」(IS)が建国を宣言。この混乱のなか、かねてからシリアやイラクで分離独立を要求してきた「国をもたない世界最大の少数民族」であるクルド人たちは、欧米諸国の支援のもと、ISだけでなく、ロシアが支援するアサド政権やイランと戦闘を重ねてきました。

 有志連合やロシア軍の攻撃もあり、ISが勢力を衰退させていた1月21日、隣国トルコが突如国境を越えてシリアのアフリンに侵攻。クルド人勢力「人民防衛部隊」(YPG)を中核とするシリア民主軍(SDF)を攻撃する「オリーブの枝」作戦を開始しました。

 クルド人はトルコでも分離独立を要求しており、トルコ政府はこれを「テロリスト」として取り締まってきました。トルコ政府はこれと結びついたYPGも「テロリスト」と位置づけています。トルコは以前からISだけでなくクルド人勢力も攻撃していましたが、IS対策に目途が立った今、次の脅威としてクルド人勢力の排除に乗り出したのです。

 先述のように、YPGはアサド政権と敵対する欧米諸国から支援を受けてきましたが、他方で北大西洋条約機構(NATO)加盟国であるトルコも同盟国。いわば米国の同盟者同士が争うという複雑な構図も手伝って、ISが勢力を衰えさせた後も、シリアでの戦闘が止むことはありません。

クルドの女性戦闘員

 戦闘が続くなか、以前からYPGでは女性戦闘員の活動が目立っていました。YPGのなかにはクルド女性防衛隊と呼ばれる女性だけの部門があり、18歳から40歳まで約7000人のメンバーを抱えているといわれます

 女性の社会参画が進む米国でさえ、米軍における全ての戦闘任務の女性兵士の参加が解禁されたのは2015年12月のことでした。これに対して、中東はむしろ女性の社会参画が遅れがちな土地として知られます。

 このなかで多くのクルド人女性が最前線に立った理由は一様ではありません。AFPのインタビューによると、「ISにレイプされたり殺害されたりした友達の報復」と答える者もあれば、「家父長的な社会の慣習を断ち切るため」と答える者もあったといいます。

 少なくとも、把握されている限り、クルド女性防衛隊の場合、その参加は自由意志に基づくもので、強制されたものではありません。クルド人社会ではアラブ人社会と比べて、イスラームの戒律や男性優位の構造が弱く、これが女性戦闘員登場の一因になったとみられます。

 ともあれ、女性が銃を取り、自らの土地や民族のために戦う状況を指して、シリアで取材を続ける米国の女性カメラマン、エリン・トリエブは以下のように語っています。「例えそれが彼女たちの主な目的でないとしても、クルド女性防衛隊はフェミニスト運動なんです。彼女たちは男女間の『平等』を求めています。なぜ彼女たちが戦闘に参加したか、その理由の一つはその文化のなかでの女性に対する見方を変えることなんです、自分たちが強くなれるし、リーダーにもなれるというね」。

「殉教者」バリン・コバニ

 この状況のなか、冒頭に紹介したように、2月3日にクルド人女性戦闘員の遺体を傷つける映像が拡散したのです。男性優位の志向が強いアラブ系民兵にとって、「自分たちに手向かう女性戦闘員」はことさら憎悪の対象になったとみてよいでしょう。

 ともあれ。YPJはこの戦闘員を、クルド女性防衛隊に所属していたバリン・コバニ氏と確認したうえで、アラブ系民兵を支援するトルコを強く非難。シリアの反体制派の連合体「国民評議会」も、これを「犯罪的行為」と非難したうえで、「犯人」の調査を開始したと発表しています。

 この映像はクルド人社会に大きな衝撃をもたらし、コバニ氏を含むYPJ戦闘員の葬儀には数千人のクルド人が参列し、そのなかの参列者はAFPの取材に「彼女は聖人になった」と語り、別の参列者はコバニ氏の家族に「彼女はあなたたちの娘であるだけでなく、私たちの娘でもある」と語ったといいます。

 降伏を潔しとせず、最後まで戦い続けた後、敵兵によって遺体まで切り刻まれたコバニ氏は、クルド人社会において民族独立の「殉教者」として位置付けられるようになったといえます。

追い詰められるクルド人

 ただし、シリアのクルド人たちを取り巻く状況は苦しいものになりつつあります。

 先述のように、IS対策の一環として、欧米諸国はYPGなどクルド人勢力を支援してきましたが、YPGを「テロリスト」と位置づけ、これの掃討を目的とする「オリーブの枝」作戦を展開するだけでなく、コバニ氏の遺体を切り刻んだ民兵を支援するトルコもNATO加盟国です。1月28日にトルコ政府は、「米国政府が今後トルコ人勢力への武器供与を停止すると語った」と発表。これに関して米国は明確な声明を出していませんが、少なくとも米国が難しい判断に迫れていることは確かです。

 米国にとって、ISやアルカイダ系組織を封じるために、あるいはイランやシリアの影響力をこの地域から削ぐために、シリア政府やイラン政府と対立するYPGは、格好のパートナー候補です。

 一方、NATO加盟国であるトルコは、国内の人権侵害などをめぐって米国との関係が悪化し、ロシアやシリアに接近しています。この状況下、米国がトルコをつなぎとめることを優先するなら、クルド人勢力と「手を切る」ことも想定されます。現状でも既にクルド人勢力の間には米国の支援の不足に不満があります。もし米国がトルコとの関係を優先させれば、YPGはほぼ孤立無援になります。

米国にとっての「殉教者」

 このように難しい判断を迫られている米国政府にとっても、今回の映像は無視できないインパクトを秘めています。

 「#me too」が勢力を広げる米国世論において、コバニ氏がクルド人という「民族の殉教者」としてだけでなく「フェミニズムの殉教者」として位置付けられた場合、米国政府はクルド人勢力への支援を簡単にやめることはできなくなります。

 その一方で、米国世論がこれに無関心だった場合、米国政府がトルコに傾いたとしても不思議ではありません。その場合、シリアのクルド人は欧米諸国に「使い捨てられる」ことになりかねません。

 2月5日現在、各国メディアがこの問題を取り上げているなか、ニューヨークタイムズやワシントンポストなど主要な米国メディアは、奇妙なほどこの問題に静かです。例えトランプ政権と対決しあっていても、そこにはシリア政策をめぐる米国のデリケートな立場への忖度があるのかもしれません。

「殉教者」がもたらしかねない悲劇

 ただし、米国政府がいずれに傾いたとしても、「殉教者コバニ」を出したクルド人勢力は抵抗し続けるとみられます。今回の映像に関してYPGは「勝利まで抵抗をやめないという我々の決意を強めるだけ」と強調しています。

 古来、苦しい立場に置かれた人々には、自分たちのために命を投げ出す英雄を心の拠り所に結束することが珍しくありません。キリスト教の初期の聖人たちは、その代表です。その結束は、状況が悪化すればするほど、強くなる傾向があります。つまり、状況が悪化しつつあるシリアのクルド人たちにとって「殉教者コバニ」は団結と抵抗を強めるシンボルになるとみられます。

 しかし、それは結果的に、トルコ軍による攻撃をさらにエスカレートさせ、さらに犠牲者を出すことが懸念されます。言い換えると、今回の映像はクルド人社会にとって、団結や結束だけでなく、さらなる苦難をも暗示するものになるといえるでしょう。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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