フェルランド・メンディの物語。レアル・マドリーの左SBを狙う新たな刺客。
今季のレアル・マドリーで、サプライズのひとつになっていると言えるかもしれない。フェルランド・メンディが、マルセロからポジションを奪いつつある。
マドリーは昨夏、移籍金固定額4800万ユーロ(約55億円)でリヨンからメンディを獲得。ジダン監督が彼の獲得を望んでいたといわれている。
近年、マドリーは左サイドバックを確保するために高額な移籍金(あるいは契約解除金)を支払ってきた。ファビオ・コエントラン(2011年夏加入/移籍金3000万ユーロ)、テオ・エルナンデス(2017年夏加入/契約解除金2600万ユーロ)がジョゼ・モウリーニョ当時監督、ジダン監督の下でマドリードに到着した。
■最も将来性のある左サイドバック
2017年夏にテオ・エルナンデスがアトレティコ・マドリーからの「禁断の移籍」を果たした折、リヨンがル・アーヴルからメンディを獲得した。「フランスのリーグで、最も将来性のある左サイドバック」とは、リヨンのジャン・ミシェル・アウラス会長の弁である。
メンディはパリの北部にあるエックヴィリーという人口4000人の小さな町で生まれた。10歳でパリ・サンジェルマンのカンテラに入団したが、11歳の時に父親が亡くなった。失意のメンディを、さらなる困難が襲う。15歳の時に、腰の関節炎で車椅子生活を強いられた。医者からは、もうサッカーはできないと言われた。
負傷の影響で、パリ・サンジェルマンでの立場が危うくなった。その当時のパリ・サンジェルマンのカンテラには、キングスレイ・コマン、プレスネル・キンペンベ、ムサ・デンベレというタレントが揃っていた。
メンディはマントワという4部リーグで戦うチームへの移籍を経て、2013年にル・アーヴルに加入。ル・アーヴルはポール・ポグバ、バンジャマン・メンディ、ディミトリ・パイェ、ラサナ・ディアラといった選手を輩出したクラブだ。育成に定評がある。神は、メンディを見捨てていなかった。
■新たな刺客
「銀河系軍団」と呼ばれたマドリーにおいては、ロベルト・カルロスが不動の左サイドバックだった。そして、チャンピオンズリーグ3連覇を成し遂げたジダン・マドリーでは、そのポジションにマルセロが君臨した。
「15歳で、『もうプレーはできないだろう』と医者に言われた。手術をして、車椅子で生活した。歩けるようになるまで、6カ月がかかった。そして、いま、僕はレアル・マドリーにいる。本当に信じられないよ...」
「困難について話そうとは思わない。そうではなくて、それによって得たモチベーションや野心が、自分をここまで連れてきてくれたのだ」
マドリーの入団会見で、メンディはそう語っていた。ジダンの眼鏡にかなった新たな刺客が、マドリーの左サイドを活性化しようとしている。