ジョアン・フェリックスの覚醒。アトレティコに舞い降りた「ダイヤの原石」
1億2700万ユーロ(約146億円)という大金を動かした選手として、名を馳せた。その男の名は、ジョアン・フェリックス。アトレティコ・マドリーが、バルセロナに移籍したアントワーヌ・グリーズマンの後釜として選んだ選手だ。
2018-19シーズン、ベンフィカで公式戦43試合20得点11アシストという数字を残して、各国のビッグクラブの関心を引き付けた。とりわけ、ヨーロッパリーグ(EL)準決勝ファーストレグ、フランクフルト戦は圧巻だった。ハットトリックを達成して、チームの4-2の勝利に貢献。19歳152日でのハットトリックは、EL史上最年少記録となった。
(表/近年のアトレティコの前線補強)
■エリート街道から外れる
だが彼を「エリート」と呼べるかは、正直、疑わしい。
ジョアン・フェリックスは、元々、ポルトのカンテラ出身選手だ。しかしながらフィジカルのポテンシャルが低く、ユースに上がる前に別れを告げられた。
「いつもと言っていいほど、周りの選手は僕より大きかった。監督やコーチたちは僕より大きな選手を選んでいた。僕は小柄で、細かった。自分より身長が高く、スピードやパワーがある選手が重宝された。語弊を恐れずに言えば、僕はそういう中で除け者にされていた」
ジョアン・フェリックスは『The Players Tribune』のインタビューで、そう明かしている。
ただ、ベンフィカでは、異なる評価だった。ベンフィカの育成年代でジョアン・フェリックスを指導したレナト・パイバ監督は、振り返る。
「初日のことだ。コーチの一人が僕の方に近づいてきて『彼のプレー、見たか? どうしてポルトは彼を手放したのか…。我々の下に、ダイヤモンドが転がり込んできたみたいだ』と言ったんだ。ジョアンのプレーは予測不可能だったし、技術と戦術眼に優れていた。また、ボディコンタクトを避ける賢さを備えていた」
■ベンフィカでブレイク/アトレティコでの日々
順調に成長したジョアン・フェリックスは2018年8月18日に、ベンフィカでトップデビューを飾っている。
ベンフィカでは、【4-4-2】のセカンドトップで起用されていた。センターフォワードのハリス・セフェロヴィッチと「縦型の2トップ」を組む形で、相手のDFラインとMFラインの間を自由に動いた。
ジョアン・フェリックスはテクニック、ドリブル、得点力と、総合的に能力が高い選手だ。ドリブルに関しては、テクニックやスピードに任せるのではなく、タイミングで守備者を外してかわす。それはスペースがどこにあるかを把握しているからこその業である。
だがアトレティコでの日々は簡単ではなかった。同じ【4-4-2】とはいえ、ディエゴ・シメオネ監督の考えるフットボールは、ベンフィカのそれとは大きく異なった。クアトリボーテ(4人のボランチ)と称される戦術を重視するシメオネ監督にとって、守備が免除される選手は存在しない。常に、ハードワークが求められる。
また、シーズン序盤戦においてはシメオネ監督によってサイドハーフ起用されるなど、ポジションが定まらなかった。なおかつ適応に苦しむ中で負傷離脱を強いられ、逆風にあおられた。
■比較を超越して
ベンフィカで頭角を現し始めた頃、ジョアン・フェリックスは偉大な選手たちと比較された。パブロ・アイマール、ルイ・コスタ、ベンフィカでプレーした後、ワールドクラスに飛躍した選手たちだ。
「僕の後継者だと言われているみたいだけど、ジョアン・フェリックスはジョアン・フェリックスだ。試合を読む力に優れており、どのタイミングでゴール前に行くべきかを理解している。彼はベンフィカの育成で培われた宝石。一躍、時の人になった」とはルイ・コスタの弁である。
アトレティコでは、グリーズマンとの比較は避けられない。だが、これまで、ジョアン・フェリックスは幾度となく比較を超越してきた。そのためには、ルイ・コスタの言葉が示す通り、ジョアン・フェリックスがジョアン・フェリックスである必要がある。その先の未来は、彼自身が創造していくはずだ。