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もう若くはないヒロインの「生」と「性」を体現して。裸での濡れ場に臨むとき考えていること

水上賢治映画ライター
「あいたくて あいたくて あいたくて」の主演を務めた丸純子  筆者撮影

 突然の夫との死別からまだ立ち直れないでいる淳子と、職人気質といえば聞こえはいいが何事も生真面目すぎて融通のきかない裕司。

 いまはパートナーが不在。でも、まだ未練がないわけではない。

 もう若くはない、でも、枯れるにはまだ早い。

 もう人生の折り返し地点は過ぎている。でも、まだまだその先の人生は続く。

 いまおかしんじ監督の「あいたくて あいたくて あいたくて」は、そんな大人の男女の運命とまではいわないが、なにかの始まりを予感させるめぐり逢いを見つめている。

 メインキャストのひとり淳子を演じているのは、いまおか監督作品に欠かせない女優の丸純子。

 これはご本人に失礼に当たるかもしれないが、彼女は、ありふれた日常の中にいる中高年層のヒロインを変に若く見せない、着飾らない、あくまでも普段着で演じることができる数少ないこの年代の女優といっていい。

 淳子というヒロインを「性」と「生」を体現してみせた丸に訊く。(番外編全二回)

「あいたくて あいたくて あいたくて」の主演を務めた丸純子  筆者撮影
「あいたくて あいたくて あいたくて」の主演を務めた丸純子  筆者撮影

ベッドシーンは、つまらない答えになっちゃうかもしれないんですけど、

ほかのシーンと、もやは変わらない(笑)

 全六回のインタビューに続き、女優・丸純子について訊く番外編(番外編第一回はこちら)の第二回へ。

 今回の「あいたくて あいたくて あいたくて」も含め、いわゆる「濡れ場」と呼ばれるベッドシーンのある作品へ数多く出演する彼女。

 映画で「脱ぐ」ことをどう受けとめて演じているのだろうか?

「前も少し話しましたが、正直なことを言うと、ベッドシーンだから特別になにかといったことはないです。

 つまらない答えになっちゃうかもしれないんですけど、ほかのシーンと、もやは変わらない(笑)。

 まだ若いときというか、最初に作品で裸になることが決まったときは、『裸になるのか』と考えたし、ひとつ覚悟を決めるみたいなところはあったと思います。もう忘れちゃいましたけど(笑)。

 でも、そこからキャリアを重ねて、場数も踏んできたいまは、裸になるシーンが来たら、『はい。必要なんですよね?じゃあ、どうやって撮りますか?』といった感じで。特にどうということはないです。

 作品の中でセックスするシーンが必要で、脚本にもそうきちんと書かれている。

 出演を決めて演じるとなったら、監督が望むシーンになるように役者は演じるだけ。それは裸になるシーンも、ほかのシーンも変わらない。

 わたしの心境としてはそれだけ。

 裸になるシーンだろうと、ならないシーンであろうと関係なくて、わたしとしてはどれだけリアルに真に迫れるかが重要なんです」

「あいたくて あいたくて あいたくて」より
「あいたくて あいたくて あいたくて」より

年相応の役を自然体で演じている。そう感じてもらえていたら、うれしい

 丸はいい意味で、ミドルエイジにいる女性をなにも飾ることなく等身大で演じられる役者といっていい。

 これまでも年相応の市井の女性を変に若作りしたりすることなく、そのとき、そのときで自然体で演じている印象がある。

 そして、本人には失礼に当たるかもしれないが、裸体も変に作り込むことなくありのままで臨んでいるような気がする。

 そのいい意味で作り込んでいない裸だからこそ、なにかものすごく「生」を「生きている」ことを実感させるようなところがある。

「年相応の役を自然体で演じている。そう感じてもらえていたら、すごくうれしいです。

 今回の淳子もそうなんですけど、特別な存在ではない。どこにでもいるような中年の女性で。

 彼女のような存在を自分の身近にいるかもしれないと思ってもらえるように演じられたら、といつも思っています。

 役者として追求するのはリアルなので、淳子ならば淳子という人物として自然な姿で映っていたらうれしいです。

 裸体に関しては、自分ではどうにもならないので、もうなるようにしかならないというか(苦笑)。

 いや、『もっと若い女性の』と言われたら、『ごもっとも』というしかない(笑)。

 わたし自身としては、裸体も普段の姿もどれだけ崩して撮られてもいいと思っています。その役がそうであるならば変に小奇麗にするのはおかしいし、小細工すべきではない。

 ただ、限度はあるというか。あまりに醜くしすぎても、それはそれでわざとらしくなってしまう。

 だから、何かちょっと見てる人のこと考えて撮ってねと思っちゃうところはあります。

 別に自分の歳を重ねた裸体が恥ずかしいわけではなく、見てくださる方にとって見苦しくないように撮ってほしいなと。

 見れる範囲にしてほしい。それだけです(笑)」

わたしがどう見えるかとかはどうでもいい。

役が生きているように見えるなら、それでいい

 とにかくその役が「この世界で生きている人」になるようリアルを追求したいと語る。

 それは今回の淳子役からもひしひしと感じられるところがある。

 たとえば自宅のひとこま。淳子は普段、着ているのはジャージで、かなりリラックスした姿で過ごしている。

「だらしない感じで、ちょっとパンツがみえちゃったりね(笑)。

 ああいうところを大切にしたい。なぜなら、淳子の日常をまさに表すところで、そこにはリアルがある。

 家の中できちっとした身なりできちっと過ごしている人はいないわけではないでしょうけど、まあ、あんな感じですよね。

 ちょっとヨレ気味の服で、床に寝転がったりしてだらしない。

 作品によってはスタッフに『ほんとうにこんなだらしない恰好で大丈夫ですか?』とか言われるときもありますけど、いやそれがこの人物のリアルなんだからいいじゃないと。別に見せちゃいけないところが出ちゃうわけでもないわけですから(笑)。

 わたしがどう見えるかとかはどうでもいい。役が生きているように見えるなら、それでいいんです。

 どんな役にもその人物のリアルがあって。そこをつかんで演者は演じていく。

 だから、そのリアルを一度でも外れて、不自然なことがあると、ずっとずれていくんです。壊れたナビみたいに。

 1回ずれてしまうと、ずれた道を歩き始めてしまう。

 そうならないためにもその役の人間としてのリアルを体現しないといけない。

 そこにわたしがどう映るかとか、わたしを見栄えよく撮ってもらおうとか関係ない。

 おそらく役者って、死ぬまで演じる役を生きた人間として演じられるかを追求していかなければいけない。

 これからも精進して、その役の、人間のリアルにこだわって演じていきたいと思っています」

【丸純子インタビュー第一回はこちら】

【丸純子インタビュー第二回はこちら】

【丸純子インタビュー第三回はこちら】

【丸純子インタビュー第四回はこちら】

【丸純子インタビュー第五回はこちら】

【丸純子インタビュー第六回はこちら】

【丸純子インタビュー番外編第一回はこちら】

「あいたくて あいたくて あいたくて」ポスタービジュアル
「あいたくて あいたくて あいたくて」ポスタービジュアル

「あいたくて あいたくて あいたくて」

監督:いまおかしんじ

出演:丸 純子 浜田 学

川上なな実 柴田明良 青山フォール勝ち 山本愛香

足立 英 青木将彦 松浦祐也 川瀬陽太

場面写真およびポスタービジュアルは(C)2022レジェンド・ピクチャーズ

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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