心に沁みると反響呼ぶ劇中歌「静かな空」。「この映画のために、この曲はあったと感じています」
2011年に東京から故郷である北海道室蘭市に移住した映画作家、坪川拓史が、出会った地元の人々からきいた逸話を元に、実際にその場所で、ときに本人も出演者となって撮影した映画「モルエラニの霧の中」。完成まで5年、コロナ禍による劇場閉鎖の影響も受け、公開まで2年の時を要した本作について、携わった各人に訊くインタビュー集。
「モルエラニの霧の中」の世界を体現している曲といっていい「静かな空」を手掛けた穂高亜希子のインタビューの後編へ。前編のインタビューでは坪川監督との出会いから、「モルエラニの霧の中」のある種のテーマソングになっている「静かな空」誕生の経緯、曲がモチーフとなっている[第3話]夏の章/港のはなし「しずかな空」について訊いた。
実は1回目の試写のとき、エンドロール見た後、こっそり帰ってしまいました
今回も引き続き「モルエラニの霧の中」における「静かな空」についての話から。前回、[第3話]夏の章/港のはなし「しずかな空」のモチーフになったことについては詳しく触れたが、『静かな空』は3時間半を超える本作の最後を締めくくるエンドロールで流れる。この感想をこう述べる。
「他人事のようで恥かしいんですけど、『こんなすごい曲だったんだ』と思いました。
これは私がすごいのではなくて、坪川監督の映画であり映像が、信じられない領域にまで曲を高めてくれたんだと思います。
自分で家で聞くのと、映画館のエンドロールで流れるのでは全然違って聞こえる。映画館だと何倍にもなって曲が伝わってくる。これほど人の心に広く訴えかけるような度量と包容力のある曲であると私はまったく気づいていなかった。
実は1回目の試写会のとき、エンドロール見た後、こっそり帰ったんですよ。
何かこんなすてきな曲を歌っているのが自分っていうのが悪いような気がして。申し訳ない気持ちになって帰ったんです。
それぐらい映画が曲を高めてくれたと今も感じています」
曲が自分の手から離れて旅立ち、それぞれの人の元へと届いている感覚がある
7話連作形式の本作で、「静かな空」は前半を締めくくるとともに後半へとつなぎ、後半を締めくくるとともに全編をも締めくくる。作品をひとつ貫く曲として重要な役割を果たしている。
「自分の曲じゃないような感覚があるんです。
曲を単体で客観的にとらえると、自分でも思うんですけど、『静かな空、静かな海』と歌詞も少ないですし、その聴いてくださった方の想像力に投げちゃう感じがあると思うんです。その人の想像力に頼ってしまうところがある。
でも、坪川監督の作り上げた『モルエラニの霧の中」という映画の映像と重なったことである意味、曲が完成したといいますか。
あらゆる面で曲の世界が広がって、伝わるものになった。坪川監督には失礼かもしれないんですけど、この映画のためにあった曲だったのではないかと勝手ながら感じています。
そして、映画によって曲が完成して人々の元へと届いてくれた。なにかいま、曲が自分の手から離れて旅立って、それぞれの人の元へと届いている感覚があるんです。
こんな感覚になるのは初めて。なにか自分の楽曲ではあるんですけど、映画をみてくださった人のものになってくれている感覚があってすごくうれしい。
自分のものじゃなくなって、すごい遠いところに旅立ってくれた感じで、すごく幸せな曲になった気がします」
空とか風とかを感じたり、海や川や山を見ているときみたいな気持ちに
少しでも近づける曲であり歌声を
本人はこう謙遜するが、「静かな空」は穂高亜希子というアーティストの楽曲にほかならない。とりわけ印象的なのが彼女の柔らかな歌声。
こちらになにか必要以上に訴えかけてくるような圧は微塵もない。そのかわり、これは誉め言葉になっているかわからないが、日常にちょっと彩りを与えてくれるような控えめな彼女の歌声は、なにか心地良いBGMのよう。
自然に包まれているような心地良さがある。
「全部、独学でやってきて、自分が感じるままに歌っているだけなんです。
たぶんきちんとしたテクニックを学んでいる人は、ここで力を入れてとか、ここはちょっとためてとか、ある意味、人の心に突き刺さるような歌い方を意識するんだと思います。
でも、私の中では、歌唱力によって、その歌詞のメッセージを届けたいとか、自分の主張を語りたいとかいうのはなくて。ただそのままの曲や言葉の意味が伝わればと思って歌っています。
前回も少しお話しましたけど、空とか風とかを感じたり、海や川や山を見ているときみたいな気持ちに少しでも近づける曲であり歌声であれたらと思っています。
音楽を聴いてくださった方が、少しでも気分転換できたり、気持ちが軽くなってくれたりしてくれたらいい。
自分が子どものころ、人となじめなくて辛くなったとき、音楽をきいて勇気づけられたんですけど、あんまり『頑張ろう』みたいなアップテンポな曲より、何か耳に心地良かったり、静かなゆっくりした曲の方が元気づけられました。
なので、ちょっとほっとできる感じがあったらいいなと思いながら歌っています」
自分が自分らしくいられて、自分らしい音楽を届けられればいい
押しつけがましくない。自然に自分のそばに佇んで流れている。「静かな空」(※坪川監督が最初にみた『静かな空』の動画はこちら)には、そんな控え目だけど、じんわりと心に沁み込んでくるような魅力がある。
それは映画「モルエラニの霧の中」にも共通するかもしれない。
「音楽はエンターテインメントに属すると思うんですけど、私はあまりそうとらえていないといいますか。
エンターテインメントを否定するわけではなく、もちろん多くの人に届けばいいなと思っています。
でも、そのために、世の中に浸透するためにキャッチ―にしたり、わかりやすくしたりといったある意味でのエンタメ性を追求することはまったく考えていない。
自分が自分らしくいられて、自分らしい音楽を届けられればいい。無理して自分を、自分の音楽を変えたくはない。
ほんとに海や空や風のように特別ではない、自然とそこにあるものとして感じられる音楽を作りたい。
通常のポップソングならば曲は3分ぐらいで、サビはここに入れてとか考えるのが普通ですよね。曲調はここで変わってとか、歌詞のストーリーもこう展開させてとか。
でも、私はあまりそういうことを考えて作っていないんですね。感じるままに自分の素直な気持ちを出していく。
坪川監督も同じではないかなと。なにかドラマチックなことが起きたり、ひとつの物事を解決したり、そういう1回みたら、『わかった』となるようなエンターテイメントに特化したようなところはない。
坪川監督ならではの法則で映画を作っている。でなければ、3時間半を超える映画は作れないですよね。
たぶん、普通だったら、もっと見やすくするには『短くしなきゃ』とか、『ドラマチックな展開を作らなきゃ』とか考えてしまうと思う。大衆に届くことを考えてしまう。
でも、それよりも、見てくれた人が何度も何度も噛みしめたくなるような作品になればと思っている。
その人にとって特別なものになってくれればいい。究極的なことを言えば、誰かひとりに届いてくれればいいみたいなところがあるような気がします。
坪川監督はどう思っているかわからないですけど(苦笑)、私は監督と相通じるところがあるなと勝手ながら感じています」
ちょっとしんどいときとか、仕事に忙殺されたとか、
そういうときに平静を取り戻す、安心できるものになれば
自らの音楽にはこんな思いを込めているという。
「今の世の中、あらゆるものが消費されていっている。しかも、その消費されるスピードがどんどん早くなっている。
みんながそのペースに合わすことはできない。入れない人やはじき出される人が必ずいる。
そういうはじき出された人たちがもし見つけてくれた時に、こんなのもあるんだ、とほっとできるような音楽であれたらという思いはあります。
ちょっとしんどいときとか、仕事に忙殺されたとか、そういうときに平静を取り戻す、安心できるものになればと思っています」
この映画のために、この曲はあったんだなと感じています
先にも少し触れたが、改めて「静かな空」は、「モルエラニの霧の中」のために生まれてきた曲ではないか。公開が続く中、そういう思いが増しているという。
「2011年に制作した『ひかるゆめ』は3月7日にレコーディングを始めているんですけど、『静かな空』を録音したのが3月13日なんです。
つまり東日本大震災から2日後に、『静かな空』は録音された。余震があって、すごい不安なときだったんですけど、『やろう』と心を決めて臨んだんです。
だから、『静かな空』にはいろいろな思いが入っている。それで『モルエラニの霧の中』の船出となった東京・岩波ホールでの上映が3月12日までで、ほんとうに録音してから10年の前日に当たる日だったんです。
単なる偶然かもしれないですけど、私の中では、出会うべくして出会ったといいますか。この映画のために、この曲はあったんだなと感じています」
「モルエラニの霧の中」
シネマアイリス(函館)、 福岡中洲大洋(福岡)にて公開中。
5月22日(土)より ほとり座(富山)、6月18日(金)より シネマ・クレール丸の内(岡山)、
6月21日(月)より ガーデンズシネマ(鹿児島)にて公開予定。
詳しい上映劇場は公式サイトにて http://www.moruerani.com/
筆者撮影以外の写真は(C)室蘭映画製作応援団 2020
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