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彼女を毒母で済ませていいのか?映画「許された子どもたち」のキーパーソン、真理について考える

水上賢治映画ライター
映画「許された子どもたち」より

 実際に起きた複数の少年事件に着想を得たオリジナル映画『許された子どもたち』。現在の日本の子どもをめぐる環境についてさまざまな観点から問題提起する本作については、内藤瑛亮監督へのインタビューでその全容に迫った。

 ただ、実はもうひとつ触れておきたいことがある。それは人を殺めた主人公、絆星の母親である真理の存在にほかならない。ひとり息子の絆星が人を殺したことを彼女は受け入れない。息子の無罪を信じる彼女は、一度は自供した絆星を説得し、少年審判で無罪に相当する「不処分」へと導く。

 傍からみるといわゆるモンスター・ペアレント。物語の中での彼女の言動はおそらくほとんどの人が受け入れられない。ほぼ眉をひそめることだろう。ただ、その一方でいまの日本社会における母親の存在がみえてくるところもある。

現代の母親像や母子関係を考えさせる“真理”の存在

 キャラクターとしても強烈な存在を残すが、演じた黒岩よしの演技もまた鮮烈な印象をわたしたちの記憶に残るに違いない。

 今回は、演じた黒岩よしとのインタビューを通し、真理の存在から現代の母親像や母子関係を紐解く。まず、真理役はオーディションを経て手にしたもの。黒岩は当時をこう振り返る。

「ちょうどフリーランスの役者として活動しはじめたころで、インディーズ映画のオーディションを片っ端から受けていた時期だったんですよ(苦笑)。それほど演じることに飢えていたというか。芝居がしたい一心でさまざまなオーディションを受けていました。

 なのでこの作品も数多く受けたオーディションのひとつだったんですけど、それこそ『あなたの子どもが人を殺したらどうしますか?』とか台本だけではない、しかもちょっと普段は聞かれないようなことを聞かれる。『変わったことをやるな』と思いながら、自分としては思いきりやることもできて、いい報告を待っていました。でも、それから、1カ月以上音沙汰なし。『こりゃ落ちたな』と思っていた矢先に、ポッと合格のメールが来て、『やった』と小さく喜んだことを覚えています」

 オーディションのころは、あまり内容については意識しなかったという。

「少年犯罪やいじめ問題のことを扱っているとオーディション情報に載せられていたので、ある程度は意識の中にありましたけど、こんなヘビーな内容になるとはその時点では思っていなかったですね。たしかオーディションを受けた時は、主に加害者家族のほうに焦点を当てることもわかっていなかった気がします。ただ、わたし自身が演じるのはどう考えても被害者のお母さんじゃない。演じるとしたら加害者のお母さんなんだろうなとは思っていました(笑)」

 内藤監督は黒岩を選んだ理由をこう明かす。

「黒岩さんに関してはわりと最初の面接で、すぐに真理役は黒岩さんだなと思いましたね。一緒に参加していたスタッフも、黒岩さんだと直感的にみんな感じていたようです。

 真理役に求めていたストレートなところがあったし、あと目力ですね。あの目の強さ。絆星役は上村(侑)くんにしようとその時点でだいたい決まっていたんですけど、彼がすごい目力がある子だった。だから、お母さんも当然、目に力がある人がいいなと思っていて、黒岩さんにすぐに決まりましたね。

 もともと水泳選手でソウルオリンピックにも出ておられる。そのせいかはわからないですけど、1つのゴールを見つけたら、そのゴールにむかって真っすぐ進む。そういう誰にいわれるのではない、自ら突き進んでいくような意志の強さが真理には必要で。黒岩さんならばそれを体現してくれると感じました」

他人にはみせられない自分のドロドロした感情と向き合う

 真理は絆星をとにかくどんなことがあろうと守る。無罪を得たことで、世間からの強烈なバッシングも意に介さない。むしろ、迷惑をこうむっている被害者はこちらというぐらいの態度をとり、被害者遺族の気持ちを逆なでする。この真理について黒岩はこんなことをまず考えたという。

「まず、何て身勝手な人間だと思ったんですけど(苦笑)。ただ、演じれば演じるほど、いろいろ考えさせられたといいますか。自分の中にも本音と建前がある。たとえば、自分にもし子どもがいたり、自分の親でも何か悪いことをしたら、それを一緒に償わなければいけない気持ちがわたしの中には建前としてある。でも、一方で、ほんとうに自分の大切な人がもし人殺しをしたら、とことんかばい尽くすんじゃないかという本音もある。しかも、それはその人のためというより、自分のためにそういう行動をとるかもしれないと。

 そういうできればあまり考えたくないことを、心の奥底で考えることを真理を演じている間はずっとしていたころがありました。なかなか他人には明かせない、ふだんはぜったいに見せない自分のドロドロした感情と向き合った気がしました」

映画「許された子どもたち」より
映画「許された子どもたち」より

 真理を演じる上で、こんなことも考えた。

「セリフはこうだけれども、自分の心情的にはちょっと違う。真理の心情的にはどうなんだろうとちょっと悩んだ時期があったんですね。そういったとき、実際に母でもある友人や知人にけっこう質問したんです。『あなたならどうする』と。そのとき、'''ほとんど全員が全員、

『わたしだったら、子どもの嘘をかばうことはしない。ちゃんと一緒に罪を償う。そのつらい道をとるわ』という答え'''だった。

 でも、実際に直面したら、どうかと思うんですよね。そう簡単には割り切れないだろうと。かわいい息子が人を殺したなんてことになったら、それは何かの事故であって、意図的ではないから人を殺したことにならないんじゃないかと、自分に都合のいい考えが少しもわいてこないほうがおかしいんじゃないか。事故であってほしいと思うのではないかと。そういうさまざまな感情が渦巻くだろうと思いました」

 先述した通り、真理は身勝手とは思ったが、それは嫌悪からくるものではなかったという。

「真理はヒーローやヒロインのように清廉潔白ではない。でも、ある意味、ものすごく正直といいますか。たぶん、ほとんどの人間がひた隠しにしている他人へのエゴや妬みといった部分を堂々と出すんですよね。それは対外的には同意できないけど、本心としては少し理解できるところがある。

 たとえば、オーディションのとき、学校の前で息子の無実を訴えるビラを配るシーンを即興でやったんですけど、他人に咎められたことに対し、『こっちこそ被害者だ』みたいなことを真理としてわたしはいったんですね。

 たぶん、建前としては彼女の考え方はみなさんから理解を得られない。ただ、ああいう状況になったとき、自分の子どもが人を殺したという確証はないのに、なんで平和で楽しく生きてるわたしたちの家族がこんな目に遭わないといけないんだという気持ちはだれにでも生まれると思うし、本音としてあると思うんですよ。だから、単純に彼女を嫌悪だけでは片付けてはいけないと思うんですよね」

匿名のバッシングが彼女の心にハレーションを起こしてはいないか

 バッシングに屈しない真理を世間は許さない。ソーシャルメディアをはじめとする匿名でのバッシングは激化の一途をたどる。対して真理は誹謗中傷を受ければ受けるほど、反省の気持ちは遠のくというおかしなことになっていく。

バッシングを受ければ受けるほど彼女の怒りは増幅し、モンスター・ペアレンツどころか、本物のモンスターになっていく。

「話が進めば進むほど、真理に対する周囲からのバッシングは強まる。見ず知らずの人間からの誹謗中傷にさらされていく。これは演じていてほんとうに感じたんですけど、そういう嵐の中にいると、とにかく子どもを守らなくてはいけないという気持ちがより強まって、はっきりいって、被害者の男の子や被害者家族に対する思いがまったく浮かばなくなる

 そのとき、思ったんですよね。『たとえ罪を償いたくても、自分が悪いことをしたかどうだかさえわからなくなってしまうかもしれない』と。さらに言えば、関係ない人間からのバッシング、無関係の人間が振りかざす正義感がむしろ罪を犯した人間の反省の機会を奪ってはいまいか。そんなことを考えましたね」

 真理を演じ、こんな不思議な体験もしたという。

「初号試写でみたときびっくりしたんですよ。『えっ、うちの絆星ってこんな乱暴者だったかしら』と。もちろんシナリオ上で、絆星がひどいことをしているのは知っている。でも、人間ておかしなもので、実際にみてみないと、そのひどさがわからない。はっきり言ってしまえば、目の前にいる絆星がすべてじゃない。彼には、それぞれの人によって見せる別の顔がある。親も知らない世界が彼にはあるんだと、そこで気づいた。

 真理も同じで、家にいるときの息子のいい顔しかみていなかった。だから、絆星がいじめを受ける心配はするけど、いじめるほうに回るとは考えが及ばない。そういうところもあったんじゃないかと思うんですよね」

絆星と真理の母子関係は歪んでいない。普通ではないか

 絆星と真理の母子関係については、黒岩の目にはこんなふうに映ったという。

「普通ですよね。ただ、これも聞いた話ですけど、母にとって娘は、自分自身の人生のやり直しというところがあると。娘には自分の理想とするような人生を生きてほしいという思いがあるとよく聞くんですね。ようは、自分がちょっとミスして叶わなかったことを、娘に実現してもらう。

 対して、息子はというと、ほとんど恋人みたいな存在で。悪いことをしても許せてしまう。息子はかわいくてたまらないところが母親にはあるような気がするんですね。

 たとえば娘だったら、洗濯物ぐらい畳みなさいというのが、たぶん息子だったら手伝ってくれてありがとう、みたいな対応になる

 自分に息子がいたり、兄がいたりするわけではないので想像に過ぎないんですけど、そういう意味で、真理と絆星の関係はさほど歪んだものではないのではないかと。いまどきの言葉でいうと真理は『毒親』に映るかもしれないんですけど、絆星への愛情はさほど一般的な母親とかわらないんじゃないかなと思いました」

映画「許された子どもたち」より
映画「許された子どもたち」より

 ただ、真理を演じていく中で、子を育てることに対しての母親に課せられる責任の大きさは感じたと明かす。

「真理は専業主婦ですけど、特に社会に出る機会のない母親というのは内にこもってしまうというか。子どもが自分のすべてになってしまうところがある。それが、自分がいないとあの子はダメとか、あの子のためにこれもあれもしてあげないととなっていってしまう。

 また、それだけ自分の愛情を注いでいるものですから、我が子を否定されることは、どこか自分という人間を否定されることでもある。だから、失敗は許されない。そういう負のサイクルに入っていってしまうことはあるんじゃないかなと思いましたね」

自分は正しい人間といった感覚にちょっと疑いを持ってくれたら

 演じ切っていま、真理という役をこう振り返る。

「正直なところ、かわいい人だなと思います。自分が1年以上も寄り添っていた人物で、なぜ彼女がそうなってしまったのかをふくめ、すべてのことがわかっているからそう思えるんですけどね。

 ただ、観た方からしたら、たぶんかわいいとは思えない(苦笑)。危険人物と目に映ると思うんです。でも、自分の中にあるかもしれない、無意識下でのいじめや自分だけは大丈夫みたいな意識、自分は正しい人間といった感覚にちょっと疑いを持ってくれたらと。

 確かに彼女は間違ったことをしている。同情の余地はないかもしれない。でも、彼女の言い分にも耳を傾けないといけないと思うんですよね。どうしても彼女のような存在は異端で、たとえば『猟奇的』といったレッテルを貼るだけで排除して終わってしまう。でも、それだとまた彼女と同じような存在が生まれるだけのような気がします。彼女を正当化するとかそうことではなくて、ひとりの人間として向き合う。彼女のような存在も、バッシングして排除してしまうのではなく、その声をきちんと聞く。これは社会全体に必要ではないかなと」

 一方、真理という強烈なキャラクターを演じ切った黒岩を、内藤監督はこう評す。

「真理という人間を圧倒的な熱量で演じ切ってくれたと思っています。あと、プラスして、キャラクターとしての個の強さというか。黒岩さんに演じてもらったことによって、ある意味、作品を支配するようなキャラクターに真理はなった気がします。それは単に演技だけのものではなくて、黒岩さんは元アスリートというだけあって、ものすごく身体性が高い。全身を使って走る場面や、モノを投げるシーンでそれはものすごく発揮されて、そのことによってシーンがより輝きあるものになった。黒岩さんの肉体だけがもちうる説得力によって真理にすごい生命が与えられたと思っています」

人間が痛いから、そこは触らないでくれというところを逃げないで描いている点はすごい

 話は戻り、『許された子どもたち』という作品自体には、黒岩はこんなことを思ったという。

「正直なことをいうと、わたしは客観的にみれなかったんですよ。その中で自分は生きていた感覚があって、ドキュメントを観ているような気分になっちゃうところもあるんです。変な言い方かもしれないですけど、映画として前にしたとき、実際に自分がやったことを再現ドラマのように観ている感覚がある。

 だからなかなか冷静にみれないところがあるんですけど、それでも内藤監督すごいなと思うところは多々あって。中でも、たぶん人間が痛いから、そこは触らないでくれというところを真正面から逃げないで描いている点はすごいなと。これだけいじめの問題や自殺が取り沙汰されているということは、なんらか社会に問題がある。でも、それは社会の暗部だから、できればみたくない。でも、そこから目を逸らさないで、くらいつこうとしている。ある知人にアカデミー賞を取った『ジョーカー』みたいだねといわれたんですよ。『人が見たくない部分を赤裸々に見せられる、自分にそんなことが起きたら恐ろしくてしかたがないことを、思いっきり目の前に見せつけられる』と。残酷なんだけど、正視しないといけないものを見せつけられる。その内藤監督の容赦のない鋭い視点はすごいと思いました。

 けっして気分のいい物語ではないと思うんです。でも、ここで起きることをひとつひとつ自分の人生やいまの生活に当てはめていくと、いろいろな気づきがある。

 作品のキャッチコピーが『もし、あなたの子どもが人を殺したらどうしますか』となってますけど、それは『映画の中でのお話でしょ』じゃなくて、『ほんとうにもし自分の子どもや親や夫や妻が人を殺したらどうしますか』っていうふうに自分の身に置き換えてみて頂ける映画ではないかと思っています」

 新型コロナウィルスの影響を受け、予定した公開から延期。ようやく公開を迎えた。

「まずは、この100年に一度の非常時に、それでも劇場公開された事に感謝します。

 また、みてくださった方々からのアツイ感想や、わたしが気づきもしなかった視点をいろいろお聞きできて、びっくりしています。映画は、自分のものではない人生を体験出来ます。この作品は、けして主人公の絆星の目線でばかりは観られません。是非、沢山の登場人物のそれぞれの気持ちを味わって頂きたいです。まだまだ外に出る事を自粛されている方も沢山いらっしゃると思います。是非、映画舘で観て頂きたい作品ですが、映画は腐りません。どんな形でもいつかお届けできると嬉しいです」

映画「許された子どもたち」より
映画「許された子どもたち」より

「許された子どもたち」

ユーロスペース、テアトル梅田にて公開中。6月12日(金)より京都・出町座、6月20日(土)より神戸・元町映画館、広島・横川シネマ、7月4日(土)より宮崎キネマ館、7月10日(金)より別府ブルーバード劇場にて公開、名古屋シネマスコーレ、横浜シネマ・ジャック&ベティで上映決定。

写真はすべて(C)2020「許された子どもたち」製作委員会 (PG12)

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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