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日本一の精肉師が考える、「苦しいときにこそ、やっておくべきこと」

松浦達也編集者、ライター、フードアクティビスト
筆者撮影

新保吉伸。滋賀県南草津の精肉店「サカエヤ」の店主だ。細かいことを抜きにして紹介すると「唯一無二の精肉店店主」である。人によっては「日本一」という人もいるし、「肉の神様」という人もいる。

だがそんな新保さんも十数年前には辛酸をなめた時期があった。2001年9月に起きたBSE禍。当時を知る人なら、いかに当時の牛肉業界に逆風が吹いたか覚えているだろう。すべての焼肉店に閑古鳥が鳴き、牛肉関連のビジネスが次々に頓挫していった。

当時、サカエヤは「近江牛専門」の精肉店だった。現在では、北海道の完全野生放牧牛「ジビーフ」、東海大学(熊本)の「あか牛」、吉田牧場(岡山)の役目を終えた乳牛のブラウンスイスなども扱うが、20年前は黒毛和牛専門の精肉店だった。

だが牛肉業界を襲ったBSEが新保さんとサカエヤを変えた。BSE禍を受けての新保さんの行動が、いまのサカエヤにつながっている。いま逆風にさらされているすべての人へ送る、新保吉伸さんからのメッセージを以下に記す。

(インタビューは3月中旬に行われた)

――新型コロナウイルスの影響で、飲食店は苦況に立たされています。いま新保さんは何をされていますか。

新保 毎日、取引先の飲食店を回っています。幸いにしてうちとお付き合いをしている飲食店は大きな影響が出ている店はそれほどないみたいだけど、それでも不安だろうし、当日予約などで最終的に埋まるとはいえキャンセルだってある。普段は数か月予約が取れないような店でも売上2割減、3割減という店が、いまはざらにありますから。「気持ちがしんどいやろな」という店にはちょっとでも顔を出すようにしています。

――といっても、新保さんはそもそも週の半分くらい東京にいらっしゃいますよね。その間、毎日肉を納めているレストランで食事をして、日によっては始発で滋賀に戻って食肉市場で枝肉を仕入れ、その晩、また東京で食事をしていることも少なくありません。

新保 そうですね。だから最近のあわただしい雰囲気の中でも僕がやることは、いつもとあまり変わりません。ずっと同じことをやり続けるだけ。ただ今回は、地方によっては厳しいところもあるから、僕だけじゃなくて、うちの若手を手伝いに行かせたりもしています。

――いま、サカエヤ自体の商売はいかがですか。

新保 いいですよ。そもそもうちは町の肉屋です。内食が増えれば、店頭や通販で肉を買ってくれる人が増える。外食にしても、うちの取引先についてはあまり大きな影響はありません。(直営レストランの)セジールも売上目標自体は、今回の騒動前に高い目標を設定してしまったので、まだ到達していませんが、少なくとも昨対はクリアしています。

――サカエヤは、店頭、ネット通販、飲食店向け、セジールという4本の柱がいずれも堅調なんですね。でも急に何本もの柱は建てられません。

新保 特にこういう天災のようなことが起きてしまうとね。後から対策を立てるのはなかなか難しい。僕だって不安ですよ。売上も心配だし、いつどうなるかという不安も抱えている。家でじっとしとったら、不安で不安で仕方なくて、メシも食べれませんよ。でも従業員の前でそんな顔はできない。だから店から取引先まで動き回ってしまう。

――この20年間、牛肉業界は数年おきに逆風にさらされてきました。2001年のBSE、2008年のリーマン・ショック、2010年の口蹄疫、2011年の東日本大震災――。

新保 こういうことは何年かに一度、必ず起きるんです。特にBSEのときは、何が起きたかわかりませんでした。すぐに客足が落ちたわけじゃなくて、じわじわ落ちていく。国内でBSEが発生したのは2001年の9月でしたが、その年の年末はある程度売れてくれた(※編注:特に近畿地方では年末に牛肉をお歳暮として贈る習慣が盛ん)。1月2月は暇で3月に少し戻ってくる。そこまでは例年どおりだと思っていたんです。ところが、4月5月になっても客足が戻ってこない。

――自分のところにはBSEの影響はないと思っていたけど、いつの間にかダメージを受けていた。

新保 そうそう。来てくれる客はいるけど、その人たちも「あんたんとこの牛は絶対どうもないのはわかってんねんけど」と言いながら、豚肉や鶏肉を買っていく。当時も、ショーケースはもちろん牛肉中心で構成していたけど気づいたら豚や鶏が半分以上になっていました。それでも牛肉のところはスカスカで、ケースに出しても売れないからタレに漬け込んだり、あれこれしてみる。それでも売れない。となると自分たちで食べる。でもそれも限界があるから、今度は肉の写真をショーケースに置いておいて、オーダーが入ったらカットするという風にどんどん縮小していった。その状態が3年か4年続いたかな……。

――ピーク時からどれくらい減ったんでしょうか。

新保 客数で言えば、1日100人来てたのが4~5人に。売上で言えば平日30万、土日に40~50万円、トップシーズンだと1日100万売ってたのが、1日2万円とか。合計20人くらい抱えていたアルバイトも、みんな辞めていった。給料は歯を食いしばって払っていたけど、あまりに客が来ないから空気を読んでくれたんやろうね。うち1人からは「僕にバイト代払うのちょっときついんかなと思って」と面と向かって言われました。あれは情けなかったね……。

――そのとき、何かいつもと違うことはされましたか。

新保 そんなに変わったことはしていません。僕は肉以外のことはできないからね。やったことと言えば、滋賀県内の生産者農家をひたすら回って、あとはブログ書くくらい。

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※筆者撮影

――生産者めぐりは付き合いのあった農家ですか?

新保 いや、付き合いのなかったところも含めて全部回りました。暇だったしね。それで僕がやりたいと思っていたことを育て方から仕上げまでとことん話して……。だからいまも県内の牧場はどこが何頭いて、どんな育て方をしているか、だいたいわかりますよ。当時、共感し合った藤井牧場さんや後藤牧場さんとは、いまでもお付き合いが続いています。

――ちなみに「あとはブログ書くくらい」というのは……。

新保 当時から藤井さんやその他の農家さんと一緒に取り組んでいたことをちゃんと発信せなあかんと思っていたんです。それでサイトを作ったりしてね。多いときで6つくらい持ってたんちゃうかな。いまもドメインとして続いてるのは、近江牛ドットコム牧場チャンネル。ホルモンドットコムというのもやっていました。自前で動画サイトもやっていました。こんなにYouTubeが流行ると思わなかったなあ。あとは実はいまも更新し続けている仕入れブログ。その日に仕入れた牛について、血統とかあれこれ書いてました。購入の記録にもなるし、生産者も喜ぶしね。

――仕入れブログも、新保さん自身が書かれていたんですか。

新保 当時はね。とにかく生産者にやる気を出してもらわないと、いい肉が上がってこない。BSEって牛肉業界にとっては、消費者の購買意欲だけでなく、生産者からもやる気を奪う、肉屋にとっては恐ろしい病気だったんですよ。市場に牛を出しても売れなくて戻ってくる。だからなんとか生産者にやる気を出してもらおうと、資料を作ったり、雑誌にプレスリリースや手紙を送ったりしてましたね。本の背表紙を見て、わざわざ編集長の名前あてに送ったりとか。

――ただ、売れないとなるとキャッシュフローは厳しくなりますよね。

新保 今回のコロナウイルス対策でも各機関がやっていますけど、最初は国策としての融資に頼りました。しかも当時、小泉純一郎総理大臣の頃は、政府の動きがめちゃくちゃ早かった。月曜日に相談の電話をかけたら1000万円が金曜日に振り込まれているくらい。でもやりくりしてもまかないきれないから、また借りる。1週間、2週間で1000万円がどんどん消えていく。気づけば、借金が6000万円くらいまで膨れ上がってて、これ以上借りたら、ホンマに首をくくらなあかん。そう思ってようやく借りるのを止めました。

――借り入れを止めたとしても、事業は回していかなければならないし、お金も返さなくちゃいけない。

新保 とりあえず預金を定期も含めて、すべて切り崩しました。車も乗っていたBMWとかとにかくありとあらゆる金目のものを売りましたね。家も実家に住まわしてもらって、親からカネも借りました。仕入れた枝肉は親父の精肉店と半々でわけていたんですが、当時は代金を全部払ってもらっていました。お金ができると少しずつ返してましたけど、またすぐ底をついてしまう。

――お父さんの精肉店にBSEの影響はなかったんですか?

新保 両親がやっていたのは商店街の小さな肉屋だったからか、まったく影響なかったみたいですね。BSEなんてどこ吹く風。まあ対面販売で太い客相手にほそぼそやっていたし、ぜいたくするわけでもありませんでしたから。でも対面で得た信頼は強いですね。BSEがあっても親の暮らしはまったく変わりませんでした。結局、親への返済は10年以上かかりましたね。他の返済も合わせると、月に60万円くらい返済してたから、自分の給料なんてないですよ。

――何もかもなげうってもダメージは深かったんですね。それでもあきらめようとは思わなかった?

新保 僕には肉しかないですからね。しがみつくしかなかった。人に頭下げるのも苦手、媚も売れなければ、お世辞も言えない。それでも、すごく細い自分の信念のようなものにしがみついて、なりふり構わず信じるものだけを愚直にやっていたら、いつの間にか暗闇に光が差していた、というような感じですね。

――「なりふり構わず」でありながら、気をつけていたことはありますか?

新保 特別気をつけていたというわけではないけど、とにかく人をダマすようなことだけはするまい。弱みにつけこんで、安く買い叩くようなことはしないぞ、と心に誓っていました。あとは掃除。

――掃除ですか。

新保 苦況に陥ったときほど普段の心がけや人間性に助けられるんです。だから普段以上に、こんなときしかできないような場所を掃除する。人とコミュニケーションを取りながら、知識を深め、力を蓄える。どんな仕事でもそうだと思います。ある日、突然ロックアウトがかかるかもしれないし、そのロックアウトもいきなり終わるかもしれない。何が起きても、何も起きなくても、全速で走ることのできる準備をしておく。

――――いつか収束する日は来る、と。

新保 そう。こういうことって、必ずどこかで終わるんです。必ずです。

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※筆者撮影

にいほ・よしのぶ●滋賀県南草津市の精肉店「サカエヤ」店主。いい肉を求める全国のシェフから連日問い合わせが殺到する。枝肉ごとに肉の状態を吟味し、シェフや料理に合わせて肉の持ち味を最大限に発揮できるよう調える"肉の名人"。

編集者、ライター、フードアクティビスト

東京都武蔵野市生まれ。食専門誌から新聞、雑誌、Webなどで「調理の仕組みと科学」「大衆食文化」「食から見た地方論/メディア論」などをテーマに広く執筆・編集業務に携わる。テレビ、ラジオで食トレンドやニュースの解説なども。新刊は『教養としての「焼肉」大全』(扶桑社)。他『大人の肉ドリル』『新しい卵ドリル』(マガジンハウス)ほか。共著のレストラン年鑑『東京最高のレストラン』(ぴあ)審査員、『マンガ大賞』の選考員もつとめる。経営者や政治家、アーティストなど多様な分野のコンテンツを手がけ、近年は「生産者と消費者の分断」、「高齢者の食事情」などにも関心を向ける。日本BBQ協会公認BBQ上級インストラクター

食とグルメ、本当のナイショ話 -生産現場から飲食店まで-

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食のブランド化と多様化が進むなか、「安全」で「おいしい」食とは何か。生産地からレストランの最前線まで、食にまつわるすべての現場を巡り、膨大な学術論文をひもとき、延々と料理の試作を繰り返すフードアクティビストが食とグルメにまつわる奥深い世界の情報を発信します。客単価が二極化する飲食店で起きていること、現行のA5至上主義の食肉格付制度はどこに行くのかなどなど、大きな声では言えない話をここだけで話します。

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