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ラグビーW杯日本代表入りへのラストチャンス。24歳の下川甲嗣「可能性を信じてチャレンジ」

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)
酷暑のフィジー戦でからだを張った日本代表の下川甲嗣=5日・秩父宮(写真:アフロ)

 夢を、あきらめない。9月8日開幕のラグビーワールドカップ(W杯)フランス大会に向けた国内最終戦、日本代表のホープ、下川甲嗣(かんじ、東京サントリーサンゴリアス=東京SG)にやっと出番が回ってきた。渾身プレーの60分間。汗だくの24歳は、「やるべきことはやった」と言葉に充実感を漂わせた。

 「試合にはずっと出られなかったんですけど、(W杯代表入りの)可能性だけは信じてチャレンジしてきました。やっとチャンスをもらえて。結構、興奮したんですけど、自分がやるべきことをしっかり遂行しよう、自分の強みは全部出し切ろうという気持ちでプレーしました」

 東京の夜空を数々の打ち上げ花火が彩った土曜の5日、東京・秩父宮ラグビー場でも、キックオフ前、仕掛け花火が炸裂した。観衆は2万2137人。スタンドが、赤白の日本代表のレプリカジャージで埋まる。

 ◆ジョセフHC「カンジは素晴らしかった」

 国内壮行試合と位置付けられた『リポビタンDチャレンジカップ』は序盤、フランカーのピーター・ラブスカフニ(クボタスピアーズ船橋・東京ベイ)が危険なタックルで一発退場となった。日本代表はまたも、ほとんどの時間を相手より1人少ない14人で戦うこととなり、強豪フィジーに5トライを許し、12-35で完敗した。これで、W杯前の国内5連戦は1勝4敗に終わった。

 それでも、日本代表のジェイミー・ジョセフヘッドコーチ(HC)は酷暑の中、全力を出し切った選手の労をねぎらった。ノーサイド直後、グラウンドで、下川にはこう、笑顔で声をかけたそうだ。「厳しい状況で入ったけれど、よくがんばってくれた」と。

 試合後の記者会見。ふだん、選手を個別に褒めないジョセフHCは自ら、若手のCTB長田智希(埼玉パナソニックワイルドナイツ=埼玉)と下川の名前を持ち出した。「カンジ(下川)は急きょ、試合メンバーに入ることになった。代表候補からメンバーに入って、試合でチームに貢献したことは素晴らしかったと思う」と。

 その言葉を人づてに聞くと、下川は顔をほころばせた。

 「評価してもらっているのは、正直、うれしいですね」

 ◆小さな可能性にチャレンジ

 日本代表は6月から、千葉・浦安合宿で始動し、その後、宮崎合宿でチームの連携を磨いてきた。参加してきたのは、代表36人と下川ら代表候補10人の計46人。8月15日に発表されるW杯登録メンバー33人枠をかけ、激しいチーム内競争を繰り返してきた。

 下川らボーダーライン上の選手はもちろん、毎日の練習が必死だった。188センチ、105キロ。フィジカルでは他の選手に見劣りする下川の持ち味は堅実なタックルと柔らかいランプレー、そして何といっても「体力オバケ」と言われるハードワーク(運動量)だろう。昨年10月のニュージーランド戦で日本代表初キャップを獲得しながらも、今季の日本代表の強化試合では、代表候補という立場で、なかなか出場機会は回ってこなかった。

 下川の述懐。

 「立ち位置的に(W杯メンバーの)可能性があるのなら、小さいかもしれないけれど、そこにチャレンジしようと。つらい時も、きつい時も、本当にもう、踏ん張ってきた。まずは自分の強みを合宿で遺憾なく発揮すること、あとはもう、けが人がいつ出るかわからないので万全の準備をしようとやってきました」

 FW第三列には好選手が並ぶ。とくにフランカーでは同世代の福井翔大(埼玉)が強化試合では活躍し、下川は刺激を受けていた。出身高校が同じ福岡県内で福井が東福岡高、下川は修猷館高。対戦したこともあった。

 下川は正直だ。

 「彼が僕を意識していたかどうか分かりませんが、僕は意識していました。プライベートではめちゃ仲がいいですし、彼から学ぶこともあります。でも、絶対、負けられないという気持ちで練習をしていました」

◆「カンジ~、がんばれ~~」

 熾烈なポジション争いだもの、強化試合メンバーから漏れれば、落胆することもあっただろう。落ち込むことも。でも、下川には周りの人々から激励が届いた。幸せな男だ。例えば、親。

 下川は毎試合、メンバー発表の際、家族にラインや電話で情報を伝えていた。

 「なかなか出場機会を得られず、悔しい思いをしていたけれど、その時も、家族からは、“そのうち絶対、チャンスがくるから、あきらめず、がんばれ”という言葉をもらっていたんです」

 誠実、実直だからだろう、下川は多くの人にも愛されてきた。7月にあった修猷館ラグビー部OB会東京支部の懇親会では最後、100名ほどのOBたちが後輩に対し、一緒に大声を発した。ほぼ絶叫に近かった。

 「カンジ~、がんばれ~~」

 このビデオメッセージは後日、下川に届けられた。しみじみと漏らす。

 「めちゃめちゃ、うれしいです。力になりました。ありがたい気持ちです」

 ◆下川「焦ることなく、プレーできた」

 願えば叶う、である。

 下川のもうひとつの強みはロックのポジションでもプレーできることだろう。日本代表ではけが人が相次ぎ、フィジー戦3日前の2日、チーム最長身のワーナー・ディアンズ(東芝ブレイブルーパス東京=BL東京)が負傷し、代わって、下川が試合メンバーのリザーブに入った。最後の最後、首脳陣へのアピール機会が到来したのだった。

 この日の試合では、前半の中盤、ロックのアマト・ファカタヴァ(リコーブラックラムズ東京)が足を痛めた。代わって、下川がフランカーの位置で途中出場した。スクラムでは、フランカーで先発したジャック・コーネルセン(埼玉)がロックの位置へ。

 「自分が思っていたより早い時間帯に(交代で)入ることになった」と振り返りながらも、「何があってもいいように常に準備していたので、焦ることなく、プレーできました」

 下川は攻守にわたり、チームのため、からだを張った。猛タックルしてはすぐに立ち上がり、次のポイントに走る。コンタクトエリアでも、相手より先に仕掛ける。ひたむきに走り続ける。これが日本代表の攻めのリズムをつくると心掛けているのだ。

 時には、攻撃ラインの大外に立って、タッチライン際を快走した。無我夢中だった。

 具体的な局面のプレーを聞かれると、下川は苦笑いをつくった。

 「あまり覚えてないんです。興奮してて」

 ◆ラグビー人生の宝物

 もうじき淘汰の時がくる。

 どんな2カ月間だったのか。そう聞けば、下川はしみじみと漏らした。

 「たくさんのライバルがいる中で、どうやって自分の強みを出していくのか、練習の毎セッション、毎セッション、常に追っていく立場だったので…。ただ、自分ができることはやったつもりなので、(選考が)どうなっても悔いはないです。自分との戦いはずっと続くので、この合宿で味わった気持ちを忘れずにやっていきたいと思います」

 W杯登録メンバーに選ばれても、選ばれなくても、この濃密な2カ月間は24歳のカンジにとって、財産、いや宝物となるだろう。

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2020年東京大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。人物モノ、五輪モノを得意とする。酒と平和をこよなく愛する。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『荒ぶるタックルマンの青春ノート』(論創社)ほか、『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

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